昭和47年生まれの土田晃之が語る昭和カルチャー愛「『ガンダム』って見るたびに解釈が変わっていくんです」

「『ガンダム』って小学生の頃は単純に『ロボットがカッコいいな』って見てたけど、中学で見返したら『こんな話だっけ?』って。高校生とか大人になっても、見るたびに解釈が変わっていくんです」と語る土田晃之さん

昭和47年生まれの土田晃之が語る昭和カルチャー愛「『ガンダム』って見るたびに解釈が変わっていくんです」

11月11日(火) 6:30

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「『ガンダム』って小学生の頃は単純に『ロボットがカッコいいな』って見てたけど、中学で見返したら『こんな話だっけ?』って。高校生とか大人になっても、見るたびに解釈が変わっていくんです」と語る土田晃之さん

「『ガンダム』って小学生の頃は単純に『ロボットがカッコいいな』って見てたけど、中学で見返したら『こんな話だっけ?』って。高校生とか大人になっても、見るたびに解釈が変わっていくんです」と語る土田晃之さん





お笑いタレント・土田晃之が、子供の頃から青春時代に浴びたカルチャーの思い出を語り尽くした『僕たちが愛した昭和カルチャー回顧録』(双葉社)を上梓した。家電やサッカー、『機動戦士ガンダム』など、さまざまなジャンルに一家言を持つ彼だけに、昔から文化的なアンテナは敏感だったようだ。

***

――現代、子供たちの趣味は細分化しているといわれていますが、かつては皆が同じものに熱中していました。昭和47年生まれの土田さんがフォローしていたカルチャーは幅広く、特撮やお笑いだけでなく、プロレスもご覧になっていたのは意外です。

土田 そりゃあ見ますよ(笑)。当時、プロレスってテレビのゴールデンタイムに中継してましたから。金曜夜8時に新日本、土曜の夕方に全日本って感じで。

――本の中で、ケリー・フォン・エリックをバカ扱いしているのが面白かったです(笑)。

土田 僕、小学校高学年の頃はケリーが大好きだったんです。月曜日にテレビ東京で『世界のプロレス』という番組をやっていて、そこでケリーがリック・フレアーと闘ってて。

試合中にフレアーが「参った」みたいなポーズを取って、ケリーが油断して後ろを向くと、その瞬間に襲いかかられるパターンでいつも負けるから「バカなんじゃないか、こいつ?」って(笑)。

――当時は『フレッシュジャンプ』の表紙がロード・ウォリアーズだったり、プロレスはメジャーなジャンルでした。

土田 『フレッシュジャンプ』懐かしい~。アニマルとホークね。

――土田さんは大宮出身ですが、大宮スケートセンターでプロレス観戦していたんですか?

土田 それが行けなかったんですよ。あそこは全日も新日も女子プロレスも来ていたけど、人気がすごかったからチケットが取れないのもあって。

小学3~5年生の頃が一番プロレスを見ていて、佐山聡さん(初代タイガーマスク)が大好きでした。

ドラゴン(藤波辰爾)も好きで、後に藤波さんとテレビで共演して一緒に登山できたのは忘れられないですね。

――また、この本では『とんねるずのオールナイトニッポン』のことも語られています。土田さんはコンビ時代、『U-turnのオールナイトニッポン』のエンディングで必ず「寝ろ」と言っていましたね。

土田 あれは、『オールナイト』のエンディングで石橋貴明さんが毎週「寝ろ」と言っていたから。

とんねるずさんが若手のとき、『オールナイト』のパーソナリティだったタモリさんから「おまえら、よかったら見に来いよ」と言われ、「ちょっとは出られるのかな?」と思っていたら最後まで出演できず、本当の見学だったという話があるんです。

それで「絶対、俺はここでしゃべれるようになりたい!」と貴さんは思ったらしい。

で、貴さんが最初の結婚を発表したのって『オールナイト』だったんですよね。当時の僕は「それぐらい『オールナイト』ってすごいんだ」と思って。

だから、自分が『オールナイト』をやるときは絶対にちゃんとやりたいというのはありました。



――「とんねるずになりたい」という思いはありましたか?

