舞台は終戦80周年の広島。「ユニークな愛と平和の映画」が生んだ奇跡

主演は本作が映画初主演となる曽田陵介と、秋田汐梨。2人は幼馴染という間柄で、ある外国人との出会いをきっかけに、不思議な出来事に巻き込まれていく

舞台は終戦80周年の広島。「ユニークな愛と平和の映画」が生んだ奇跡

6月13日(金) 8:48

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終戦80周年を迎える日本で、意欲的な〝平和の映画〟が公開された。広島在住の時川英之監督がメガホンを取る「惑星ラブソング」だ。広島を舞台に外国人旅行客と地元の若者が触れ合い、時空を行き来する不思議なストーリーだが、そこに込めた想いとはーー。時川監督にインタビュー取材を敢行した。

平和の傷跡と今——広島で感じる戦争の記憶

――本作は戦後80周年ということで、企画が立ち上がったと聞きました。どのような経緯だったのでしょうか?

時川英之(以下、時川) 広島の企業の方から、「何か一緒にやりませんか?」と声掛けいただいたのがスタートでした。ならば、戦後80周年を迎えるし、広島から今の空気感を取り入れた作品を発信できないかと考えたんです。

僕自身、これまでデモに参加するようなタイプではないし、戦争に関して特別深い知識や主張があるわけではありません。ただ、広島で育ち、今も広島に住む者として感じることはあります。

広島はすごくにぎやかな街なんだけど、街のあちこちに被爆当時のその場所の風景がわかる銅板があったり、折り鶴の慰霊碑があったりと平和の傷跡がある。また、戦後80年が経とうとしている今でも、広島では新聞やテレビが原爆関連、戦争関連の報道を毎日のように報じています。

「誰誰が平和公園に来ました」「黒い雨が降った新しい地域が判明しました」「被爆者の手記が発見されました」。地元で報道に携わる方々は今でも「忘れられないこと」を大事にしているんですね。

一方でインバウンドの外国人たちもたくさん来ていて、歴史を学んでくれたり、広島に祈りを捧げてくれる姿を目にする機会も多くて。海外の方が真摯に祈っている姿を見ると、広島の人間としては胸にグッと来るわけです。こうした感情を織り込んで、広島発の映画を作りたいと思ったんです。暗いほうに振らない、押しつけがましくもしない。ユニークな方向で「平和」や「愛」にアプローチしてみようと思って作りました。

主題歌で〝ものすごい奇跡〟が起きた

――広島では先行公開されましたが、反響はいかがですか?

時川 僕は初監督作品から広島で映画を撮り続けていて、「惑星ラブソング」で5作目になるんですね。それもあってか、街行く人々から行政に至るまで、暖かいサポートをいただいています。

街中で撮影していると、打合せをしたわけでもないのに皆さんがカメラを無視して歩いてくださったり。学校や様々な組合の方が映画チラシを配ってくださったり。作品に広島県知事推奨までいただき、おかげさまで反響です。

――ミステリー仕立てのストーリー展開もさることながら、作中の歌が印象的でした。上映が終わった後も耳に残る、優しい音色の不思議な歌ですね。

時川 外国人旅行者のジョンが歌う「peace song」ですね。あれには本当に救われました。というのも、当初はジョン・レノンの「imagine」を使おうとして何度か交渉したのですが、やはり権利的に難しく、「imagine」のような平和の曲を作ってもらおうともしたけど、当然それは無茶な注文で、思うように進まなくて……。もう撮影が始まるという時にどうしたものかと困っていたら、ジョンを演じてくれたチェイス・ジーグラーが「曲を思いついた!」と言って、パソコンで作った曲を聞かせてくれたんです。それが、あの曲で。偶然で、ものすごい奇跡に恵まれました。

――主演2人に加え、八嶋智人さんと川平慈英さんの怪演にも目を見張りました。

時川 八嶋さんは広島でのお仕事が多く、歴史をとてもよく知っています。また川平さんは沖縄出身ということもあり、本作の平和というテーマに敏感に反応してくれました。お二人とも「惑星ラブソング」が意図するところを汲み取って素敵な演技をしてくださったと思っています。

***

全編を通じて幻想的な雰囲気に包まれた「惑星ラブソング」。時川監督は「この作品が問われるのは、広島から外に出た時」と語るが、国際映画祭を通じて海外の評判もすこぶる良いと言う。80回目の夏を迎える前に、「平和と愛」を感じてみてはいかがだろうか。

取材・文/浜田盛太郎



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