元横浜高の名将・名参謀が語る江川卓と松坂大輔(前編)
かつて、大谷翔平よりも佐々木朗希(共にドジャース)よりも"すごい球"を投げたと言われる投手がいた。
その名は、江川卓──ひとたびマウンドに立てば、驚くべき記録を次々と打ち立てていった。しかし、その裏には常に悲劇性を帯びていた。あまりにも突出した才能ゆえに、彼はしばしば他人の人生までも左右してしまったのである。
江川のキャッチャーを務めたことがきっかけで道が開けた者もいれば、江川からホームランを放ったことで無名から一転してドラフトで指名を受けた者、そしてトレードに出された者......。江川によって人生を翻弄された選手は決して少なくない。
これまで誰も見たことのない才能に、日本中が酔いしれた──その軌跡を刻んだ書籍『怪物 江川卓伝』(集英社)が、11月26日に発売される。
そのなかから、江川の球が最も速かったと言われる高校2年秋の関東大会で対戦した元横浜高校監督の渡辺元智の証言を紹介する。彼もまた、江川によって野球人生が大きく変貌したひとりである。
作新学院時代、圧倒的なピッチングを披露した江川卓photo by Kyodo News
【すべてが異質だった江川卓】日本野球界で「怪物」の異名を与えられた選手といえば、江川卓と松坂大輔が挙げられる。それぞれが「昭和の怪物」「平成の怪物」として一世を風靡した。
松坂を擁して1998年に甲子園春夏連覇を達成した渡辺は、その26年前、秋季関東大会決勝で江川擁する作新学院と対戦している。まさに江川の全盛期のピッチングを間近で見た渡辺だからこそ、何十回と聞かれた質問がある。
「江川卓と松坂大輔、どっちがすごかった?」
その問いに、渡辺はなんのためらいもなく、「江川ですね」と即答した。
「時代は違いますが、松坂は尾崎(行雄)さんにどこか似ていると感じていました。でも、江川はまったくの異質でした。高校生でも近寄りがたい風格を持つ選手っていますよね。まさにそのタイプで、そういう意味で江川は松坂よりはるかに独特のオーラをまとっていました。高校時代の松坂にはどこか庶民的な雰囲気がありましたが、江川はもう貴公子のような佇まいでした」
そして渡辺は続けた。
「リズムとかバランスを考えると、江川のほうはちょっとぎこちなく、松坂のほうがフィールディングなども含めると総合的に上かもしれません。でも、球そのものの速さ、変化球のキレは江川のほうが上でしょうね」
松坂を3年間見てきただけに、渡辺の言葉には説得力がある。総合力では松坂が上だが、球の威力やキレに関しては江川のほうが優れている。そして、風格となると比べものにならないほど江川に軍配が上がる。これが渡辺の評価である。
とにかく、江川と対戦した者はその存在感に圧倒されると誰もが口々に言う。
身長は江川が183センチ、松坂が182センチと、わずか1センチしか違わない。それなのに江川のほうがはるかに大きく感じられるのはなぜだろうか。
まず挙げられるのが、"馬尻"と呼ばれた圧倒的なケツの大きさだ。人によっては「馬というより象のケツだ」と言うほどで、その迫力が江川の存在感を一段と際立たせていた。ピッチャーは下半身の強さが能力を大きく左右すると言われているだけに、江川のケツを目にしただけで、ふつうの高校生は「こんな化け物みたいなヤツと戦うのかよ」と慄(おのの)いたという。
高校野球界きっての名将である渡辺は、さまざまな記憶をたどりながら、しみじみと口を開いた。
「長年いろんな選手たちを見てきたなかで、別格だと思ったのがふたりいました。それは江川と松井(秀喜)です」
毎年のように"超高校級"と騒がれる選手はいるが、どこか幼かったり、行動に落ち着きがなかったりするものだ。だが、このふたりだけは大人に混じってもまったく見劣りせず、こちらが呆気にとられるほど泰然とした振る舞いだったという。
【横浜を戦意喪失させた江川の投球】渡辺が初めて江川を見たという1972年の秋季関東大会決勝戦。作新・江川と横浜の巨漢1年生・永川英植の投げ合い見たさに、スタンドは熱狂的なファンで埋め尽くされた。
江川は前日の銚子商戦で、1安打20奪三振、4対0の完封勝利。あまりの圧巻ぶりに、試合会場の銚子市営球場は前日の興奮と余韻が残っていた。
当時、関東の出場枠は2枠で、両校とも選抜出場はほぼ手中にしたといってよかった。そんななか、横浜は駆け引きなしで江川に真っ向勝負を挑んだ。
だがこの日の江川は、速球でガンガン押してくるのではなく、カーブを多投し、要所で真っすぐで攻め、三振の山を築いていく。江川のマウンドさばきは、まるでプロの大投手のように大胆かつ流麗だ。
威風堂々とした183センチの身体が投球動作に入る。やや"く"の字に曲がった左足が胸の高さまで大きく上がり、右足のかかとは伸び上がる。左足が規則正しく美しい弧を描いて、せり上がったマウンドへ着地するのと同時に、上半身と右腕が弓なりにしなる。
モダンバレエを思わせる躍動感あふれる、ダイナミックかつ華麗なフォームに観客は固唾を飲んで見入った。渾身の力を込めて放たれたストレートは、凄まじいスピンでキャッチャーミットに突き刺さる。
試合前の投球練習を見ただけで、横浜の選手たちは戦意を喪失した。当時、29歳の青年監督だった渡辺も、江川の投球フォームに魅せられた。
「ありゃ、打てっこねぇぞ」
敵将ながら、心を奪われてしまった。
三振して青ざめた顔でベンチに戻ってくる選手に「下を向くな」と檄を飛ばし、ベンチの選手たちには「なんとかせえ」と鼓舞するものの、太刀打ちできないことを一番わかっていたのは渡辺だった。
横浜は8回、一死から二者連続中前打で一、二塁のチャンスをつくった。しかし、後続が江川のカーブについていけず凡退し無得点。この8回の連打こそが、江川にとって関東大会で初めて許した連打である。次に連打を浴びるのは、翌年夏の甲子園1回戦の柳川商戦。その間の9カ月ものあいだ、江川は一度たりとも連打を許さなかった。
つづく>>
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