173㎝・9頭身グラドル 斎藤恭代の「超絶ボディ」のルーツ 体操にささげた青春や現在のトレーニングを語る

佐藤容平●撮影photo by Sato Yohei

173㎝・9頭身グラドル 斎藤恭代の「超絶ボディ」のルーツ 体操にささげた青春や現在のトレーニングを語る

11月22日(金) 10:05

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9頭身の超絶スタイルを持つ美女として、現在、グラビアなどに引っ張りだこの斎藤恭代さん。しかし、美ボディは一日にしてならず。神々しささえ覚えるその体はどのようにして生まれたのか。そして、彼女のボディメイク哲学とは。体操選手として青春を燃やした経歴とともに聞いた。



173cn・9頭身の超絶スタイル photo by Sato Yohei





――撮影お疲れさまでした! あらためて、すごいスタイルですね。

斎藤恭代(以下同) ホントですか?ありがとうございます!

――173センチ、9頭身というスタイルが武器。

でも、高身長はコンプレックスだったんです。中高生のときにやっていた器械体操でも、段違い平行棒で下バーに脚がぶつかりそうになったりと、ハンデになることも多かったですし......(苦笑)。

――器械体操のために地元の栃木から福岡の高校へ越境入学したそうですね。

はい。作新学院など、県内の強豪校からもお話があったのですが、唯一県外から声をかけていただいた福岡の高校(杉森高校)を選びました。

――県内ではなくわざわざ福岡の高校を選んだ。

体操って、手の皮はむけて辛いし、平均台上でのバク宙だって本当に怖いんですよ。なので、特待生として高校に入っても、生半可な気持ちだと辞めてしまって結局お金を払わなきゃいけなくなる。

福岡に行けば辞めずに最後までやりきれる。自分のためになると思って、その選択をしました。

――すごい覚悟です。特待生ということは、小さい頃からかなりの体操エリートだった?

全然そんなことはなくて、体操を始めたのは中学生になってからなんです。

ただ、お父さんが大工だったこともあり、自作の鉄棒や平均台、跳び箱といったものが物心ついた頃から家にあったんです。それらの器具で、小さい頃から姉と一緒に遊んでいたので、体を動かすことは大好きでした。

私が中学生に上がる頃に、その父は病気で亡くなってしまうのですが、そんな縁から中学では体操部に入ってみようと。

――そうだったんですね。中学は強豪校だったんですか?

まったくです。他の中学は小さい頃から体操クラブに入っているような子ばかりなのに、私の学校は私も含めてほとんどが初心者でした。

なので、大会に出れば他校が大技を決めているなか、私の中学はでんぐり返し(笑)。会場では笑われるし、ぶっちぎりの最下位だしで、本当に悔しかったです。それからは体操漬けの毎日で、2年生の夏から部長としてチームをまとめて、最後の大会では県大会で優勝できるまでになりました。

――では、高校でも期待値は高かったでしょうね。

栃木ではそういうストーリーもあって、斎藤恭代という名前は地元の体操界ではある程度知られていましたが、高校は全国から集まったすごい子ばかり。またいちばん下からのスタート、という感じでした。

――高校での練習は厳しかった?

何度辞めようと思ったかわからない(笑)。顧問の先生に顔を叩かれてケガする子もいるくらい超スパルタで......。

――今なら社会問題ですね......。

もちろん当時も問題になり、顧問の先生がいなくなってしまって、私たちの代で廃部になりました。

最後の大会では、団体戦の最終種目の床で大技をやろうとしたところで着地に失敗。左膝の前十字靭帯を切ってしまい......。

――選手生命にかかわる大ケガ。

でも、自分の体よりも、私のケガのせいでチームが次の大会に行けなくなった、メンバーの未来を奪ってしまったことが一番辛かったです。最悪の終わり方でした。

――しかし、その経歴が現在の美ボディにつながっているのでは?

