11月23日(土) 6:00
「いまから1年前、10月27日の血液検査で腫瘍マーカーの数値が通常の10倍だったんです。数年前に検査していたときも、少し高い数値だったのですが、コロナ禍でずっと精密検査を受けていなくて。CT検査をしたら肺がんと診断されました」
そう神妙に語るのは、『紅白歌合戦』の常連歌手だった山川豊(66)。現在、ステージ4の肺がん闘病中だ。
「もともとはヘビースモーカーでした。がんと言われるまで病院の前でたばこを吸っていたほどです(苦笑)。紹介されたがんの専門病院で検査を受けたときから胸騒ぎがしてね。検査結果を聞きにいったら『ステージ4』ですと言われ、『あぁ、そうですか……』と答えるのが精いっぱい。さらに『頭のほうにも2カ所飛んでますね。頭のほうはそんなに大きくはないけれど、脊髄にもありますね』と言われて……」
脳と脊髄への転移が認められ、「手術ができないステージ4」と説明を受けたという。実は山川は2年前の8月、’92年に結婚した女性と離婚していた。財産分与として東京都内にある自宅は元妻が持ち、自らは一人暮らしをしている。長女は独立し、長男は山川のマネジャーを担当していることもあり、“告知”には長男が立ち会ったが――。
「ステージ4と言われたときは、息子とね、前の女房も来てくれたんです。最初は“なったものは仕方ないよね”と、そういうふうに考えるしかなかったんですが、それから3日後くらいから異常な恐怖に襲われました。『もうダメかもしれない』と、4日目に兄貴(鳥羽一郎)に電話してね。お葬式やお墓のことを話したら、兄貴に『バカ野郎!どんなことをしてもいいから治せ!』と怒られたんです」
2カ月間は、気持ちが落ち着くことがなかったという。
「治療を始めて、肺の組織をとったときに肺が少ししぼんじゃって。仕事が1日だけ残っていたので、手術3日後にステージに立ったら、とんでもない痛さで。なんとか歌いきりましたが、ものすごく苦しかった。恐怖で夜は眠れないし、ようやく寝られても、今までお世話になった人とか、いろんな人が夢に出てくるんです。精神的に相当やられました」
現在は「タグリッソ」という治療薬を用いているという。
「細胞を採取して、遺伝子レベルで調べた抗がん剤が運よく効いたんです。いまは唾液もしょっぱく感じたり、手足やお尻の湿疹や下痢など、いろいろな副作用がありますが、歌も歌えているから、幸運だったと思っています。ようやく光が見えた感じでした」
一人暮らしだった山川だが、闘病生活には家族のサポートが。
「最初は洗濯とか掃除とか、自分で全部やっていました。でも息子が来て薬を塗ってくれたり、娘が言ってくれて、前の女房がブロッコリーを入れた野菜ジュースを作ってくれるんです。それを娘が持ってきてくれます。本当に感謝しています」
■「家庭がどれほど大事かがわかった」
山川はデビュー40周年を迎えた’20年、大手芸能事務所から独立した。
「周りからは“こんな時期だから後でもいいんじゃないの”と言われましたが、僕のわがままで独立させてもらいました。本当にね、コロナ禍のときから事務所の退社や離婚など、目まぐるしいほどいろんなことが起きましたね」
改めて離婚の理由について聞くと……。
「僕はいわゆる子育てを手伝ったことはほとんどないんです。子供たちが幼いころは帰ってきたら寝てるし、起きる前に仕事に出かけなきゃいけないし。こうやって子供2人とも素直に育ってくれたのも、前の女房のおかげです。だから、子供が大きくなって、お互いが好きなことをやっていきたいなと、それがいちばん大きな理由ですかね。
でも、家族の絆は今も強いですよ。離れていてもね。子供たちが僕らを守ってくれている。前の女房には、申し訳ないという気持ちはあるんだけど、なかなか言えなかった。
あと、僕が独立して会社を立ち上げることになったので、結婚していると万が一失敗したときに前の女房まで責任がいってしまう。彼女にも“息子を社長にするとか、保証人にするのは絶対にダメ”と言われていますから」
闘病を機に、元妻との距離感も変わった。
「血液検査の結果を娘に連絡したら『すぐママに伝えて!』と言われてね。僕は“迷惑かけちゃいけない”と思ったんですけど、前の女房と一緒に病院に行ったり、告知を聞いたりできたのは2人の子供たちのおかげだと思います。子はかすがいですね」
闘病のため、食生活には細心の注意を払っている。
「僕はいま、朝ご飯を2回食べているんです。朝6時半に起きて、まずぬるま湯を飲んで生のにんにくとバナナを食べる。2回目は前の女房が持ってきたスープを飲んでいます。夜は高価な健康食品も試しています。兄貴が『なんでも試してみろ!』というからね。
一人になるとね、家庭がどれほど大事だったかわかりました。来年も歌が歌えるのかな?とは思うけれど、こうなった以上は、がんでもなんでも受け入れないといけない。頑張るという言葉はよくないと言われるけど、頑張るしかないからね」
同じくがんを経験した“仲間”たちも心強い味方だという。
「やっぱりがんを経験したみなさんからいろんなアドバイスをいただいたりすると、一人じゃないんだと感じました。一緒に闘ってる人もいると。電話でも『大丈夫だよ』と言ってくれたりね。兄貴の友達にもいますし、クワマン(桑野信義)さんとかね」
新曲『兄貴』を発表し、「これからもまだまだ歌い続けていきたい」と熱く語る。12月4日には鳥羽との初の兄弟デュオ作品『俺たちの子守唄』もリリースする山川に、最後に闘病を支えてくれている元妻への思いを聞いた。
「『ありがとう』、この一言に尽きます。別れてからこう言えるようになったからね。今のこの家族の形がいちばん理想です」