【部活やろうぜ!】西川愛也を擁した花咲徳栄の甲子園優勝「本当に優勝したの? 俺らが? みたいな感じでした」

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【部活やろうぜ!】西川愛也を擁した花咲徳栄の甲子園優勝「本当に優勝したの? 俺らが? みたいな感じでした」

11月11日(火) 10:00

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学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。

この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!

連載「部活やろうぜ!」

【プロ野球】西川愛也インタビュー第3回(全4回)

>>>第1回──西川愛也が振り返る花咲徳栄時代の寮生活「最初は ビックリしました」

>>>第2回──西川愛也が今も高校時代の恩師に指導を請う理由「あの人に教えてもらったら打てる」



3度出場した甲子園での記憶を振り返る西川愛也photo Naozumi Tatematsu

3度出場した甲子園での記憶を振り返る西川愛也photo Naozumi Tatematsu





今から9年前の2016年3月23日、春のセンバツ1回戦。花咲徳栄の新2年、西川愛也(現西武)は初めて甲子園の舞台に立った。

対戦相手は熊本県代表の秀岳館。4番レフトでスタメンに抜擢された西川は、初回のチャンスで三振に倒れた。

「甲子園でやるのは初めてだったので、すごく緊張して。1打席目は力みまくりというか、緊張で膝が震えていましたね。これまでで一番緊張したんじゃないですか。高校球児なので、甲子園を目指してやってきましたから」

甲子園の初戦で西川に出場機会が巡ってきたのは、本来4番に入るはずの先輩をケガで欠いていたからだった。

「ここで打たないと、先輩が戻ってきたら僕はまたベンチだと思って。緊張もしていたんですけど、なんとか打ちたいなって、結構アドレナリンもすごくて。それが甲子園なんでしょうね」

迎えた3回表の第2打席では緊張を高揚感が上回り、チャンスにライト前安打で先制点を呼び込んだ。

ところが、直後に5点を奪われる。6回に1点ずつを取り合い、2対6で迎えた8回。花咲徳栄は1点を返して勢いづくと、4番の西川に4打席目が回る。

マウンドに立ちはだかるのは、同学年で左腕の田浦文丸(現ソフトバンク)。西川はレフトにタイムリー二塁打を弾き返し、2点差に詰め寄った。

「本当にアドレナリンが出すぎて、打った時の記憶がなくて。気づいたらセカンドベースにいた、みたいな感じなんです」

1点差で惜しくも敗れた試合後、囲み取材で打った球種を聞かれたが、覚えていなかった。咄嗟に「初球のスライダーを打ちました」と答えたら、記者は首を傾げている。「なんでやろう?」と疑問に感じた西川が映像を見返すと、3球目の真っすぐを捉えていた。

「それくらいアドレナリンが出ましたね。たぶんゾーンに入っていました」

極限まで集中力が高まり、雑念がいっさい取り除かれていたのだろう。プロに入ってからもチャンスや大一番の打席で、相手の投げた球種を覚えていないことが時々あるという。

「いい集中状態で(打席に)入れているからですかね。自然にそうなることが多いです。ピッチャーに対する思考が『打つ』ぐらいで、無意識下で、ほぼ反射みたいな感じで打っているのかな。それが一番よかったりする時もありますね」

【のちに西武でチームメイトになるふたりとの対戦】初めての甲子園で特別な感覚を味わった西川は、その後、全国の舞台に2回立った。

高2で初出場したセンバツの後、埼玉の春季大会決勝で大胸筋を断裂し、以降の甲子園ではレフトからショートまで山なりの送球しかできなかった。それでも起用され続けたのは、守備を補って余りあるほどの打力を備えていたからだ。

高2夏の甲子園では、のちに西武でチームメイトになるふたりの先輩と対戦した。2回戦で樟南(鹿児島)の先発マウンドに上がったのは、左腕の浜屋将太だった。

「レフト前とピッチャー強襲の内野安打を打ったんです。2本目がタイムリーになったけど、『あれは打球がショボすぎて捕れなかった』と浜屋さんがいつも言ってくるんです。『でもヒットはヒットだよ』って(笑)。1本目のレフト前も、まあまあきれいに打ったんですよ。『あれも詰まって、たまたま落ちただけだよ』と、めっちゃ言ってきます」

