学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
【プロ野球】西川愛也インタビュー第4回(全4回)
>>>第1回──花咲徳栄時代の寮生活「最初は ビックリしました」
>>>第2回──今も高校時代の恩師に指導を請う理由「あの人に教えてもらったら打てる」
>>>第3回──花咲徳栄の甲子園優勝「本当に優勝したの? 俺らが? みたいな感じでした」
毎年オフに参加している野球教室では子供たちに人気を博す西川愛也photo by Naozumi Tatematsu
高卒8年目の2025年、西武の新たな1番打者として売り出し中の西川愛也は、その一戦を特別な思いで迎えた。
6月3日、交流戦のヤクルト戦。本拠地ベルーナドームに母校・花咲徳栄の吹奏楽部が球団とのコラボ企画で来場し、『サスケ』という同校の歴代の強打者のみに使用される応援歌が西川の打席で鳴り響いたのだ。
しかし、結果は5打数無安打。
「めっちゃ打ちたいなと思いました。でも、これだけ打ちたいと思っていたら、絶対ダメだなって。コーチ陣や周りの選手たちから『力むな』って言われたけど、力まないのは無理なんですよね(笑)。あんなにすごい応援をしてもらって。残念ながら打てなかったですけど、守備でいいプレーを見せられたのでよかったかなと。それはそれで僕らしいなと思いましたね(笑)」
バットから快音は響かなかったものの、守備では0対0で迎えた3回表の二死二塁、ヤクルトの武岡龍世が放ったセンター前安打に猛ダッシュしてホームへ送球。二塁走者の古賀優大をアウトにし、先制点を許さなかった。結局、膠着した試合は延長11回に西武が1点を挙げてサヨナラ勝ちし、西川の好守も勝利に大きく結びついた。
それでも、打ちたかったのが本音だ。「余計なことを考えてはダメですね」と本人は率直に振り返る。いつもは極力無心を心がけるが、高校3年間を過ごした花咲徳栄の応援はそれだけ特別だった。
今もシーズンオフになると、母校のある埼玉県加須市で「加須きずな野球教室」に参加している。2021年から開催され、高校の先輩である若月健矢(オリックス)や高橋昂也(広島)、後輩の野村佑希(日本ハム)らと一緒に子どもたちと駆け回る。西川も毎年大きなパワーをもらえる時間だ。
「子どもたちが本当に楽しそうに、僕らにいろいろ聞いてきます。『これ、やって!』と言ったら、無邪気に『はい!』って答えて、それに全力で取り組むんですよ。本当に原点を見ているような感じがしますね」
野球教室の前日には、同級生の清水達也(中日)の実家に泊まるのが恒例だ。
「心のよりどころというか。エネルギーをチャージできているんですかね」
部活動に熱中した頃の思い出は尽きない。普段の息抜きは、大好きなマンガを読む時間だった。
「よく読んでいたのは『ハイキュー!!』とか『弱虫ペダル』。『ハイキュー!!』に宮侑(みやあつむ)っていうキャラクターがいるんですけど、大好きですね。全日本ユースのセッターです。双子なんですよ。それがめっちゃよくて。いいなぁっていう。僕も双子がよかったです(笑)」
【「よく先生が『自立しろ』と言っていました。『指示待ちではダメ』と」】練習がオフになるのは春や夏の大会が終わった翌日のみで、3カ月に1回しかない。高校野球に励みながら、休みになる日を待ち侘びてもいた。
「その時は彼女とデートみたいな感じでした。オフは唯一、この1日しかなかったので、もうなんか青春したいじゃないですか(笑)」
何より楽しみにしていたオフの日が大ピンチを迎えたのは、高2春に大胸筋断裂の重傷を負った県大会決勝の直後だった。患部を少し動かしただけでも激痛が走り、トレーナーから「明日、病院に行くぞ」と言われた。当然の判断だが、西川はこう懇願した。
