シャシーナンバー4のヴェラールは、アマゾングリーンに彩られた稀代なレンジローバーのプロトタイプである。ファクトリーでのレストア作業を通じて明らかになった歴史的事実を、ジェームズ・エリオットがレポートする。
【画像】極めて希少なレンジローバーのプロトタイプ、シャシーナンバー「4」(写真13点)
ジャガー・ランドローバー(以下、JLR)・クラシックが手掛けるレストア「リボーンプログラム」に申し込んだものの、コロナ禍で同プログラムが縮小され、予定していた車両のレストアが叶わないと告げられた時の落胆は計り知れない。
”禍を転じて福と為す”
だが、その失意に暮れる間もなく、代わりに歴史的価値を持つレンジローバー・ヴェラールの販売が提案された。それもシャシーナンバー4という貴重な1台だ。これはJLR自身が所有する車両であり、新車同様の状態までレストアすることまで約束されている。ヴェラールは初代レンジローバーのプロトタイプゆえに、あらゆる部分が通常モデルと微妙に異なる。レストアは、決して容易ではない。しかも、この車両には実験用のV8エンジンまで搭載されていたのだ。
本国の『Octane』編集部には、手書きではあるものの初代レンジローバーに関する詳細な資料が残っている。”ミスター・ランドローバー”の異名を持つロジャー・クラソーンは今なお健在であり、初代レンジローバーの歴史を解き明かせるという強みがある。さらに、最初期の50台についてはクラソーンと初期開発に携わったジョフ・ミラー、ゲイリー・ピュージー、そしてジェームズ・テイラーらによる優れた書籍が、ブルックランズ・ブックスから出版されている。シャシーナンバー4の歴史については、私たち『Octane』は詳しいと自負している。
ナンバー4ヴェラールの行方
実現されるまでは時間はかかったが、レンジローバーはアメリカ市場参入を目論みスペン・キングとゴードン・バシュフォードによって開発された。より乗り心地が良いレジャー向けランドローバーとして構想され、1966年から1970年にかけて開発が進められた。知る人ぞ知る話だが、ヴェラールは7台のプロトタイプ(うち2台が現存)、そしてプリプロダクションが数十台生産された。”VELAR”との名称の由来は、アルヴィス(Alvis)とローバー(Rover)を組み合わせた造語とされる説もあるが、スペイン語で「見張り」、イタリア語で「カバー」や「ベール」を意味した単語と偶然にも同じである。
最初期の5台のヴェラールは1969年9月26日に製造が始まり、シャシーナンバー4は1970年2月に登録されている(資料によっては3月説もある)が、実際のところはエンジニアリング部門によって4月に製造された。ヴェラールは民間や公共機関(少なくとも1台は消防車として)で活躍することになったが、シャシーナンバー4はエンジニアたちの手元に留まった。JLRクラシックの重鎮であるマイク・ビショップの言葉を借りれば、”エンジニアたちは当該車両を酷使して耐久性を測る”旅路についたのだという。
まず、MIRA(英国の自動車試験研究機関)のオフロードコースにあるベルギー式ブロック舗装で1500マイルにおよぶ過酷なテストが実施された。その後、車両は分解による評価を経て再組み立てされ、さらに過酷な試練に供された。それはバグショット軍用試験場での様々なコースを5000マイル走破するテストだ。どれほど過酷だったのかを示すエピソードを披露すると、警察車両で8万マイル(12.8万km)を耐えたミシュラン製タイヤが、同試験場の荒野ではわずか1000マイルで力尽きたほどだ。
シャシーナンバー4は再び分解されての評価を経て、今度は払い下げに向けて組み立て直された。インテリアを黒からパロミーノ(クリーム)色に変更し、亀裂が入りやすかったアルミ製ボンネットはより耐久性があるものに交換し、ボディカラーはリンカーングリーンに塗り替えられた。元のエンジン(35500006a)は評価のために取り外され、P5時代の実験用EXP95エンジンに換装されたが、このエンジンは現存する最古のローバーV8である可能性が指摘されている。さらにトランスミッションは”355002210A”が組み合わせられた。
1971年6月16日、シャシーナンバー4は地元企業の重役、H・エヴァン・プライス氏に1650ポンドで売却された。エヴァン・プライス氏はシャシーナンバー4の整備記録をしっかり残していたが、マロリー製電子イグニッションのトラブル以外は特筆すべき不具合はなかった。1981年時点でも同氏が所有していたことが確認されており、エヴァン・プライス氏が死去した後、親族であるS・ファン・デル・ポール夫人に引き継がれた。しかし、適切な保管場所がなかったため1984年2月、彼女はシャシーナンバー4をコッツウォルズの著名なコレクター、ビル・ニューポート氏に引き渡している。
復活に向けて
