2021年の1月、レース中の落車で命が危ぶまれるほどの大ケガを負ったオートレーサー、森且行さん(50歳)。奇しくも、その3か月弱前には日本選手権で日本一に輝いたばかりだった。
そこからほどなく、まだ杖なしでは歩けない状態の森さんにカメラが密着開始。3年間を追ったドキュメンタリー『オートレーサー森且行 約束のオーバル 劇場版』が全国で劇場公開される。
森さん自身の厳しいリハビリ風景やインタビューだけでなく、生い立ちや、ともに歩んできた兄・森久典さんへのインタビュー、担当医や同期や後輩レーサーなどにも、カメラはレンズを向けた。
今も神経麻痺の残る状態でリハビリを続けながら、レースで走る森さんにインタビュー。お兄さんとの関係や、1996年、すでにトップアイドルグループだったSMAPからオートレーサーへと転身した森さんに、ファンへの思いも聞いた。
普通に歩けるなら、レースにも復帰できる、大丈夫だと思った
――穂坂(友紀)監督が、落車後に初めて森さんにお話を聞いたとき、「絶対に復帰する」と宣言されたそうですね。もう歩けないかもしれないとまで思われた大ケガだったわけですが、ご自身の中では復帰までのプランが。
森且行さん(以下、森):
ある程度、できていました。じゃなかったら、たぶん出ていなかったと思います。絶対に無理だと思ったら、今回の企画自体を受け入れてないですね。
それに受け入れたということは、自分にプレッシャーをかけることにもなる。テレビに出て「復帰します」と言ってできなかったらかっこわるいじゃないですか。自分を追い込む手段としても利用させていただきました。
――「復帰できる」に違いないと希望が芽生えたタイミングは。
森:
先生の言葉かな。「大丈夫、歩けるようにはなるよ」って。「普段の生活はできるようになるよ」と言われたときに、普通に歩けるんだったら、これはもう復帰できると思いました。
僕たちの場合、エンジンが人間を運んでくれるわけだし。歩けるんだったら、大丈夫だと。
退院してからは自転車に乗りまくりました。立ち漕ぎしてね。立ち漕ぎすると、どうしてもバランスを崩してグラッとなるんですよね。自分が使える神経と、使えない神経があるので。そこを探りながら、とにかく自転車をたくさん漕ぎました。
命も危ぶまれた大ケガから奇跡の復帰。1着を飾るも涙は見せず
――2023年4月6日、復帰戦を1着で飾りました。日本選手権には涙がありましたが、復帰の1着の際は笑顔でした。次を見据えていたからでしょうか。
森:
日本選手権で僕はレースで初めて泣いて、もう「二度と泣くものか」と心に決めていたんです。「復帰しても、絶対泣かないぞ」と。自分のことでは泣かない、絶対に我慢しようと。そう決めていたんです。
――そうだったんですね。
森:
でも泣きそうでしたよ。堪えました。ここで泣いたら次がないと思って。
復帰戦って、特別なものだけれど、優勝ではないし、ここで泣くようなメンタルだったら先には行けない。グッとこらえて。
オーバル(レース場)に帰ってこれた瞬間ではあったので、ヘルメットを脱ぐまでは本当にやばかったですけど、脱いだ瞬間、目をパシパシっとやって涙が出ないようにしてました(笑)
仲良しの兄、「弟、全然ダメじゃん」と周囲に言われたことも
――本編には森さんの兄・久典さんもたくさん登場しています。「弟はアイドルとオートレーサー、両方の夢を叶えてくれた」と話していますね。
森:
兄貴はね、めちゃくちゃ僕に優しいんです。
でも僕の成績が悪いときには、兄貴も「弟何やってんの」「弟、全然ダメじゃん」みたいなことを周りから結構言われたらしいんです。だから兄貴や兄貴の友達、周りのためにも日本一にならなきゃと思っていました。
――幼少期のご苦労も明かされます。おふたりの思い出の公園にも行かれていました。一緒にオートレースごっこをしていたと。
森:
でも兄貴は、本当はそれほどオートレースごっこを好きじゃなかったんじゃないかな。
僕のために付き合ってくれていたんじゃないかと思います。なんども転校していて、なかなか友達もできないなかで、兄貴が一番の友達でした。
学校の子たちに「オートレースごっこしようぜ」なんて言っても、実際にレースを観たこともないし、理解もしてくれない。でも兄貴は一緒に観たことがあったし。いろいろと付き合ってくれましたね。
いまでも本当に仲がいいんです。顔も似てるし体型も一緒だし。歩いてる姿を後ろから見たら見分けがつかないんじゃないかな。実際、高校のときなんか、同級生が兄貴に向かって、僕の名前を呼ぶことが何度もありましたからね。
「ファンがいなくても」って。それは間違いだった
――ファンの存在についても聞かせてください。本編にもリハビリ中にファンから届いた応援の手紙などが映し出されていました。ファンに対しての気持ちに変化はありますか?
森:
芸能界にいたときは、応援してもらうのがすごく嬉しくて、コンサートでうちわを持ってくれている姿なんかを見ると、最高に気分が良くて。でもオートレースって、応援してもらっても結局は自分が勝たなかったら賞金も入ってこない。
だからレーサーになったとき、ちょっと生意気だったのかな、一度、何かのインタビューで言っちゃったんです。「ファンがいなくても、強くなればそれでいい」って。
でもそれって、やっぱり全然間違いで。ファンがいてくれないと力も出ない。応援してくれる人がいないと、速く走れないんです。
――当時の森さんにとっては、自分を奮い立たせようとする言葉だったんでしょうね。
森:
そうですね。強くなれば、ファンは付いてきてくれるだろうという考えだったんだと思います。今思うと、ほんと生意気なことを言ったなと。
――それでもファンはついてきてくれた。
森:
そう、ありがたいことに。ケガして2年3か月も走ってなかったら、やっぱりちょっとは気持ちも薄れてくるじゃないですか。でも「待ってますよ」ってみんな言ってくれて。感謝しかないです。
そこに穂坂監督が現れてくれて、テレビ(TBS系列『情熱大陸』)で僕の頑張っている姿を映しだしてくれた。ファンにとっては、穂坂監督は神様的存在ですよね。
自分に発破をかけるのはSMAP名曲にも登場の言葉
――この映画で、昔からのファンも改めて繋がれる気持ちになれるのでは。
森:
そうなってくれればね。この映画を観て、ファンの方がどう思うか分からないけれど、少しでも何かを感じてもらえたなら、僕は最高です。
――最後に、今もリハビリを続けながらレースに挑んでいる森さんですが、ご自身に発破(はっぱ)をかけるときは、どんな言葉をかけていますか?
森:
「腐るな」と言います。
――今も昔も?
森:
そうですね。レーサーの先輩にも言われたんですけどね、「且行、この世界、腐ったらおしまいだぞ。だから絶対腐るなよ」って。歌にもあるじゃないですか。「腐ってたらもうそこで終わり」って。ね!
<※SMAP、シングル曲『オリジナル スマイル』より>
ちなみに、なんとこのあと森さんは「オリジナル スマイル」のサビを口ずさみながら颯爽と歩いていったのだった!
<取材・文・撮影/望月ふみ>
(C)TBS
ドキュメンタリー映画『オートレーサー森且行 約束のオーバル 劇場版』は11月29日(金)より新宿ピカデリー、角川シネマ有楽町他にて全国公開
【望月ふみ】
70年代生まれのライター。ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画系を軸にエンタメネタを執筆。現在はインタビューを中心に活動中。@mochi_fumi
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