長い軍事独裁を経て民主化を実現し、経済成長著しいミャンマーで、2021年2月1日、軍事クーデターが起きた。自由と未来を奪われた市民は非暴力での抵抗運動を始めるが、軍の虐殺や弾圧を前に、武力闘争へと転向していく。当時ヤンゴン在住だった西方ちひろさんは、現在まで続くこの民主化闘争をSNSで発信し続けた。その貴重な記録が『ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか』(ホーム社)である。ミャンマー人の思い、そして「正しい戦争は、あるのかもしれない」と揺れる著者自身の心情も綴られる。
ミャンマー人を、「困っている人を放っておけない人たち」と西方さんは言う。また、長年ミャンマーの取材を続け、日本からこの民主化闘争を支援してきたノンフィクション作家の高野秀行さんは、「心が二つある人たち」と言う。ミャンマーを愛する二人が、刊行を機に語り合った。複雑な国で生きる優しい彼らの戦い方について。一方、軍はなぜ市民を弾圧し続けるのか。【後編】をお届けする。
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対談をする高野秀行氏(左)と西方ちひろ氏。本に登場する人たちの安全のため、顔は出せない
【なぜミャンマーの人には心が二つあるのか?】
高野
軍事クーデターが起きる前のヤンゴンって、東京と同じような都会でしたよね。民主化されて経済的にも発展して。それが2021年2月1日のクーデターによって急変した。さらにデモをすると軍に殺されたり捕らえられたりするので、市民たちが銃や爆弾を使うようになって......という、世界でも類を見ないことがミャンマーで続いているという話を【前編】でしました。以前は、夜中一人で歩いてても平気で、こんなに治安のいい国はないというくらい治安がよかったのに、クーデター後、めちゃくちゃ悪くなったと聞きます。
西方
確かに、戦闘をしていない地域でも、治安は悪くなりましたね。
私はクーデターが起きる数年前から2022年までヤンゴンに住んでいたのですが、クーデター後は夜8時以降外出禁止だったのに、帰りがギリギリになってしまったことがあるんです。アプリでタクシーを呼ぼうとしても呼べなくて、道路にもタクシーは走ってなくて、急いで走って帰っても間に合わない、どうしようと焦っていたら知らない車が止まって「家まで乗せていくよ」と。思い切って乗ったらちゃんと家まで送ってくれた上に、お金は要らないと。「とにかく気を付けな」と言って走り去っていきました。つまり、大多数のミャンマー人は変わっていないんですよね。だから治安が悪くなったと聞くと、悲しいなあと思います。
──タイトルではミャンマー市民を「優しい」と形容されています。どのような思いを込めましたか?
西方
市民全体を「優しい」という一言で表現していいのか......とても悩みました。ただ、個人的な体験として、出会う人、出会う人から、私はたくさんの優しさを受け取ってきたんです。彼らは、困っている人を放っておかない。大変そうだから放っておけないというのもあるし、人を助けることで自分の徳を積むという仏教精神がミャンマーに根付いていることもあるのですが、いずれにしても、私のこともいつも守ってくれました。
忘れられない光景があります。ある時、デモの最中に、弾圧に来た警察の車両がパンクしちゃったんですよ。そうしたらデモに参加していた人たちみんなで、車を押してあげたんです。そんな光景を見ると、この人たち、絶対に戦いたい人たちじゃない、と。
高野
いかにもミャンマー人なエピソードですね。困っている人が目の前にいたら、敵であっても、助けずにはいられない。ミャンマーの人って本当に親切だなとも思います。
西方
そうですね。親切と聞いて思い出すのは、これはクーデターとは関係ないエピソードですが、ミャンマーの人って、バスに乗ると、座っている人が立っている人の荷物を持ってあげるんです。それを知らなかったときは、バスに乗って立っていると荷物を引っ張られるから「え?」「何?」って不審に思っていたんですが、ああ、こういうマナーみたいなものがあるのかと。いいマナーだなって。
ポイ捨てが当たり前の国だが、デモ中にはゴミを拾う若者たちのおかげで、空き缶一つなかった(撮影:西方ちひろ)
