「ハロウィン」や「遊星からの物体X」で知られるホラー映画界の巨匠ジョン・カーペンター監督が、4月3日にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星の授与を前に、米バラエティのインタビューに応じた。
ウォーク・オブ・フェームの星を獲得することについて、「あのハリウッド大通りに自分の名前があるなんて夢のようだ。ケンタッキー州ボウリンググリーンからロサンゼルスに来た若造だった頃には、こんなこと想像もしていなかったから」と語る。
ロサンゼルスに来た当時のことを「何にも分かっていなかった。1968年にUSC(南カリフォルニア大学)の映画学科に入学するためにロスに来たけど、街のことも学校のことも、何も知らなかった。スーツケースとギターと長髪、それだけが僕のすべてだった。飛行機でロスに着いたときは、街の広さにただただ圧倒された。なんてこった、こんなに果てしないのかと」と振り返った。
ロサンゼルスという街に対して「愛着は深まった。今では成熟した愛だ。でも、最初に抱いた喜びはそのままだ。世界中あちこち旅してきたけど、この街と比べられるところなんてない」と言い切る。「もちろん業界には“海賊”もいる。でも映画を心から愛していて、現場で一緒に戦ってくれる人たちもたくさんいる。僕が一緒にいるのはそういう人たちだ」と述べた。
自作の多くでシンセサイザー主体のスコアを手がけてきたが、2010年代半ば以降は本格的な音楽キャリアを展開。「ロスト・テーマズ」シリーズとしてアルバムを発表し、息子コーディ・カーペンターやダニエル・デイビス(ザ・キンクスのギタリスト、デイブ・デイビスの息子)とともにライブ活動も行っている。「誰にも口出しされない。好きなように演奏できる。最高のバンドと一緒に、しかも息子と一緒にやっているんだから、これ以上の幸せがあるかい?」と充実さをにじませた。
2010年の「ザ・ウォード監禁病棟」を最後に、15年近く映画を監督していないが、近いうちに映画を撮るかと質問されると、「予定は……どうだろう。また監督したいとは思っている、条件さえ整えばね」と回答。「若い頃みたいにいくらでもやるってわけにはいかない。無理して予算に合わせるようなことも、もうできない。年をとったし、体力も落ちた」と告白。「でも、監督することは僕の人生の最愛の仕事だ。その愛だけは、決して終わらない」といまだ衰えない監督業への情熱を語った。
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