【短期連載】証言・棚橋弘至〜長州力が見た稀代のレスラー
2026年1月4月の東京ドーム大会を最後に、26年の現役生活に別れを告げる棚橋弘至。新日本プロレスの屋台骨を支え続けたエースが歩んできた道の原点には、入門テストで彼を見つめた長州力の視線があった。数々の記憶をたどりながら、時に厳しく、時にユーモラスに、長州力が棚橋弘を語った。
棚橋弘至が新日本プロレスの入門テストを受けた時に試験官を務めていた長州力撮影/タイコウクニヨシ
【ちゃんと大学を卒業してから来い】
──棚橋弘至選手が新日本プロレスの入門テストを受けた時、長州さんも試験官を務められていましたよね?
長州
ああ、なんかそうらしいよね。オレが合格にしたっていう。棚橋は最初からできていたんだよな。
──基礎体力と身体ができあがっていた。
長州
うん。あいつ、たしか大学生だったんだよ。
──立命館大学在籍中に合格して、棚橋選手はすぐにでも入門したかったらしいんですが、長州さんが「ちゃんと大学を卒業してから来い」と言ったとか。
長州
そりゃそうだろう。それはそう言うよ。いくら入門したからって、そのあとちゃんと練習についてこられたとしても、デビューできるかなんてわかんないじゃん。プロレスという世界で、もしダメだった場合、大卒の資格を持っていたほうがつぶしきくじゃん。こんなオレでも、一応大卒で体育会系をやりきったわけだし。でも、あいつもしぶとく頑張ってやったよね。やっぱりオレとは違ってプロレスが好きで入ってきたから。それは藤波(辰爾)さんもそうだったけど。
──長州さん自身はもともとプロレスが好きだったわけじゃなく、アマレスの実績を買われてのスカウトだったと。
長州
自分がプロレスをこなせるとは思えなかったけどな。でもさ、棚橋って本当にプロレスを愛していたと思う?
──と、言いますと?
長州
いつも言ってたじゃん。「愛しておりまーす!」って。
──そこまで丁寧な言い方ではなく、「愛してまーす!」ですね。あの決めゼリフは応援してくれるプロレスファンに向けたものです。
長州
オレ、プロレスを愛していたかって聞かれたら、「はい! 愛しておりました!」って即答はできないかもわかんない。やっぱりオレにとってのプロレスは、最初は生活するための糧であり、アマレスでできあがっていた身体を生かすためのものだった。まあ、でも感謝だよね。こんなのが一般社会に出ても通用しないじゃん。
「革命戦士」の異名を取り、数々の名勝負を繰り広げた長州力photo by Sankei Visual
【棚橋は人間としてちゃんとしてる】
──そんなこともないと思いますけど。長州さんは体育会系ですし、大学で主将も務めていたので組織をまとめる力もあると思います。
長州
まあ、それで新日本で現場監督もやっていたわけだけども。蝶野(正洋)がいつも集合時間に来ないから、しょっちゅう雷を落としたりもしたよね。あ? そういえば蝶野って引退してないよね?どうして蝶野よりも棚橋のほうが先に引退するんだ?
──人それぞれ、考えがあってのことだと思います。
長州
時間にルーズだから、そうやってずるずると引きずっちゃうんだろうな。そういう意味では棚橋は人間としてちゃんとしてるもん。時間にルーズじゃないし、言うほどチャラくもないじゃん。
──真面目にチャラいキャラクターを演じ続けたというか。
長州
どっちかというと、馳(浩)のほうがチャラかったじゃん。馳が最初、小さい黄色のパンツを穿いて腰をクネクネやりだした時はオレも言ったもん。「おまえ、それ、マジでやってんのか?」って。でも馳も頑固にそれをやり続けたし、それだったらオレから言うことはとくにもう(何もない)。
まあ、そうやって馳みたいなヤツを経ての、棚橋たちの時代だから。いきなり昭和の黒いパンツを穿いた連中のなかにポッと入ってきたわけじゃないから、その時代その時代、フィットする形でやればいいんじゃないの。逆にオレみたいなのが今のリングに上がってきたら浮いちゃうぞ(笑)。昔は昔、今は今。オレからは何も言うことはない。だけどまあ、棚橋もよくここまでこなしたよね。一度も(新日本を)飛び出すことなく。
──他団体に移籍することなく、デビューから引退までずっと新日本でした。
長州
オレはよく言うけど、「無事故・無違反で上にあがっていったヤツはいない」っていう。それはプロレスに限らず、どの世界でもそうじゃん。飛び出したいと思ったことはないのかね?
