BCリーグから阪神へ強肩強打の捕手・町田隼乙を飛躍させた「名将の熱血指導」と「プロの二軍キャンプ」

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BCリーグから阪神へ強肩強打の捕手・町田隼乙を飛躍させた「名将の熱血指導」と「プロの二軍キャンプ」

11月21日(木) 10:00

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阪神ドラフト4位

町田隼乙インタビュー後編

(前編:「捕手失格」から這い上がったBC埼玉での3年間>>)

甲子園は遠くにあるものだった。テレビでは見ていたが、一度も訪れたことはない。そんな少年は高校卒業後に独立リーグでたくましく成長し、今年のドラフト会議で阪神に4巡目で指名された。町田隼乙(21歳/ルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズ)にとって、甲子園のグラウンドに立つことは現実的な夢になった。

今季、BC埼玉の4番・キャプテンで活躍した町田

今季、BC埼玉の4番・キャプテンで活躍した町田





【フェニックスリーグで受けた熱血指導】神奈川で育った町田だが、幼い頃の阪神の思い出について、「家族と横浜スタジアムに観戦に行った横浜戦(2008年4月12日)で、金本知憲さんの2000安打達成の瞬間を見たことがあるんです。ライト前ヒットでした」と振り返る。

それから15年後、もうひとつの「自慢」ができた。2023年のみやざきフェニックスリーグで、IPBL(日本独立リーグ野球機構)選抜が阪神と対戦した際に、町田は青柳晃洋からホームランを放った。日本シリーズ直前に調整していた"本気モード"の青柳から放った一発は自信になった。

そのフェニックスリーグは、捕手として伸び悩んでいた町田が殻を破るきっかけになった。前期のIPBL選抜を率いた、独立リーグ・九州アジアリーグの大分B-リングスの山下和彦監督から、「お前はNPBに行ける」と熱心な技術指導を受けたのだ。近鉄や日ハムで捕手としてプレーした山下監督に、基本的な動作やスローイングをマンツーマンで見てもらうなど、捕手としての経験と知識を伝授された。

「試合のあとに呼ばれて監督のところに行ったら、すごく分厚いノートを渡されて。『山下ノート』と言うんでしょうか。それを『フェニックスリーグの期間中、貸してあげるから』と。たぶんNPBでプレーしていた時や、コーチ時代などにずっと書いていたんでしょうね。驚くことばかりで、それをノートに写したり、写真を撮らせてもらったりしました」

山下監督からは、「NPBに行かせてやるから大分に来い」とも誘われたという。「素晴らしい指導者だと思いますし、教えを受けたい気持ちはありました」と悩んだが、BC埼玉に残留することを選んだ。高校卒業からお世話になったチームでNPBに行く、と決めていたからだ。

【キャンプで自分を「売り込み」】翌年には、阪神二軍の春季キャンプにブルペンキャッチャーのアルバイトとして2年連続で参加した。

独立リーグからは時々、打撃投手などの手伝いでキャンプに参加する選手がいる。成長するためには絶好のチャンスだが、その球団からドラフト指名を受けることは稀だ。

「1年目のキャンプではテレビで見ていた方たちを前に、緊張しっぱなしでした。とりあえず経験させてもらうだけ、というか、ただNPB投手の球を見に行っただけのような感じです」

そんななかでも、球を受け続けることでキャッチングが向上し、速球や変化球に目が慣れていった。野村克則コーチなど首脳陣もよくしてくれ、選手たちとも馴染んで道具をもらうことも多かったという。

2年目のキャンプ参加が決まった時の町田の心構えは、1年目とは違った。

「流れもわかっていましたし、選手や首脳陣も自分のことを覚えてくれていました。NPBに行きたい気持ちが強かったので、経験を積むことはもちろんですが、『自分を売り込みにいく』という部分もありました」

ブルペンでは、いつも秋山拓巳からキャッチボール相手に指名された。髙橋遥人など一軍で活躍する投手の球も受けたが、それを見た阪神の吉野誠スカウトが「(NPBの選手と比較しても)遜色なかった」と評価するなど、キャッチングは安定していた。

キャンプでキャッチングなどを学んだ町田写真:本人提供

キャンプでキャッチングなどを学んだ町田写真:本人提供





榮枝裕貴ら、捕手陣と一緒に練習する機会もあり、スローイングの指導を受けることもできた。

「フェニックスリーグでの山下監督の指導と、阪神のキャンプで指導を受けた効果はすぐに出てきました。下半身主導の投げ方をしっかりとするようになったんです」

吉野スカウトはコーチ陣の報告も受けていたようで、ドラフト後の指名挨拶でこう明かした。

「私は高校2年の頃から(町田を)見ていて、打撃は非常にいいけど、送球が物足りないということで指名を見送っていたんです。でも、キャンプで送球指導を受け、そのあと自分でも1年取り組んで送球が本当によくなりました」

【4番・キャプテンとして躍動】とはいえ、キャンプで評価されても、シーズンで結果を出さなければドラフト指名は遠ざかる。BC埼玉の清田育宏コーチは、2024年シーズンを前に「町田をNPBへ行かせる」と公言していた。

