マセラティが主力モデルの製造拠点を聖地モデナへ移転|「マセラティ メッカニカ・リーリカ」で見た今後の方向性

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マセラティが主力モデルの製造拠点を聖地モデナへ移転|「マセラティ メッカニカ・リーリカ」で見た今後の方向性

11月13日(木) 18:11

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11月5日、北イタリア モデナ。モデナ・パヴァロッティ歌劇場(Teatro Comunale Modena Pavarotti-Freni)はジャン=フィリップ・インパラートCEOを筆頭にマセラティ従業員達やモデナのセレブリティ達で満員となっていた。ご存じモデナは、三大テノールの一人であるルチアーノ・パヴァロッティ生誕の地であり、オペラの聖地だ。そして、もちろん111周年の歴史を持つマセラティの本拠地でもある。

【画像】これからのマセラティについてのメッセージが発表された「マセラティ メッカニカ・リーリカ」(写真20点)

ここしばらく大きなニュースが聞かれなかったマセラティではあるが、久方ぶりに、新たにCEOとなったジャン=フィリップ・インパラートと、COOとしてタッグを組むサント・フィチッリがこれからのマセラティについてのメッセージを発信する場が設けられた。それが、このオペラ劇場であり、そのテーマは「マセラティ メッカニカ・リーリカ(Maserati Meccanica Lirica)」と発表された。

満員の劇場で演奏されたのは、プッチーニのオペラ、トゥーランドット。指揮者は、当劇場の音楽監督である吉田裕史マエストロ。彼はマセラティ創立100周年イベントにおいても、清水寺で開催されたガラ・コンサートの指揮を担当している。

皆が斬新な演出が行われたオペラを堪能したのはもちろんのことだったが、そのクライマックスにはサプライズがあった。当地モデナ工場生産のワンオフモデル、「グラントゥーリズモ・メカニカ・リーリカ」のステージ上への登場であった。当劇場のイメージにインスパイアされた、深赤のロッソ・ヴェルート(Rosso Velluto)に彩られたグラントゥーリズモの登場したエンディングに、客席は大歓声であった。

演目の終了後、サント・フィチッリCOOがステージに登場し、「メッカニカ・リーリカ」宣言が行われた。このテーマには「モデナ文化を象徴する二つの柱である、オペラとマセラティのグランツーリスモの融合」という意味が込められており、パヴァロッティ生誕の地であるモデナの文化とグラントゥーリズモの原点を作ったマセラティとの絆を再確認するという想いが込められている、と説明された。フィチッリは、マセラティにとってアイコニックなモデルである、グラントゥーリズモ、グランカブリオの生産拠点がモデナに再び戻ってきたことをここに宣言したのだった。

2022年にデビューを飾った現行の二代目グラントゥーリズモ系であるが、当初はトリノのミラフィオーリ工場において生産が開始され(初代グラントゥーリズモ系はモデナ製造)、ICEモデルと同時に完全電動モデル、フォルゴレもラインナップされた。しかし、ハイパフォーマンスカー・セグメントにおけるBEVセールスの伸び悩みに関して、マセラティも例外ではなかった。ステランティスグループの中で、ハイエンドのマーケットを受け持つマセラティとして方向転換が求められ、今回の製造拠点変更に至った。この背景には様々な理由があると考えられるが、生産の効率化と後述するブランディングに関わる要因であろう。

マセラティの製造拠点
そもそも、マセラティ111年の歴史の後半は、生産量拡大とブランドの聖地モデナの製造拠点の折り合いをどうつけるか、という葛藤の中にあったともいえる。

北イタリアのモーターヴァレー、モデナを本拠とするマセラティの本社工場の起源は1939年まで遡ることができる。マセラティのオーナーであったオルシ家がモデナを自動車産業の基点とすべく最新の工房を設立した。それから90年余りを経た現在でも、その中身は絶えずリニューアルされているが、建造物の外壁は歴史的建造物に認定され、当時の趣を保っている。

モデナ本社工場は、昨今の自動車工場としては珍しく市街地の真ん中に位置する。世界遺産のドゥオーモや、マッシモ・ボットゥーラのオステリア・フランチェスカーナといった名所とも徒歩圏内にあるのだ。訪れるにはたいへん魅力的な立地ではあるが、市街地にあるゆえ、その敷地を拡大することは難しく、物流導線に関しても効率的ではない。

