Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第20回】ラモン・ディアス
(横浜マリノス)
Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。
第20回はラモン・アンヘル・ディアスを取り上げる。母国の名門リーベル・プレートでプロキャリアをスタートさせ、アルゼンチン代表とインテル、それにモナコなどで実績を積んだこの左利きのストライカーは、Jリーグ開幕時の1993年から1995年途中までプレーした。
すでにベテランの域に達していたものの、類稀(たぐいまれ)なゴールセンスは健在だった。172cmのサイズで得点を量産した彼は、日本人FWにひとつのロールモデルを示したのである。
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ラモン・ディアス/1959年8月29日生まれ、アルゼンチン・ラ・リオハ出身photo by Getty Images
1993年のJリーグ開幕以前に、ラモン・ディアスは日本に足跡を刻んでいる。1979年のワールドユース選手権だ。
現在はU-20ワールドカップと呼ばれる大会が日本で開催され、ディアスとディエゴ・マラドーナを擁するアルゼンチンが優勝を飾った。背番号9を着けたディアスは、6試合で8ゴールを挙げて得点王に輝いている。
1993年に横浜マリノスの一員となった彼は、ワールドユースの思い出について何度も聞かれた。サッカー専門誌の記者だった僕もそのひとりで、「あの大会で得た喜びが、再び日本へ来る理由のひとつになっていますか」と聞いた。
ディアスは渋みのあるスペイン語で答える。
「この国に感情があるのは確かだよ。ワールドユースの決勝で決めたゴールは、僕のキャリアのなかでも特別なものだからね」
【実質2年でクラブ歴代5位の得点】彼が挙げたゴールは、まさにスーパーだった。
センターサークル内でパスを受け、そのままペナルティエリア内までドリブルで持ち込み、左足で決めきっている。アルゼンチンは旧ソ連を2-1で突き放し、マラドーナのダメ押し弾で3-1の勝利を飾ったのだった。
Jリーグ開幕とともに日本のピッチに舞い降りたディアスは、ワールドユース当時とは得点パターンを変えていた。33歳となった彼は熟達の狙撃手さながらに、一発で仕留めるワンタッチゴーラーとして得点を量産していくのである。
マリノスの前線にはディアスだけでなく、木村和司や水沼貴史、ダビド・ビスコンティらがいた。決定的なラストパスを供給するだけでなく、自ら決めることができる彼らの存在が、ディアスの得点能力を際立たせたところはあっただろう。
それにしても、彼の得点能力は際立っていた。
1993年は32試合に出場して28ゴールを挙げ、栄えあるJリーグ初代得点王に輝いた。1994年も23ゴールを記録している。1995年の数字も含めたJリーグ通算52ゴールは、現在もクラブ歴代5位である。実働2年半でこれだけの数字を残したのだから、クラブ史に残る助っ人外国人と言っていいだろう。
ディアスはレフティだ。彼に左足を振らせてはいけない。振らせたら失点に直結する。それなのに、対戦相手はその左足を止めることができなかった。
得点パターンは多彩だ。左サイドからのクロスを、左足ボレーで合わせる動きは芸術的だった。マークするDFの前にキュッと入り込み、ワンタッチで蹴り込むのだ。ゴール前での瞬間的なスピードは健在だった。
ポジショニングがよかった。点が取れる場所へ、取れるタイミングで入っていくことができていた。その「タイミング」が、とにかく絶妙なのだ。
ペナルティエリア内に使いたいスペースを見つけると、早すぎず、遅すぎずで侵入する。ジャストのタイミングだから、点が取れる確率は高くなる。彼のゴールは必然的なものであり、幸運に助けられたものはほぼなかったと言っていい。
【ボール1個が通るコースを狙う】身長172cmだったが、ヘディングシュートも決めている。パワーを持ってゴール前へ飛び込んでいくのではなく、密集のなかでスルリと頭を出してボールに触れるイメージである。ここでもポジショニングの妙を発揮している。
なぜ、あそこにいたのか。あそこへ走り込めたのか──。そんなゴールがいくつもあった。試合後にその理由を聞く。彼の答えは決まっていた。
「味方を信じて、ゴール前へ走り込む。点を取るという自分の仕事に集中するのです」
イタリアとフランスで結果を残したストライカーでも、点を取るためのシンプルな作業を怠らない、ということなのだろう。ただ、同じ答えを何度も聞いていると、こちらも少し物足りなくなる。
ストライカーとしての神髄を、もう少し深いところまで知りたくなる。あれこれと質問を変えていくうちに、ディアスは言った。
「相手をしっかりと観察するのです」
ペナルティエリア内でパスを受ける。目の前にはDFがいる。シュートコースを消している。
それでも、ディアスはコースを見つける。決して大げさではなく、ボール1個が通るぐらいのわずかなコースから、ゴールネットを揺らしてみせた。相手が警戒している左足を、時に強く、時に柔らかく振って。
ゴール前の彼は、打ち急ぐことがない。切り返しで相手DFを滑らせたあとのゴールが多かったのは、ギリギリまでシュートコースを探るからであり、彼よりも先に相手DFが焦れていたからなのだろう。
ディアスには、数秒後の未来が見えているようだった。ひょっとしたら本人が喜んでくれるかもしれないと期待して、ある試合後にそんな言葉を投げかけた。
通訳の言葉を聞いたディアスは、ちょっとだけ笑って答えた。
「もし未来が見えていたら、私はもっとうまくプレーできているし、もっとたくさんゴールが取れているよ。今日の得点も、味方を信じてゴール前へ走り込んだ結果です」
彼との言葉の駆け引きは、いつも完敗だった。
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