2016年、シャシーナンバー4の買い取りの機会を得たJLRクラシックは、即座に飛びついた。完璧な状態とは程遠かったものの、オリジナリティが保たれていたことが大きな魅力だった。1995年にレストアが施されていたが、その手法はすべてを新品に置き換えるのではなく、必要な箇所のみを修理するというものだったのだ。オーストラリア出身のマイク・ビショップは1990年代後半に初めてイギリスを訪れた際、ビル・ニューポートが所有していた頃のシャシーナンバー4の存在を知っていた。
「我々が引き取った時、シャシーナンバー4は素直な走りを見せてくれましたよ。多少の粗はありましたが、人前に出して恥ずかしいような車ではありませんでした。2016年末のNEC(ナショナル・エキシビション・センター)カーショーに出展させるには十分でした」
NECカーショーの会場では、テールゲート付近の排水溝に沿って剥がれたリンカーングリーンの塗装の下から、別の緑色が顔を覗かせていたことが発見され、ショー開催中にも関わらず、ドアパネルを外したり、ヒーターの裏を確認したり、トランスミッション・トンネルの塗装を確認したりなどの調査が進められた。その結果、シャシーナンバー4の元のボディカラーが”アマゾングリーン”であったことが判明した。アマゾングリーンに塗られたヴェラールは2台しか造られず、量産型には採用されなかった。興味深いことに当時のブリティッシュ・レイランド(BL)のカラーチャートを探しても、同じ色は見当たらない。似てはいるものは存在するものの、完全に一致する色ではなかった。
JLRのコレクションには既に2台のヴェラールが収まっていた(新車時から所有しているジョフ・ミラーのシャシーナンバー17と、今回のシャシーナンバー4)。さらに2019年には、JLRクラシックが個人所有になっていたシャシーナンバー1を購入することが決まった。これ以外のヴェラールの所在を紹介しておくと、英国自動車博物館が所蔵する"タスカンブルー"の車両がシャシーナンバー3であり、シャシーナンバー2は2024年初頭にクラシックカー・オークションズにて3万ポンド弱で落札された消防車である。
シャシーナンバー”134”と”4”
コロナ禍の影響によって、JLRクラシックは初期のランドローバーを新車同様に再生する「リボーン」プログラムの縮小を余儀なくされていた。10台が完成した時点で、残りの車両の完成を断念せざるを得なくなったのである。その未完成車両の1台が、チェルトナムのスティールズを通じて販売された”ダボスホワイト”のシャシーナンバー134である。
オーナーは『Octane』の古くからの友人である大里研究所理事長の林幸泰氏だ。アストンマーティンのコレクターとして有名な林氏だが、実は家族ぐるみでランドローバーやレンジローバーとも長い付き合いがある。
「私たちの最初のランドローバー車は今でも調子よく走っていて、スキーやキャンプ、仕事で23万kmを走破しました。レンジローバーも購入し、米国仕様の1997年式ディフェンダー90ソフトトップも所有しています」と林氏は語る。さらに林夫人とご子息はレンジローバー・スポーツを愛用しているそうだ。
重要な車の初期モデルに特別な関心を持つ林氏の嗜好を考慮し、また新たにヴェラールのシャシーナンバー1が加わることになったため、マイクはこのシャシーナンバー4を林氏へ譲ることを思いついた。
「JLRクラシックとして、さすがに3台ものヴェラールを保有する必要はありませんでしたが、プロトタイプとして歴史が詰まった車両ゆえに役員会議での決定事項でした。もしシャシーナンバー1を入手していなかったら、シャシーナンバー4の売却は承認されなかったでしょう。林氏のブランドや歴史に対する理解度の深さと情熱を知っていたので、最高のマッチングになると思いました」とマイクは振り返った。そして林氏の注文は「リボーン」から「ビスポーク」に変更された。
「とても興奮しました。ヴェラールは時代を決定づけたSUVであり、半世紀以上経った今ではどこの自動車メーカーも同じような車を投入しています」と林氏は語っている。
「ビスポーク」
シャシーナンバー1と4のそれぞれの売買契約が完了した後、後者は約1年前にレストア作業が始まった。しかも2024年8月末という厳格な期限付きだった。様々な面で緊張を強いられるプロセスではあったものの、”通常”のレストア作業にかかる1200時間(人・時)から大きく外れることはなかったという。ヴェラール用の給油キャップは外れやすかったためシリーズIIAの部品に交換され、キャブレターはオリジナルのSUからレンジローバー向けのストロングバーグに変更されるなど、日常使用に向けた改善も図られていた。
”Rover Company Limited”のアルミ製プレートは緻密に復元された。そのほか、気づきにくいところでは、ボディシェルの細かい変更が加えられ、独自のシャシー・クロスブレースが加えられている。
「プロトタイプをレストアする際、どの”時点”の状態に戻すか選択を迫られます。たとえば、このシャシーナンバー4では、フロアマットは”4A”の頃は特殊な縮緬(ちりめん)仕上げだった記録が残っていましたが、JLRクラシックでは誰も手掛けた経験がありませんでした。そこで、発展型である”4B”の頃のより量産車に近い物が用いられることになりました。プロトタイプでは、テールゲート上部のメインシール・リテーナーが大量のポップリベットで固定されていましたが、せっかくJLRクラシックでレストアを施すのですから、改善しました」