「本当に僕、明日の休みのために頑張ってきたんですよ。年明けから1回も休みなく、頑張ってきたんですよ。本当にちょっとデートに行かせてください」
翌日、包帯とテーピングで固定してもらった上半身にTシャツをパンパンにしながら着て、彼女と浅草に出かけた。痛くて腕を振ることもできなかったが、青春の甘い思い出となった。
じつは、当時の花咲徳栄野球部は恋愛禁止だったという。
「バレてないと思っていました。監督に何も言われていなかったので。あとあと卒業してから聞いたら、全然バレていましたけどね(笑)」
百戦錬磨の岩井隆監督の見事な手綱さばきだった。
西川にとって大きな土台を築いた高校の部活動。そこではどんなことを学び、何が今につながっているだろうか。
「よく岩井先生が『自立しろ』と言っていました。『指示待ちではダメ』と。自分から行動を起こしていかないといけない。なので高校の時、自主練も結構多かったんですよね。自分で考えて、これが足りてないからこういう練習をするということが多かったです。それがためになり、今も結構できているところはありますね」
2017年夏の甲子園で優勝し、ドラフト2位という高い評価で西武に指名された。他にも同じ順位で獲得したかったという球団があった。
大胸筋断裂の影響もあって一軍定着には長い年月を要したが、入団8年目の2025年、西川は西武の顔となった。
1番センター西川愛也――。
ライオンズに長らく欠けていた攻守の要に、打てて走れて守れる選手が出現した。チームに大きな核ができた。
大事なポジションを任されるからこそ、西川は来季に向けてもっと成長したいと、高みを見据えている。
【部活で大切なことを学び、プロとして活躍する今がある】「バッティングで言えば、波を減らしたいのが一番ですね。いい時と悪い時の差が、僕は結構激しいほうなので。1番バッターにそんなに波があったら、チームの波も大きくなってくるので。なるべく高い位置で、波が少なくというのを目指したいと思っています」
今季は自身初の二桁本塁打を記録し、打者として順調に進んできている感覚もある。
「ホームランは打ちたいですけど、僕には狙って打てるものではないので。ヒットの延長線上がホームランという感覚です。そのなかでも長打が少しずつ増えてきているのは、僕の理想とするバッター像に少し近づいてきているかなと思いますね」
甲子園を沸かせた頃から、着実に成長している。高校時代に大切なことを学び、プロとして活躍する今がある。
「部活っておもしろいことしかないんですよね。しんどいですけど」
西川は愛くるしい笑顔を浮かべると、長い廊下を歩いていった。
(了)
西川愛也(にしかわ・まなや)
1999年6月10日生まれ、大阪府出身。181センチ・90キロ、右投げ/左打ち。外野手。大阪府堺市の浜寺ボーイズから、埼玉県の花咲徳栄高等学校に入学し、甲子園には3度出場した(2年春、2年夏、3年夏)。3年夏は甲子園の決勝戦で3安打4打点を記録し、同校初、埼玉県勢史上初の優勝に貢献。高卒で埼玉西武ライオンズにドラフト2位で指名された。高校時代に負ったけがの影響で、プロで活躍するまでに時間を要したが、8年目の2025年シーズンに開花。パ・リーグ4位の134安打と同3位の25盗塁を記録した。
【関連記事】
【部活やろうぜ!】西川愛也を擁した花咲徳栄の甲子園優勝「本当に優勝したの? 俺らが? みたいな感じでした」
【部活やろうぜ!】西武・西川愛也が今も高校時代の恩師に指導を請う理由「あの人に教えてもらったら打てる」
【部活やろうぜ!】今季飛躍の西武・西川愛也が振り返る花咲徳栄時代の寮生活「最初は ビックリしました」
西武・西川愛也の覚醒の陰に今井達也からのアドバイス 「勇気のいることをしないと変われないよ」
大胸筋断裂、62打席無安打... 西武・西川愛也が苦難を乗り越えつかんだ「プロ8年目の開花」