江川卓とほかの速球派との決定的な違いを元ヤクルト水谷新太郎が語る「どこに力が入ってんの?」

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江川卓とほかの速球派との決定的な違いを元ヤクルト水谷新太郎が語る「どこに力が入ってんの?」

11月22日(金) 17:10

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連載怪物・江川卓伝〜水谷新太郎が垣間見た指導者としての才(後編)

前編:江川卓の才能に慄いた不動の遊撃手・水谷新太郎はこちら>>

1970年後半から1980年中盤にかけてヤクルトの遊撃手として活躍した水谷新太郎は、江川卓との通算対戦成績は99打数25安打(打率.253)、1本塁打、10打点。江川と100打数前後対戦したヤクルトの中では、若松勉、角富士夫に次いで3番目の成績だ。

「江川は真っすぐ、カーブとも、わざとボールを投げられるだけのコントロールを持っていたと思いますよ。カーブを投げ分け、真っすぐは高めで勝負してきた。高めのストレートのイメージがあると、カーブでやられるんですよ。ほんとにブレーキが効いていて、カーブだとわかっても一瞬アゴが上がってしまうから手が出ないんですよね」

かつてヤクルトの遊撃手として活躍した水谷新太郎photo by Sankei Visual

かつてヤクルトの遊撃手として活躍した水谷新太郎photo by Sankei Visual





【絶対にカーブを打たなきゃダメだ】江川のカーブは、決して"魔球"と呼べるほどのものではない。ただ、やはりあの速いストレートがあるから、打者にとっては厄介なボールになるのだ。江川の異次元のストレートに意識がいけばいくほど、カーブに反応できないという。

しかもバッターの雰囲気から相手の狙い球を察知する能力が高い江川は、ストレートに絞っていると判断すると、カーブで簡単にストライクをとってくる。打者にしてみれば、意表を突かれたというより小馬鹿にされた感じで打ちとられていく。"江川流"といえばそこまでだが、元来の速球派のスタイルとは確実に一線を画す。

「江川から2割5分ほど打っていますが、全盛期ではなく肩を痛めたあとに打って、それくらいの率になったと思います。江川との対決のなかで印象的な打席っていうのはないんですが、カーブを狙い打ちしてセンター前に打った時は、『よっしゃー、打ったぞ!』と心の中で叫びました。真っすぐばかり狙ってやられっぱなしだったので、一度カーブを狙ってみようと思って」

開き直って真っすぐを捨ててカーブ一本に絞り、見事ヒットを放った喜びは今でも覚えているという。ならば、ほかの打者もカーブを狙えばいいと思うかもしれないが、ことはそう単純ではない。

カーブだけを待っていると、察知能力の高い江川にすぐにばれてしまう。すると、カーブは投げずにストレート勝負を挑まれるわけだが、カーブ狙いの打者が対応できるものではない。あくまでストレートにタイミングを合わせるのが基本で、カーブだけを狙うというのは通用しない。

「巨人って、ベンチからよく野次ってくるんですよ。『曲がるぞ、曲がるぞ』『次はカーブだぞ』って。コノヤローって思うんですが、それでやられるんですよ。もう悔しいじゃないですか。そういうこともあって、絶対にカーブを打たなきゃダメだと決意したんです。もっと早くからやっておけばよかったなと思ったんですけど、ストレートを打ち返さなきゃという意識があるので、なかなかカーブは待てない。だからカーブに絞った時は、三振覚悟で打席に入りましたよ」

【クイックも牽制もしない江川卓】小松辰雄(元中日)、遠藤一彦(元大洋)、槙原寛己(元巨人)、大野豊(元広島)、川口和久(元広島ほか)、津田恒実(元広島)といったセ・リーグの速球派と対戦してきた水谷だが、江川と似ているピッチャーとして鈴木孝政(元中日)の名を挙げた。

「孝政もいい球投げていましたよ。もう『どこに力が入ってんの?』っていうくらい力感のない投球フォームで、ピュッとボールがくる。当時は、ああいうピッチャーがすごいんだろうなって思っていました。今のピッチャーと比較しても、そんなピッチャーいないですよ。

どっちかと言ったら、小松と槙原はよく似ていますよね。ガーンと速いんだけど、コントロールはそうでもない。遠藤はダイナミックで完璧なオーバースローだから、角度がありましたね。速球派と言えば、ダイナミックなフォームだから、それに身構えて準備していくけど、江川と孝政は力感なく飄々と投げてくるからタイミングが取りづらい。ほんとに不思議なピッチャーでした」

フォームに力感がないのに、あれだけ速い球を投げられるとプロのバッターでも惑わされてしまうものだという。完投が当たり前の時代、江川は力を温存するために下位打線には力を抜いていたのは周知の事実。水谷は、「弱打者と思ったら手加減する。僕なんかもそのなかのひとりでした」と笑う。

「江川はワインドアップで投げていましたけど、今のピッチャーはどちらかというとセットポジションで投げるほうが多いですね。結局、セットで投げるほうが無駄な動きが少ないというか、ボールは安定しますよね。それにランナーが出ると、クイックをやらないとどんどん走られてしまう。今の時代、クイックのできないピッチャーはダメですよ。

だけど江川はクイックをしないし、牽制もしない。ランナーが出て走られても、点さえ取られなければいいんだという考え。大魔神・佐々木主浩も一緒ですよ。彼も全然クイックができなかったですから。『走るなら走ったらいいじゃん』って感じで牽制もほとんどしない。その点、大洋(現・DeNA)の齊藤明雄は牽制ばっかり。横浜スタジアムで9球連続牽制されました。9球連続ですよ(笑)。そういうピッチャーもいるし、昔は得点圏にランナーが進んでも『このバッターを抑えればいいんだろ』っていう考えの投手が多かった。それだけ力があるということです」

打者を圧倒し続けた江川からヒットを放つだけで喜び勇み、より高みを目指して自己研鑽していく。そんな現役人生を送った水谷は今、子どもたちに野球の真髄を伝えている。

(文中敬称略)



江川卓(えがわ・すぐる) /1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

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