【平成の名力士列伝:雅山】「平成の新怪物」としての衝撃と大関陥落後68場所で魅せたいぶし銀の活躍

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【平成の名力士列伝:雅山】「平成の新怪物」としての衝撃と大関陥落後68場所で魅せたいぶし銀の活躍

11月15日(土) 6:55

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ケガで土俵人生が暗転したが、その後も粘り強く力を発揮した雅山photo by Jiji Press

ケガで土俵人生が暗転したが、その後も粘り強く力を発揮した雅山photo by Jiji Press





連載・平成の名力士列伝63:雅山

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、大関までのスピード昇進の凄みとケガ以降の粘り強い土俵人生でインパクトを残した、雅山を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【初土俵から所用12場所で大関へ】異例のスピード出世で大関に駆け上がって「平成の新怪物」と称されたあと、ケガのためわずか8場所でその座を明け渡して平幕に陥落した雅山。しかし、試練を乗り越えて三役に復帰し優勝決定戦も経験するなど長く活躍した。平成時代中期の土俵で波乱万丈にして多彩な相撲人生を送った、唯一無二の力士だった。

昭和52(1977)年生まれで茨城県水戸市出身。小学生の頃から体が大きく、運動神経に優れ、水戸市の相撲大会では敵なしだったという。中学では柔道部に所属しながら水戸農業高校相撲部の練習に通い、のちの大関・武双山の父で茨城県相撲連盟理事長の尾曽正人氏の指導を受けて力をつけた。

当時のライバルはのちの関脇・玉乃島。中3時には全国中学校相撲選手権決勝で雅山が勝って中学横綱に輝いたが、高3時のインターハイでは準々決勝で玉乃島に敗れ、高校横綱を逃している。高校卒業後は明治大に進んで1年時からレギュラーになり、2年時から全国タイトルを取るなど活躍したが、東洋大に進んだ玉乃島が2年で中退して入門したのに刺激を受け、3年で中退。郷里の先輩の武双山がいる、元横綱・三重ノ海の武蔵川部屋に入門した。

平成10(1998)年7月場所、幕下付け出しで初土俵を踏むと、異例のスピードで番付を駆け上がった。2場所連続7戦全勝で幕下優勝を果たして関取に昇進すると、十両でも12勝3敗、14勝1敗で連続優勝。幕下付け出しから4場所連続優勝という空前絶後の快挙で、一気に新入幕を果たす。「平成の怪物」と言われた先輩の武双山も上回る圧巻の成績で、「平成の新怪物」との異名がつけられた。

ザンバラ髪で土俵に上がった新入幕の平成11(1999)年3月場所も9勝し敢闘賞。新小結の平成12(2000)年1月場所は横綱・曙らを倒して12勝。3月場所は新関脇で曙、若乃花の2横綱を倒し、千秋楽は2敗で単独首位の貴闘力と1差の3敗で対戦。勝てば優勝決定戦の一番は攻め込みながら逆転されて大魚を逸したが、11勝で敢闘賞。5月場所も11勝して敢闘賞に輝き、場所後に22歳で大関昇進。初土俵以来所要12場所は豊山と並ぶ戦後最速タイだった。

突き押しの威力に加え、イナしたり、差して頭をつけたりするうまさや土俵際の粘りも備え、一気に横綱昇進と期待された。

【ケガで暗転した相撲人生も再大関に迫る活躍】ところが、順調だった相撲人生はここから暗転する。右肩、左手首とケガが続き、カド番で迎えた平成13(2001)年9月場所は左足首を痛めて途中休場。在位8場所、24歳の若さで大関の座を開け渡した。翌11月場所を公傷全休した雅山は、学生時代から痛めていた右肩の手術に踏みきった。平成14(2002)1月場所で10勝すれば大関復帰だったが、回復が間に合わず全休。3場所ぶりに出場した3月場所、番付は東前頭8枚目まで落ちていた。

不安のなかで迎えた初日、両親から贈られた若草色の締め込みで3場所ぶりに土俵に上がり、玉春日を寄り切った雅山の耳に、観客の温かい拍手が届いた。

「勝ち越しでも優勝でもないのに、あんなに拍手をもらって、本当にうれしかった」。支度部屋で号泣した雅山は、「まだやり直しのきく年齢だから、早く復活できるように頑張ります」と自らを奮い立たせ、再起に向け歩み始めた。

その後、左肩を痛めて休場という試練も味わいながら土俵に上がり続け、平成15(2003)年9月場所で関脇に復帰。平成17(2005)年11月場所、東前頭4枚目で3大関を破って10勝し、5年半ぶりの三賞となる敢闘賞に輝くと、再小結の平成18(2006)年3月場所は10勝。再関脇の5月場所は、新大関・白鵬に初黒星をつけるなど4大関を破って14勝の大活躍。優勝決定戦では白鵬に雪辱されて優勝は逃したが、殊勲賞と技能賞に輝いた。

7月場所も10勝し、3場所連続三役で計34勝。大関復帰が見送られたのは無念だが、その後も朝青龍から2個の金星を奪い、十両に陥落しながら小結に復帰するなど奮戦。一気に大関に駆け上がった時とは違う、いぶし銀の実力者として存在感を示した。

平成25(2013)年3月場所、幕下陥落が決定的となって引退。大関陥落後68場所の現役生活は、今も破られない、史上1位の記録だ。

引退後は年寄二子山を襲名し、二子山部屋を創設。幕内・狼雅、十両の生田目、三田らを育てているほか、相撲部屋の日常生活などを配信するYouTubeは新たな相撲ファン層獲得にひと役買っており、現役生活同様、親方としても唯一無二の活躍が期待される。

【Profile】雅山哲士(みやびやま・てつし)/昭和52(1977)年7月28日生まれ、茨城県水戸市出身/本名:竹内雅人/所属:武蔵川部屋→藤島部屋/しこ名履歴:竹内→雅山/初土俵:平成10(1998)年7月場所/引退場所:平成25(2013)年3月場所/最高位:大関

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