「そのために『まずは体作りだ』と言われました。オフシーズンには、清田さんがロッテ時代から個人で見てもらっていたトレーナーさんに、トレーニングを教わりましたね」

正しいトレーニング方法を学んで意識も変わった。野球選手としての自分の体を知り、どこをどう鍛え、どう使うかを理解する。それはバッティングの向上にも繋がった。

新シーズンを前に、町田は西崎幸広監督から「4番・キャプテン」に任命された。前年度は強力打線で優勝を勝ち取ったが、多くの選手が抜けたことで戦力ダウンが危惧されていた。そんななかで、町田へのマークが厳しくなり、大きなプレッシャーがかかることが心配されたが......そんな"小さい器"ではないことを証明した。

本塁打こそ5本だったが、コンタクトがよくなり、シーズン打率は.323。それまで苦しんだ速球にも、「速くて打てなかった、という記憶はないですね」と振り返るように打席で余裕が出るようになった。磨いた長打力に加えて、"ここぞ"という場面の勝負強さも光った。

ただ、もっとも変わったのは守備時の二塁送球だ。低い軌道で、強い球がいく。二塁送球のタイムはコンスタントで1.8秒後半を計測した(練習での最速は1.81)。もともと地肩は強い。投手陣がラプソード(データを測定・分析するトラッキングシステム)で球速を計測していた時、町田も試しに投げると148キロが出たという。その鋭さで、二塁に送れるようになったのだ。

悩みに悩んだ送球が、ついに自分の形として定着してきた実感があった。だが、勝負の秋を迎える前に、予期しないアクシデントが町田を襲った。

【BC選抜で最後のアピール。指名の瞬間は唖然】7月30日の茨城戦。町田はホームに走ってくるランナーにタッチにいった際に左手を痛めた。いったん手当てをして試合に戻ったものの、9回に交代。その後、しばらくミットをはめられない状態が続いた。

「BC選抜戦まで約1カ月という時期だったので、あの時は焦りました。バッティングではある程度アピールができていたけど、捕手としてどう評価してもらえるか、が重要ですから」

BC埼玉に入団してから、初めて負ったケガだった。次に試合に出られたのは8月11日のこと。代打でヒットを放ったが、その後はシーズンが終わるまで、すべてDHで出場した。

スカウトや編成が集まり、ドラフトの最終判断の材料となるのが、9月のBC選抜対NPBファーム戦だ。ここで捕手としてのプレーをしっかり見せなければならない。しかし町田は十分な練習が出来ず、実戦感覚が戻らない状態で試合に臨むことになった。

そうして迎えた9月20日、ベルーナドームでの西武戦。町田はフェンス直撃の大きな当たりも出るなど、二塁打を2本放った。心配された捕手の守備では盗塁を刺して見せるなど、その日出場した選手のなかで一番と言っていいアピールをした。

今年のドラフトは「捕手の候補が少ない」と言われていたが、高卒3年目という若さもあって町田の評価は上昇。調査書の数も増え、追い風が吹くなかでドラフト会議当日を迎えた。

町田はUDトラックス上尾スタジアムの本部室でその時を待った。スタンドにはファンが集まり、球場のビジョンで会議の様子を見守るなか、「第4巡選択希望選手。阪神タイガース......町田隼乙」という声が響いた。

4巡目は、予想外の早さだった。驚きで呆然とする町田の耳に、スタンドからの歓声が届いた。

「呼ばれた瞬間にみなさんの声が聞こえて、すごく嬉しかったです」

指名後にはスタンドに行き、平日の夜にも関わらず集まってくれたファンに向けて挨拶した。「おめでとう」の声に包まれ、写真やサインを求める人々に丁寧に対応し続けた。

高校時代はコロナ禍の影響で無観客か、手拍子での応援。BC埼玉に入って2年目から声出しが解禁になり、トランペットや賑やかな応援歌が響く熱い応援に感動した。「応援が力になる」ということを実感しながら成長し、とうとうNPB入りを掴んだ。

独立リーグでの日々を振り返り、町田は「もう一度やり直すとしても絶対、独立リーグを選ぶ」と断言する。そうでなければ、1年目からあんなに濃い経験を積めることはなかっただろうと。

独立リーグの規模からすれば、甲子園に集う約4万人の観衆など、今は想像もできないかもしれない。だが、近い将来、必ずそこに立つ。

大観衆に応援される選手になる――。町田は新たな夢を胸に刻んだ。

【プロフィール】

◆町田隼乙(まちだ・はやと)

2003年4月3日生まれ、神奈川県出身。捕手。小学3年時に「秦野ドリームス」で野球を始める。大根中時代は「平塚ボーイズ」に所属。光明学園相模原高では甲子園出場なし。2022年からルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズに所属。強肩強打の捕手として活躍し、2024年のドラフト会議で阪神から4位指名を受けた。186cm・88kg。右投げ右打ち。

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