高野
彼らはすごく社交上手でもあるんですよね。冗談がうまくて人懐っこい。とくにビルマ族がそうです。少数民族は山の民族なので、どちらかというと日本人に近く、口数が少なくて控えめなんだけど、低地に住んでいるビルマ族やビルマ族の文化を取り入れている人たちはものすごくオープン。積極的にジョークを言ってラクにさせてくれるので、日本人とめちゃくちゃ相性がいいと思う。
西方
わかります。あっけらかんとしているところもあって、そういう彼らにどれだけ助けられたことか。たとえば軍がひどい法案を通すと、私は怒りでヒートアップするんですよ。そんなときミャンマーの人たちは、「大丈夫だ、俺たちはわかってた」「怒りを爆発させると相手の思うツボだから、こういうときは早く寝たほうがいい」とか言って、夕方4時とかに寝ちゃう。憎めない人たちなんですよね。
高野
僕のイメージでは、ミャンマ―の人って、心が二つあるんです。肺や腎臓みたいに。どんなに悲しんでも怒っても、片方の心しかいっぱいにならなくて、もう片方で冗談を言ったり、おいしいもの食べたいなとか、現実的なことを考えていたりする。
西方
ああ、なるほど。その二つの心の大きさは、人によって違うけれども。
高野
そうですね。憎しみや悲しみでおしつぶされてしまったら、人間もたないじゃないですか。だから、つねに片方を、全く違うもののために空けてあるような気がしてならないです。東京で反軍活動のために集まって必死にデモをして時に涙を流しても、終わったあとはみんなでご飯を食べに行って、パーティーかと思うほど、大騒ぎするんですよ。だからシリアスな活動をしているのに、彼らと一緒にいると、ラクになるという不思議な現象が起きました。
これは彼らが強(したた)かというのとはちょっと違って、半分半分で戦っているというか、半分半分だから戦い続けられるんだろうという気がします。ミャンマーに限らず、複雑な国で生きている人は、多かれ少なかれ、こういうところがあります。生真面目で隙のない日本人は、ちょっと取り入れてもいいんじゃないかなと思いますね。
【大日本帝国陸軍のDNAと、イギリス植民地支配から生まれたミャンマー軍】
──軍も同じミャンマー人なのに、なぜここまで市民を弾圧するのでしょうか?
高野
軍の上のほうの人たちは、家族ごと同じエリアに住んでいて、軍の世界だけで生きているんです。クーデターに対して、「こんなことはおかしい」と思う人が中にはいたかもしれませんが、逃げられない状況にあると思います。
実は、僕の知り合いが、軍の幹部レベルの将校に間接的にインタビューしたことがあります。なぜそんなことができたかといえば、軍の人間も不安だから。ミャンマーの市民が本当はどう思っているのか、どういう状況なのかを、彼らも知りたいんだと。
西方
わかります。軍は恐怖体制を敷いているから、正確な情報が入ってこないんですよね。軍事クーデターが起きる前の選挙で、軍が負けてNLD(国民民主連盟、アウンサンスーチー氏が党首)が勝ったときも、軍以外のミャンマー人はみんなNLDが当然勝つとわかっていたのに、軍だけは自分たちが圧勝すると信じていたそうです。それは、周囲の人が忖度して、軍上層部が喜ぶような情報ばかりを届けていたからだと聞いたことがあります。
高架橋に吊るされた、民主化指導者アウンサンスーチー氏の肖像。クーデターで軍に拘束されている(撮影:西方ちひろ)
高野
歴史的に見るとミャンマー国軍って、大日本帝国陸軍のDNAを引き継いでいるんです。アウンサンスーチー氏の父親・アウンサン将軍を含めた30人が、日本軍の南機関(日本軍の特務機関)で育成されて軍人になったわけだから。そうしたDNAを持つミャンマー軍は、軍のトップが国を支配するのは当然で、その責務があると思っているんじゃないですかね。
西方
それは彼らなりの愛国心でもあるんでしょうね。
高野
それからもう一つ、軍の由来にはイギリス人の植民地支配があります。ミャンマーを植民地にしていたイギリス人にとって、ミャンマー人は子供のようなもので、自分たちが指導してあげなければいけない対象だと信じて疑わなかったんです。独立後、そのポジションに、大日本帝国陸軍のDNAを持つ人たちがするっと入ってきちゃったから、とても始末に負えなくなってしまったというのが僕の理解です。