リアのナンバープレート取り付け部の塗色をボディと同色にするべきなのか、黒にするべきなのかをJLRクラシックでは誰も知らなかった。そこでマイクは、ロジャー・クラークソンに判断を仰ぎ、ボディ同色に仕上げることが決まったという。
「ロジャーが関わってくれたことで、JLRクラシックのチームの士気が高まりました。シャシーナンバー4を可能な限り完璧に仕上げるという気概を持っただけでなく、このレストアに関われたことを誇りに感じながらの作業となりました」
もうひとつ、現場における士気向上につながったのは、マイクがビル・ニューポートの自宅物置で行方不明だったリアのナンバープレートを見つけてきたことだった。
完成した”4”
本稿執筆時点では、まだ林氏はヴェラールを見ていない。本誌の取材のわずか1週間前に完成検査を終えたばかりのシャシーナンバー4の姿は、「見事」の一言に尽きる。アマゾングリーンのボディカラーはただただ美しい。ブリティッシュ・レイランドはレンジローバー向けの"緑"のボディカラーで苦心していたのだろう。その苦労は、最初の4台がリンカーングリーン、オリーブ、アマゾングリーンの3種類のほか、今では馴染み深いタスカンブルーに塗られていたことから分かる。
同時に、ヴェラールの箱型シルエットが持つ純粋さと簡素さに魅了された。衝突安全基準が今ほど厳しくなかった頃の車両とあって、車体高の半分を占めるウィンドウがピラーに邪魔されることなく広がっている様子に心を奪われた。
当時、この雰囲気でも、ヴェラールは高級な部類に入っていただろう。レンジローバーはランドローバーと同じように実用性重視で始まり、今や、ランドローバーがレンジローバー並みに贅沢になるという進化を遂げた歴史も愛おしい。薄いスチール製バンパー、フロントフェンダー先端に付けられたコンパクトな円形ミラー、そしてサハラダストカラーで塗装されたスチールホイール(サハラかシルバーが選べた)に装着された205R16 99Tのブロックレー製タイヤを見てほしい。新型ディフェンダーのペイント仕上げのスチールホイールに、世界中が狂喜乱舞したことを覚えているだろうか?それには理由があった。実に格好がよいからだ。
内装もまた、見事なまでに清い。3本スポークのステアリングホイール(交換ではなく修復した)、4速マニュアル・トランスミッションを操作する長いシフトレバー、質素と呼びたくなる計器版、2分割式のヘッドライニング、プロトタイプのシートから伸びるシートベルト。なお、シャシーナンバー4Aはドアハンドル部分がシート側面に食い込んで皺を生じさせるため、ドアハンドル部を薄く改良している。今なお皺は生じさせるが、以前ほどひどくはない。小ぶりなギアノブ、ハイ・ロー切り替えノブの大きなドット、ラジオの代わりに装備されたオプションのマップポケット、”BL”ロゴ入りではなく、ローバーP6用のチョークノブなど、ヴェラール特有のディテールが随所に見られる。
搭載するエンジンが特別なものであることは記述したが、エンジン音は他の初期ローバーV8と変わらない。レストアのためにP5用パーツの調達には労力を費やしたが…。乗ってみてもフワフワと揺れる乗り物(褒め言葉である!)へのパワーデリバリーも同じ雰囲気だ。レストアの際にはパワーステアリングを装着し、物議を醸した当初の柔らかい(柔らかすぎた)リア・スプリングは量産型の150ポンド型に交換されている。シルバーストンを駆け抜けるようなものではないが、自在にコントロールできるようになり、運転する楽しさは最高レベルに引き上げられているといえよう。
「探すこと、見つけること、レストアを施すことは所有することと同じくらい満足度の高い行為です。レストアに時間を要するということは、その過程も楽しめるということでもあります。購入してすぐに手元に届くよりも"充実感がある"とでも言いましょうか。たとえるなら最高の食事がコース仕立てであるような感覚ですね」とは林氏の弁だ。
長期的に見ると、シャシーナンバー4は林氏の退職後における相棒の一台となりそうだ。岐阜県にクラブハウスを備えた林氏のワイナリーには、軽めのオフロードコースもあり憩いの場となるだろう。葡萄園では主にディフェンダーが活躍することになるだろうが、ヴェラールも一役買うに違いない。シャシーナンバー4は第一線に復帰するのではなく、ワイナリーで新しい生活を送る。この車に相応しい、優雅な新生活の始まりである。
編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)Transcreation:Takashi KOGA(carkingdom)
Words:James ElliottPhotography:Nick Dimbleby, Simon Kay
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