歴史を振り返ってみるならば、1980年代、アレッサンドロ・デ・トマソ配下で大量生産に挑戦した”ビトゥルボ時代”には、ボディワークやアッセンブルのかなりの部分をミラノのイノチェンティ工場が受け持った。その後、フェラーリ傘下となり、クアトロポルテⅤのヒットと共に年間生産台数が9000台あまりに増えると、生産量拡大は重要な課題となり、フェラーリのマラネッロ工場におけるアウトソーシング化が進んだ。このように外部拠点との連携は必須でもあった。

それを打破しようと取り組んだのが、マセラティを新体制でマネージメントすることとなったFCA(現ステランティス)の故セルジオ・マルキオンネであった。それまで年間1万台以下の少量生産ブランドであったマセラティを年間生産台数7万5千台という野心的な目標の元に拡大戦略へと進めたのは2010年代のことであった。

FCAグループのリソースを活用し、充分な敷地面積を持ったトリノ、グルリアスコ工場を新設し、続けてミラフィオーリ工場も増設するという積極的な投資を行った。ここにクアトロポルテⅥ、ギブリⅢ、そしてレヴァンテといった4ドア系の生産体制が整った。歴史的に見ても、マセラティは「クアトロポルテ」ブランドで大型ハイパフォーマンス・セダンのブランディングを成功させた稀有なメーカーであり、このセグメントにおける圧倒的な地位を保持していたから、そのDNAを最大活用しようという意図であった。

このように生産量拡大へと向かったマセラティにとって、難しい立ち位置となったのはモデナ本社工場であった。当時、初代グラントゥーリズモ系の製造が行われていたが、後継モデルの開発も進まず、中途半端な位置にあった。前述したように、量産には不向きで、キャパシティ不足の工場へ新規に投資を行うという決断がなかなか下されず、モデナ工場はあくまで本社機能として維持し、生産拠点としての役割を終わらせるという案までが検討された。それが2010年代後半のことであった。

しかし、マセラティのようなハイパフォーマンスカー・メーカーにとって、その車がどこで作られたかというのは、何よりも重要なポイントであり、そこが一般的な量産車とは異なる点だ。ファン・マヌエル・ファンジオやスターリング・モスらが訪れて、アイコニックなレースカーのセッティングをおこなったこのモデナ工場でマセラティが作られていることが大きな存在意義となる。モデナ工場廃止案には多くの反対意見が寄せられた。

少量生産ブランドへの回帰
そんな葛藤の中で、”MMXX: Time to be audacious”のメッセージを引っ提げ、フラッグシップのMC20のモデナ生産が決定したのは2020年の事であった。今回の「メッカニカ・リーリカ」宣言では、モデナ工場の存在感をより高め、MCプーラ、GT2ストラダーレ、グラントゥーリズモ、グランカブリオの4モデルをモデナ本社工場で行うということを表明したのだ。

劇場でプレゼンテーションが行われた翌日の6日に、マセラティのモデナ本社工場では、モデナ市幹部やメディアが招かれた。リニューアルが行われたアッセンブリーラインにてテープカットセレモニーが行われ、モデナ工場の未来について語られた。メインアッセンブリーライン棟には新たにラインが増設され、ミッドマウントエンジン系とフロントエンジン系という2つのモデルがランダムにラインを流れていくシステムが既に稼働を開始していた。4モデルあわせて、7台/日の生産体制が早くもスタートしているという。

マセラティがモデナへと主力モデルの製造拠点を移転したというのは、単に物理的な問題に留まらず、マセラティのブランドの方向性を明確にするという大きな意味がある。つまり、これまで少し明確ではなかった生産規模に対する考え方を明確にした。モデナ工場を主力とした少量生産ブランドへの回帰と受け取ってよいであろう。今回のプレゼンテーションでは、インパラートCEOとフィチッリCOOがそれぞれの立場を明確にして、責任ある発言をしていたことが印象的と筆者は感じた。より具体的な言葉として語られたマセラティの将来に対して大いに期待したい。


文:越湖信一写真:越湖信一、マセラティWords: Shinichi EKKOPhotography: Shinichi EKKO, Maserati
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