──まだトップを取る前、WWEに魅力を感じていた時期はあったみたいですね。
長州
一度飛び出してみても面白かったと思うけどね。
棚橋弘至にエールを送る長州力撮影/タイコウクニヨシ
【誰がオレに社長をやってほしいと思うんだよ】
──2004年に長州さんが現場監督として新日本に復帰した頃の棚橋選手の印象はどうでしたか?
長州
もう覚えちゃいないよ。レスラーたちはみんな頑張ってた。でも細かいことはまったく覚えてない。
──まったく......。では、付き人を務めていた頃の棚橋さんはどうですか?
長州
あー、一生懸命仕事してくれてたよ。なんの文句もなかった。よく飯には連れて行った気がするけど、別に会話をするようなこともなく......。えっ、なんで今日はそんなにプロレスのことばっか聞いてくるの?
──今日は「棚橋弘至」がインタビューのテーマでして。
長州
ああ、そうか。おまえ、オタクになっちゃったのかと思って心配したぞ。サインでも書いてやらなきゃ帰らないんじゃないかって(笑)。このへんでもういい?
──もうちょっとだけお願いします。
長州
あ?いや、オレはおまえの思う「棚橋弘至」が聞きたいよ。会ったことあるんだろ?
──何度もありますね。
長州
どう?やっぱチャラい?
──まったくチャラくないと思います。
長州
だよな。取材には協力的?
──とても協力的な人です。
長州
そこはオレとは真逆?
──真逆です。
長州
棚橋はオレのこと、なんか言ってる?
──「ずっと怖かった」と言ってました。
長州
やっぱオレって怖いの?
──めちゃくちゃ怖いです。
長州
どういうところが怖い?
──全部です。
長州
棚橋は怖くないの?
──とても優しいです。
長州
オレはチャラい?
──全然チャラくないでしょう!(笑)
長州
棚橋はどうして引退すると思う?
──社長業に専念するということだと思います。
長州
棚橋は社長に向いてると思う?
──断言はできませんが、おおむね向いている気がします。
長州
なぜそう思うんだ?
──勉強熱心ですし、やっぱりクリーンなイメージがありますから、今の時代にふさわしいのかなと。長州さんは新日本時代、社長就任を打診されたことはないんですか?
長州
あるわきゃねえだろ(笑)。誰がオレに社長をやってほしいと思うんだよ。オレはすぐに脅かしちゃうから、すぐにパワハラで解任されちゃうよ。その時の気分だからな、オレは。あー、もう、このへんで堪忍してくれ。
──最後に、来年1月4日に現役を引退する棚橋選手にひと言お願いします。
長州
まあ、領収書の精算には常に気をつけて。やっぱ、なかには不透明な経費もあると思うんだよ。チリも積もれば山じゃん。そういう不透明な経費に関して「これは認められません」と社員たちに言えるかどうかなんじゃないの?
坂口(征二)さんが社長だった時は、オレ、何度も領収書を突き返されたからな。でも、そういう厳しさが社長にあったから、あの時の新日本は繁栄したじゃん。やっぱ、経費だよ。なんでもかんでも精算しちゃダメだろうな。
長州力(ちょうしゅう・りき)
/1951年12月3日生まれ。山口県出身。専修大学時代にレスリングで活躍し、72年ミュンヘン五輪に日本代表として出場。卒業後、新日本プロレスに入門し74年にデビュー。 "革命戦士"としての闘争心あふれるファイトで人気を博し、アントニオ猪木、藤波辰爾らと数々の名勝負を繰り広げた。80年代には「ジャパンプロレス」結成や全日本プロレス参戦を経て、再び新日本に復帰。現役晩年までカリスマ的存在感を放ち続け、多くの後進に影響を与えた。引退後はタレント活動でも独特のキャラクターで幅広く支持されている
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