3回戦では、この大会を制する作新学院(栃木)と激突。マウンドに立ちはだかったのは、花咲徳栄戦で最速152キロを計測した今井達也だった。

「高校で150キロなんて、そんなに見ないじゃないですか。めちゃめちゃ速くて三振しました。3打数1安打、三振2個にデットボール1個。ヒットはボテボテのセンター前。三振の1個は曲がり球かな。カットボールか何かがキャッチャーのめっちゃ前でバウンドして、僕がハーフスイングみたいにして振り逃げで走っていたのを、めっちゃバカにされますね(笑)」

西川の懐かしそうな話ぶりを聞いていると、高校球児にとって甲子園がいかに特別の場所なのかがよく伝わってくる。

今井がその頂点に立った1年後、今度は西川が同じ場所に登り詰めた。2017年夏、花咲徳栄は2年連続の甲子園出場を果たすと、埼玉県代表として史上初の優勝を成し遂げた。

埼玉県大会では2回戦から7試合、甲子園では1回戦から6試合、合計13連勝で全国3839校の頂点へ。勝敗に運の要素も多くを占める野球で、ここまで勝ち続けるのは至難の業だ。

「めっちゃうれしかったですね。最初は実感がなくて、『本当に優勝したの?』と思いました。甲子園優勝したの?俺らが?みたいな感じでしたね」

【栄光から3年半後に届いた衝撃のニュース】グラウンドで真っ先にチームメイトと抱き合った後、ベンチに入れなかった野球部員たちと喜びを分かち合った。甲子園まで応援に駆けつけてくれた同級生や学校関係者に加え、埼玉県加須市の校舎に凱旋するまでの間、多くの人たちから祝福の言葉をかけてもらった。夢のような時間にこみ上げた感情は、今も西川の財産になっている。

「ひとりでは優勝できないですし、僕だけの力で優勝したわけではありません。甲子園の練習でも、ベンチに入れなかった3年の同級生がずっと支えてくれました。甲子園の夏、暑いんですよ。そのなかでずっと1時間以上、バッティング練習で投げてくれたりして、本当に周りのサポートに支えられました。そういう人がいるからこそ、僕が今、結果を出せたりしているんだなと。今でもそう思いますね」

甲子園優勝の2カ月後、西川は西武にドラフト2位で指名された。だが、高校2年時に負った大胸筋断裂の影響はプロ入り後も続き、不安なく送球できるようになったのは入団6年目の2023年だ。長く苦しい道のりだったが、球団スタッフやコーチ、同僚に支えられた。そうした感謝の気持ちが自分の原動力になることは、甲子園優勝が何より教えてくれた。

ただし、栄光の初優勝はハッピーエンドだったわけではない。

約3年半後、衝撃のニュースが届いた。全国制覇時のチームメイトのひとりが、ある事件を起こして逮捕されたのだ。当時、大きな話題となった。

「花咲徳栄のグループラインで知りました。本当にビックリしました」

その件について、西川は胸中にどんな思いを抱いているのだろうか。

「野球のミスなら切り替えが大事ですけど、人生には切り替えてはいけないこともあると思います。真摯に受け止めて、真っ当に生きていくしかない」

同じ目標を追いかけた仲間だからこそ、西川はそう思っている。

>>>第4回へ──【部活やろうぜ!】西武・西川愛也「部活っておもしろいことしかないんですよね。しんどいですけど」

西川愛也(にしかわ・まなや)

1999年6月10日生まれ、大阪府出身。181センチ・90キロ、右投げ/左打ち。外野手。大阪府堺市の浜寺ボーイズから、埼玉県の花咲徳栄高等学校に入学し、甲子園には3度出場した(2年春、2年夏、3年夏)。3年夏は甲子園の決勝戦で3安打4打点を記録し、同校初、埼玉県勢史上初の優勝に貢献。高卒で埼玉西武ライオンズにドラフト2位で指名された。高校時代に負ったけがの影響で、プロで活躍するまでに時間を要したが、8年目の2025年シーズンに開花。パ・リーグ4位の134安打と同3位の25盗塁を記録した。

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