いえ、女子体操選手は肩の筋肉が発達するので、私の体操部は全員"肩神"と呼ばれているくらいでした(笑)。

ふくらはぎもモッコリで、シルエットは逆三角形になるから、いわゆる美しい女性の体形とはちょっと違う体つきになりますよね。田中理恵選手は女性的にもとてもキレイな体をされていましたが。

私は、ケガをして筋肉がゴッソリ落ちてしまいましたが、体操経験者の体形はすぐにわかります。

――では、ボディメイクに目覚めたのはいつ?

今年の6月に、フィットネス雑誌「Woman's SHAPE」さんの「斎藤恭代のコンテスト優勝への道」という、ベストボディ・ジャパンに挑戦する企画にオファーをいただいてからです。

――たった5カ月前とは驚きです。

それ以前は、「RYT500」というヨガインストラクターのライセンスを持っていたので、ヨガを自分でやったり教えたりするなかで、体形維持をしていました。

――ヨガで培った柔軟性がボディメイクの下地になっている?

勘違いされがちなのですが、ヨガをやることで体がとても柔らかくなる効果はあまり期待できません。常に呼吸法を意識しながらポーズを取っていくので、自律神経を整えることができます。

あとは精神面。ヨガ資格の取得を目指していた21歳の頃は、上京したてで仕事もなく、オーディションを受けては落ち続ける、自信を失う日々でした。そのなかで、"すでに自分は足りている"、"求めすぎずにやれることをやる"と考える「サントーシャ」(足るを知る)という、ヨガの哲学に触れられたことは大きかったです。

それがあるから、今も精神的にがんばれているんだと思います。そういったヨガの考え方には、何度も助けられました。

――知りませんでした!

ただ、ヨガでインナーマッスルが鍛えられるのは事実だと思います。「ブリクシャーサナ」「ヴィーラバドラーサナ」といったポーズでは体幹も鍛えられますし、骨盤のズレの矯正にもなる。そういう意味では、女性のしなやかな体づくりにヨガは向いているのかもしれません。

――現在はどのようなトレーニングを?

パーソナルトレーナーの先生の指導のもと、お尻や背中、肩を重点的に鍛えています。

お尻は重量を50キロに設定してのヒップスラストや、ブルガリアンスクワット、チューブを使ったヒップトレがメインです。肩と背中は、スミスマシンを使ったトレーニングや、サイドレイズ、リアレイズなどで鍛えています。

これらの部位を大きくすると、ウエストの細さが際立つんですよ。

――トレーニングで気をつけていることは?

宅トレやひとりでジムに行くこともありますが、基本的にパーソナルの先生に教えてもらったこと以外はしない。フォームを間違えると、狙ったところと違う部位が大きくなってしまうので、勝手に進めないことが大事だと思います。

――1週間に何時間くらいトレーニングに費やしているんですか?

パーソナルトレーニングが1回1時間で週2~3回、あとは自主トレで合計週5、6時間でしょうか。時間よりも質重視ですね。

――食事でのこだわりは?

この仕事をしていると、食事の時間が不規則だったり、ロケ弁で栄養が偏ってしまうことがありますけど、そんなときも白身魚や赤身肉のメニューを選んだり、白米じゃなくて玄米にしたり、なるべく高タンパク、低脂肪を心がけています。

――無理なダイエットはしない。

もちろんです!まずはしっかり食べること。モデル活動をし始めた頃は周りが細すぎて食べないダイエットをした時期もありますが、それで体調不良になってしまうことも多かったんです。

そもそも、高校が食物科で調理師の免許も持っているので、食事の大事さは知っていたはずなんですけどね(笑)。

(つづく)



【Profile】 斎藤恭代(さいとう・やすよ)/1996年4月22日生まれ。栃木県出身。

中学1年から器械体操を始め、福岡県の杉森高校に特待生として進学。高校3年で迎えた競技会で左膝の靭帯を損傷し競技から退く。その後、福岡でのアイドル活動などを経て、2017年には「ミス・アース・ジャパン」日本代表に選出され、世界大会にも出場。9頭身のスタイルを活かし、グラビアなどで活躍する傍ら、2024年10月に開催された「ベストボディ・ジャパン千葉・君津大会」のガールズクラス(18歳~29歳)で優勝。11月24日に開催される全国大会への出場を決めている。自身2冊目となる写真集『いいんだよ?』(小学館)が好評発売中。

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