西方
確かに、軍の人は一般市民のことを、すごく下等というか、下位の人間だとみなしていると感じることがよくありました。同じ人間だと思っていたらできないようなことをするので。
一方で、軍に入っていなかったら仲良くなれた人はいるだろうな、と私は思っています。軍事クーデター後、道を歩いているときや、タクシーを乗っているときに止められて、兵士に荷物をチェックされることがあったんです。嫌な思いをしたこともありますが、優しい兵士も結構いるんですよ。荷物をパッと見て、「チェーズーベー(ありがとう)」と言って、ニコッと微笑んでくれたりする。やめてくれ、と思いました。軍が嫌いだという気持ちが揺らぐから、そんな笑顔を見せないでくれと。やっぱり、一人ひとりは優しいのかもしれないと思います。
【「自分たちでやるしかない」「みんながなんとかしたいと思っていた」】
──この本には、ミャンマーの軍事クーデターと民主化闘争に対する国際社会の反応も描かれています。<(ミャンマーの人を)失望させ、武器を手にとらせたのは、国際社会の無関心なのだ>と。国際社会とは何か、ということを考えさせられます。
西方
当初、市民が「非暴力」での抵抗を徹底していたのは、暴力をふるうと軍に弾圧されるから、というのもあったんですが、それ以上に、非暴力の姿を見せれば国際社会が助けに来てくれると信じていたからです。ですが、1か月、2か月、それ以上待っても助けは来なかった。軍の弾圧や虐殺が加速するなかで、非暴力から武力闘争に変わっていったのは、やむを得なかったと思っています。
そしてミャンマーの人たちも、そうなってしまったことを、これで良かったんだ、と納得しようとしていたのではないかと思います。
長年アフガニスタンで軍事作戦をおこなってきたアメリカ軍が撤退したとき(2021年8月)、アフガニスタン市民がアメリカに逃れようとして大混乱が起き、その後、すぐにタリバン政権が戻ってきてしまった。そのニュースを見たミャンマーの友人は、こう言いました。「他の国に助けてもらうと、最終的にはこうなってしまうのかもしれない。だからやっぱり僕たちは、自分たちでやるしかなかったんだ」と。それを聞いて、私は申し訳ないような気持ちになりました。
民主派の政府NUG(国民統一政府)を支持する、という英語で書かれたメッセージ。こうした意思表示も、命がけだ(撮影:西方ちひろ)
高野
でもね、国際社会は決して無関心だったわけではないんです。2021年当時はウクライナ侵攻も始まっていなくて、世界は比較的落ち着いていたんですよ。だからミャンマーのことは日本でも大きなニュースになったし、世界的にも注目を集めていたと思う。国際社会は無関心でなくて、無力だったんですね。
西方
ああ、そうか。無関心ではなく、無力だったんですね。
高野
ウクライナ戦争の場合は、ロシアが侵略したから西側諸国は武器援助をしたわけです。ミャンマーの場合も、中国やタイが侵攻したら武器を供与したかもしれないけど、国内でやっているので止めるすべがない。軍に「やめろ」というのは多くの国が言っているし、日本政府も非難声明を出しているんだけど、やめない。あとは軍事介入しかないですが、米軍を中心とする多国籍軍が軍事介入するとどうなるかは、イラク戦争をみればわかります。国がめちゃくちゃになってたくさんの人が亡くなりました。
だから、いちばん頑張っていたのはもちろん世界中のミャンマー人なんだけど、日本人も、たとえば政治家は「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」を超党派でつくって、活動していました。僕も何度か集会に参加しましたが、日本政府が軍との関係を深めないよう圧力をかけたり、ODAを止めるよう要請したり。国際社会といっても西側諸国だけではないので、ロシアや中国がミャンマー軍側につかないように見張ることも重要だった。
一般の日本人も、寄付をはじめ、いろんな形で支援していましたよ。池袋には「スプリング・レボリューション(Spring Revolution Restaurant)」というレストランができたんです(現在は日暮里に移転)。有志のミャンマー人が始めて、売上をぜんぶ反軍活動に寄付しています。大家さんはミャンマーとは関係のない日本人ですが、確か無料で場所を貸していたと思います。
