女子高生プロレスラー山岡聖怜「こんな世界があるんだ...」レスリング少女が挫折を経て見つけた夢

田中 亘●撮影 photo by Tanaka Wataru

女子高生プロレスラー山岡聖怜「こんな世界があるんだ...」レスリング少女が挫折を経て見つけた夢

11月22日(金) 7:10

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山岡聖怜 インタビュー 前編(全2回)

女子プロレス界にニューヒロインが誕生する。来年1月3日に東京・大田区総合体育館で開催される『MARIGOLD First Dream 2025〜初夢〜』でデビュー戦を迎える18歳の山岡聖怜(せり)。グラビアアイドルとして活躍する山岡雅弥(みやび)さんの妹であり、幼少期から兄弟姉妹でレスリングに打ち込んできたというバックボーンを持つ。鍛え上げられた筋肉に端正なルックスもあいまって、SNSでは日々フォロワーが増加中だ。インタビュー前編では、生い立ちからデビューまでのいきさつを語ってもらおう。

年明けにデビュー戦を控える女子プロレスラーの山岡聖怜

年明けにデビュー戦を控える女子プロレスラーの山岡聖怜





【レスリングに夢中だった少女時代】 ーー出身地や家族について教えてください。

山岡聖怜(以下同) 私の実家は福岡県です。と言っても、大分県との県境の山奥で自然豊かな超田舎。福岡の中心街の天神に行こうと思ったら車で3時間近く、大分の繁華街までも2時間くらいかかるようなところ。近くにレスリングの練習場があって、そこで兄、姉(雅弥さん)、弟と一緒に練習していました。

ーー4人きょうだい全員でレスリングをやっていたとのことでご両親も経験者ですか?

いえ、父親も母親もレスリング経験者ではないんです。母親がウェイクボードのプロだったので、その影響で、私たちきょうだいもウェイクボードをやっていました。ある時、ウェイクボード仲間で子ども同士の相撲大会が開催され、その大会で兄が100キロほどある大きな相手を投げ飛ばしたんです。「レスリングをやったらいいんじゃない?」と周りに勧められ、兄が始めたのをきっかけに姉も私もレスリングの道へ。小学4年生の終わりくらいのことでした。

子どもの頃の思い出を振り返る山岡

子どもの頃の思い出を振り返る山岡





ーー最初はウェイクボードと並行して、なんとなく始めたレスリング。本気で取り組むようになったのは?

中学に入ってから練習意欲に火がつきました。実家から通える範囲内にレスリングの強豪校がなかったこともあり、より高いレベルで続けるにはどうしたらいいか考えたんです。そこで、レスリングで東京都内の高校に進学することを目標にひたすら頑張りました。

ーー11月13日に誕生日を迎え、18歳となった山岡さん。中学生の頃と言えば、ちょうどコロナ禍まっただなかでしたが、練習は続けられましたか?

実家から通っていたジムでは十分な練習はできなくなりました。でも、両親が自宅の倉庫をDIYで改築し、マットを敷いてくれたんです。そこが新たな練習場となり、きょうだいといつでもレスリングができたことが大きな支えとなりました。

【ジュリアに憧れてプロレスの道へ】 ーーお姉さんは現在、グラビアアイドルとして活躍する山岡雅弥さん。2021年度に『ミスヤングマガジン賞』を受賞した際、中学生でレスリング全日本選抜ベスト8の実績も話題となりました。

姉は私の2つ上で、高校を卒業後に上京していたんです。小さい頃からずっと仲がよくて、ウェイクボードとレスリングの一番身近な練習相手でもあり、母親のように私の面倒を見てくれる存在でもあります。そんな姉とまた東京で一緒に暮らしたいという気持ちもあり、東京へ進学したかったんです。

先日18歳になったばかり

先日18歳になったばかり





ーー努力が実り、東京の高校に合格。上京して新たなスタートを切りましたが......。

私が高校に入学する時に、家族で大分から東京に引っ越しをしました。さあ、これからさらに上を目指そうと中学の時以上に練習に打ち込んだんですが、ケガ、ケガ、ケガの繰り返しで。肉体的にはもちろん、精神的にきつかったですね。周りが練習をして、試合に出て経験を積んでいる間、自分は思うように体を動かせない。どんどん差を広げられる。一番つらかったのが前十字靭帯のケガです。手術をすると1年間はレスリングができないと知り、道が途絶えたような気持ちになりました。また復帰できるのかな?と日々ストレス、不安、プレッシャーを感じていました。そんな時に出会ったのが女子プロレスでした。レスリングとはまったく違う、こんな世界があるんだと驚きました。なかでも(人気プロレスラーの)ジュリアさんは華があって、私もこんな選手になりたいと思いました。

レスリングでの挫折を経て、プロレスラーに転身

レスリングでの挫折を経て、プロレスラーに転身





【女子プロレスを代表する選手になりたい】 ーー高校生レスラーから女子プロの道へ進むために環境をどう変えましたか?

女子プロレスの会場へも何度か行ってみて、自分もリングに立ちたいと目標ができました。これから私がやるべきことは、レスリングじゃなくてプロレス。もともとスポーツ推薦で入った高校だったので、レスリングをやめると同時に高校も中退し、通信制の高校に入り直しました。それから、姉のツテもあって芸能事務所に所属し、SNSでの活動も始めたんです。

鍛えられた肉体はSNSでも大きな反響を呼んだ

鍛えられた肉体はSNSでも大きな反響を呼んだ





ーー女子プロレスを目指すにあたって女子プロレス団体の「マリーゴールド」を選んだきっかけは?

「マリーゴールド」に憧れのジュリアさんがいたからです。同じ場所でプロレスをやってみたいと思いました。日本人とイタリア人のハーフで、プロレス会場の空気をガラッと変えるような存在感は圧倒的です。プロレスの技だけじゃなく、見た目もカッコいい。現在は別の団体で活躍されていますが、今でも動画を繰り返し見ています。まだデビュー前ですが、いつかジュリアさんのように女子プロレス界を代表するような存在になりたいです。

インタビューで将来の展望を語った

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【プロフィール】

山岡聖怜やまおか・せり

2006年、福岡県生まれ。小学4年生の頃からレスリングを始め、中学時代には全国中学選抜選手権54キロ級で2位。スポーツ推薦で東京都内の高校へ進学し、2022年には全日本ビーチレスリング高校生軽量級で優勝。その後はケガに苦しみレスリングを断念し、プロレスの世界に入る。2024年8月に女子プロレス団体「マリーゴールド」に入団。2025年1月3日に東京・大田区総合体育館で開催される『MARIGOLD First Dream 2025〜初夢〜』でデビュー戦に挑む。憧れのプロレスラーはジュリア。

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