土田 なりたいというのはなかったですね。でも、高1の頃にとんねるずさんが『大志』(扶桑社)という自伝的な本を書いたんですね。

そこで、「おまえらもがんばれば、俺らの位置には来れないけど、俺らの足元ぐらいには来れる」と貴さんが書いていて、「おお、だったら行ったろうじゃねえか!」と思ったのが芸人を志したきっかけのひとつなんです。

僕の1個下の古坂大魔王もそうで、19歳の頃、初めて古坂に会ったとき「なんか、貴さんみてえなやつがいるな」と思いました(笑)。

――『大志』を読んで芸人を志した人は、土田さん世代に多いですよね。ネプチューンの堀内健さんもそう言っていた記憶があります。

土田 多いかもしれないですね。あと、『夕やけニャンニャン』の影響もデカかったし。

――本には『三宅裕司のヤングパラダイス』についての話も出てきますが、当時のニッポン放送やフジテレビ文化への憧れは今もありますか?

土田 僕ら世代はあると思いますよ。やっぱりCX(フジテレビ)とLF(ニッポン放送)が一番だと思っていたし、ほかに視聴率・聴取率がいい局があっても「へえー」って感じだったし。

――本で最も印象的だったのは「ガンダム芸人」の節に出てきた「関根さん事件」です。

土田 ああ(笑)。小3の頃、友達のK君と『ガンダム』についてしゃべっていたら、同じクラスの関根さんっていう女の子が「なんの話してんの?」って聞いてきたんです。

それで、K君が「いや、女にはわかんねえ話だよ。『ガンダム』、知らねえだろ?」って言ったら「私、お兄ちゃんいるから見てるもん」って。

そこでK君がクイズ的に「じゃあ、ジオン軍と連邦軍どっちがいい者だ?」って聞いたら「戦争にいいも悪いもない。ジオン軍と連邦軍のどちらにも戦う理由がある」って言ってて。

「おお、そっか......」って僕とK君、ふたりして黙っちゃったっていう事件(笑)。本当に名言で、今でも思い出します。

『ガンダム』って小学生の頃は単純に「ロボットがカッコいいな」くらいの視点で見ていたけど、中学に上がって見返したら「あれ、こんな話だっけ?」ってなったんですよ。

高校生とか大人になっても、見る時代時代で解釈がどんどん変わっていくんです。で、どの段階でも、あのとき関根さんに言われた言葉がめちゃくちゃよみがえるんです。

「関根さんはすでにここに到達していたんだな」って。彼女は賢くて、達観した大人の目線で見ていたんだと思います。

――本で土田さんは「80年代がテレビや漫画が一番楽しかった」と書いています。今のテレビに物足りなさは感じますか?

土田 う~ん、時代が変わればしょうがないし、テレビだけ突っ張ってもどうにかなるものでもないので。

ただ、「毎週欠かさず見るものが今あるのか?」ってなると、そこは難しいです。でも、昔はビデオがないから見てたというのもありますよね。

僕らが小さい頃に全録があったら、そこまで熱量を持って見なかったかもしれないし。

――でも、それこそ土田さんが出ていた『ボキャブラ天国』なんか、皆が毎週見ていたわけじゃないですか?

土田 僕は見たことないですよ、あの番組(笑)。

■土田晃之(つちだ・てるゆき)

1972年生まれ、埼玉県出身。1992年にお笑いコンビ・U-turnでデビュー。後にU-turnが解散し、ピン芸人へと転向。自称"ひな壇芸人"として「ひな壇」という言葉を広めたひとりでもある。サッカー(80年代)、ガンダム、白物家電などに造詣が深く、老若男女から幅広い支持を集める。3男1女の父親。今年からゴルフにどハマりしている

■『僕たちが愛した昭和カルチャー回顧録』双葉社1815円(税込)

お笑いタレントの土田晃之が幼少期から若手芸人時代までを過ごした80年代から90年代にかけてのカルチャーを語り尽くした一冊。「おもちゃ」「ヒーロー」「テレビ・ラジオ」「漫画・アニメ」などのテーマでさまざまなエピソードを明かしている。また、同じ「華の昭和47年組」として活躍するケンドーコバヤシ&鈴木おさむと"あの頃"のカルチャーを語り合った対談、当時の世相と土田が歩んできた歴史を照らし合わせる年表も収録!

『僕たちが愛した昭和カルチャー回顧録』双葉社1815円(税込)

『僕たちが愛した昭和カルチャー回顧録』双葉社1815円(税込)





取材・文/寺西ジャジューカ撮影/鈴木大喜

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