と、ここで僕が声を大にして言うのは、自分自身の承認欲求を満たしたい思いもあるんだけど、それよりも、ミャンマーの国内にいる人たちにぜひとも伝えたいからです。決して見捨てられていたわけではないし、みんなが何とかしたいと思っていたことを、伝えたいんですよ。
西方
お話を聞きながら、ああ、そうだったんだという驚きがありました。私は渦中にいたので、ミャンマー国外で何が起きていたのか、知らなかったことも多かったですし、「注目してほしい」という思いが強かったので、少しでも世界の関心が減ると不安になってしまって......。でも確かにミャンマーの人たちは、SNSで海外の状況を逐一チェックしていたので、高野さんのような方たちの活動は、ミャンマー国内で頑張る人の大きな支えになっていたはずですね。
【軍はジリ貧。ミャンマーのこれからについて】
──12月に選挙が予定されています。自由を求める市民たちの戦いは今後どうなっていくと予想されますか。
高野
12月の選挙は、既成事実づくりの選挙です。軍関係の政党しか出られないわけなので。で、今も続いている反軍活動がどうなっていくかといえば、軍側が完全に勝つことはないだろうと言われていますし、僕もそう思っています。9割以上の市民から支持されていないので、兵士も集まらないし、希望せずに兵士になる人はいても士気が低いし、高齢化が進みジリ貧になっていくだろうと。ただ、中国やロシアの支援があるだろうから、状況が簡単にはひっくり返らないとも思うんですね。
西方
そうですね。軍側と民主派側、どちらか一方が完全に勝利するというのは現実的ではないと私も思います。今、民主派側の軍(国民防衛隊、PDF)は、国軍との戦闘に勝って、自分たちの支配地域を広げようとしています。そうすれば、いつか国軍と交渉することになったときに、交渉を有利に進めることができるはずだと、私がインタビューしたPDFの人が話してくれました。
ただ、【前編】でも言いましたが、国を作り変えたいビルマ族と、自分の土地を自分で治めたい少数民族たちとでは、最終的に目指すゴールが異なります。今は共闘しているけれど、どこかでその違いが表面化してくるだろうとは思います。
高野
まずは今の軍を排除する。そこからが新しいスタートになるんでしょうね。
街を走り回る軍の車両からは、いつも人々に向かって銃口が向けられていた
西方
そうですね。高野さん、今日はありがとうございました。軍事クーデター後の約1年間、ミャンマーで見たこと、聞いたことをとにかく伝えなければ、という一心で書き続けてきましたが、高野さんがその価値を定義づけてくださって、とても嬉しかったです。
高野
僕はずっと、ミャンマーの話をしたくてたまらなかったんですよ。まだまだ話し足りないですが、こちらこそ、今日はありがとうございました。
●高野秀行
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。モットーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かない本を書く」。『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。『ワセダ三畳青春記』で酒飲み書店員大賞、『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞および梅棹忠夫・山と探検文学賞、『イラク水滸伝』で植村直己冒険賞およびBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。『語学の天才まで1億光年』、『酒を主食とする人々』など著書多数。ミャンマー関連の著書に『アヘン王国潜入記』、『西南シルクロードは密林に消える』、『ミャンマーの柳生一族』がある。
●西方ちひろ
関東出身。学生時代に世界各地を旅して、日本と途上国との格差を目の当たりにする。卒業後、国際開発の仕事に従事し、アジアなどで働く。趣味は読書とアウトドア。モットーは「誰に対しても同じ言葉で話す」こと。
構成/砂田明子
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