「執念深さだけで会計士の資格を取った」ボートレーサー・渡邉雄朗が掲げる目標までの長い道のり

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「執念深さだけで会計士の資格を取った」ボートレーサー・渡邉雄朗が掲げる目標までの長い道のり

11月12日(水) 7:10

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最高ランクA1級で活躍する渡邉雄朗photo by Ishikawa Takao

最高ランクA1級で活躍する渡邉雄朗photo by Ishikawa Takao





文武両道の裏側第23回

渡邉雄朗(ボートレーサー)後編(全2回)

【ボコボコにされてきた】現役ボートレーサー・渡邉雄朗は、ボートレース界で最高位のA1級として第一線で活躍していながら、かつて公認会計士だったという経歴を持っている。これだけ聞けば、渡邉が世間で言う文武両道の「天才」なのだと思うかもしれない。

だが、それは少し違う。渡邉の人生をひも解くと非常に泥臭く、愚直な道をたどってきている。それにとどまらず、渡邉は大学入試でも、公認会計士試験でも、いつも入口の段階でつまずいている。本人の言葉を借りれば「ボコボコにされてきた」経験ばかりだ。

ただ、「執念深さはあります。そこだけで会計士の資格は取ったと思っています」と、渡邉は自らを評した。

前編でも触れたが、渡邉は大学受験の際に1年浪人している。当時については「受験をなめていたっていうのもあるんですけど、絶対受かるだろうなってところを落ちて、ちゃんとやんなきゃダメだって思った」と振り返っている。

次に法政大学時代に挑んだ会計士試験だが、驚くことに難関資格にもかかわらず「どうせすぐに受かるだろう」と思って半年での合格を目指していた。当然一次試験で不合格となったところで、やっと本腰を入れた。

その後は熱中していたボクシングを辞め、その熱量をすべて会計士試験の勉強に注ぎ、大学在学中に合格してみせた。

挫折してから驚異的な熱量と集中力、継続力で壁を越える。これが渡邉のスタイルだが、それはボートレースの世界に入ってからも同じだった。

【最下位クラスの過去】渡邉は2012年4月にボートレーサー養成機関「やまと学校(現・ボートレーサー養成所)」に112期生として入学。もうすぐ26歳になるというタイミングだった。

ボートレーサーの養成所と言えば、厳しい管理生活と過酷な訓練で知られている。過去に多くのスポーツに挑戦してきた渡邉でも「大変でしたよ。地獄でしたね」と当時を振り返る。

「出来が悪かったんで。ボート操縦とか整備とかも全然できなくて、成績も最下位クラス。水面でも全然練習させてもらえなかったです。実力も開く一方でした」

同期ではあっても周りの訓練生は20歳前後が多い。渡邉からすれば年下である。そんな同期たちのほうが、次々に上達していった。渡邉の同期には馬場剛や石丸海渡ら、現在もA級として活躍する選手が多数いるが、渡邉は彼らの後塵を拝していた。

ただ、そんな状況が渡邉の反骨心に火をつける。

「彼らのほうが操縦もすぐにうまくなるんです。でも、卒業してからはその反骨心で頑張れたかなというところはあります。馬場とか石丸に負けたくなかったんで」

怒られてばかりだったという渡邉だが、養成所のリーグ戦では1度だけだが優出(優勝戦に出場すること)を記録。勝率も5.70と悪くない数字を残した。

そして2013年5月にデビューを果たすと、29走目で初勝利を挙げる。これは、養成所で追いつけなかった馬場や石丸よりも早く、112期の中では3番目の早さだ。養成所時代から抱いていた執念深さが実を結んだ瞬間だった。

初勝利はボートレースで最も不利な6コースからまくったものだったが、この「まくり」が渡邉の身上となる。エンジンのパワーを引き出して早いスタートを決め、豪快にまくる――。このスタイルを確立させた渡邉は、デビューしてから8期目に初めてA2級に昇格する。

真剣な表情でエンジンを確認する渡邉photo by Ishikawa Takao

真剣な表情でエンジンを確認する渡邉photo by Ishikawa Takao





【フライングで停滞】ところが、その後はA級とB級を行き来する期間に突入する。原因はフライングだった。

「最初はガツガツやる気があったほうがいいなと思っていたんですよ。積極的に勝ちに行くスタイルで、まくりが一番だ、みたいな。そのスタイルだとすぐフライングするんですよね。そうなるとまくりも封印されて。もう一発やろうと思ったら2本目もフライングを切って。そこで停滞しちゃったんですよね」

ボートレースではフライングのペナルティが重く、1本フライングを切ると30日間レースに出場できなくなる。1期(6カ月)の間にフライングを2本切る「F2」になると、合計で90日もの間レースから離れてしまう。

渡邉の場合、このF2になった回数だけでも通算5回。思うようにレースをすることができず、勝率が伸び悩んだ時期があった。同期との争いは、いつしか自分との戦いになっていたのだ。

「自分の気持ちのコントロールを変えたのがここ2、3年です。あまりやる気を出しちゃダメなんです。フラットな気持ちでやったほうがレースもしっかり組み立てられるなって気づきましたね」

そうして今、渡邉は若手時代とはレーススタイルを変えつつある。1着にこだわらず冷静に2、3着を取りに行くこともあり、レースの展開次第で柔軟に立ち回っている。フライングと隣り合わせだったまくりへのこだわりを捨てた結果、直近3期はフライングを1本も切っていない。そして渡邉はA1級に定着した。

「理想のレースはまくりで、それは変わらないんですけど、そればかりにはしたくないですね。バランスを取りながらオールラウンダーとしてやっていかなきゃなって思っています」

【目標はSG出場と24場制覇】A1級として活躍する渡邉だが、未だに最高峰の大会であるSG(スペシャルグレード)には出場したことがない。取材する側としてはSG出場を今後の目標に掲げると思い込んでおり、もちろん、渡邉の口からは「SGに出たいです」という言葉が出た。が、さらに続きがある。

「あともうひとつ、ずっと思っているのが24場制覇(全てのレース場で優勝すること)したいなってことです。オールラウンダーの証だと思うんで。どこに行っても強い選手になりたいですね」

渡邉の通算優勝は10回で、優勝したレース場の数は7場。まだまだ、長い道のりが待っている。だが、大学、会計士時代、そしてボートレーサーになってからも壁に当たるたびに乗り越えてきた渡邉なら、いつか24場制覇を達成できるかもしれない。

幼少期は「いろんなところに興味が向いちゃう」ためにさまざまなスポーツに取り組み、社会人になっても紆余曲折があった渡邉雄朗。だが、選手生活はもう12年目に及ぶ。渡邉は今、ボートレーサーという"天職"に全身全霊を注いでいる。

(前編はこちら)

【Profile】

渡邉雄朗(わたなべ・たけろう)

1986年5月1日生まれ、千葉県出身。大学卒業後は公認会計士として会計事務所に勤務。多忙な日々を送りながらもボートレースの試験にチャレンジし、やまと学校(現ボートレーサー養成所)に25歳で入学。2013年5月、27歳の時にプロデビューを果たす。現在はA1級に所属。優勝回数10回、G1には12節出場し1着14回の成績を残している(2025年11月11日現在)。

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