「第74回NHK紅白歌合戦」の出場歌手が発表されました。大ヒットを飛ばしたCreepy Nutsやこっちのけんと、そして満を持しての登場となるNumber_iなどが話題ですが、一方でK-POPグループなどをめぐっては賛否両論が起っています。
NHKがデータを基準に選出しても「聞いたこともないアーティスト」と感じる人も
こうした世論を意識してか、今年はNHKが3つの選出基準を公式サイトにて発表しました。CD売り上げやダウンロードや再生回数などのデータと、NHKが独自に行なったアンケート結果、それらを今年の企画や演出と勘案して決定したとのこと。
とはいうものの、“聞いたこともないアーティストばっかだな”と感じる人も多いかもしれません。NHKは数字と視聴者の声を根拠に人選をしているのに、世間の認知度とのズレが生じてしまう。それは特に近年の紅白に顕著な傾向だと思われます。
一体どうしてこういうすれ違いが起きてしまうのでしょうか?
億単位で動画再生されたヒット曲でも“誰だこれ?”となるネット特有の理由
今回の選出アーティストを見て、筆者は音楽の聞き方自体がもう完全に変わったのだなと再認識しました。
つまり、音楽がお金を払って自分で選んで納得して聴くものではなく、単に理解できるもの、できないもの、快・不快を瞬間的かつ機械的に選別するシステムに乗るか乗らないかのテスターのようになってしまった。だから、曲は味わうものではなく、信号の切り替わりのように反応をチェックするメディアになってしまったのです。
特に若い視聴者を意識したアーティスト選考に、その色が濃く出ていると感じました。
“再生回数◯◯億回”とか“◯百万ダウンロード”という数字が、かつてのCDやレコードの売上枚数と同じように使われても、数字の桁(けた)に音楽の認知度が追いついていないような現象がある。理屈のうえでは本来ミリオンヒットよりも億単位で再生された曲のほうがより広く知られているはずなのに、そうではない実情があるのですね。
たとえば、YouTubeの動画再生回数が7000万回を超える「幾億光年」(Omoinotake)や1億7000万回超えの「Magnetic」(ILLIT)、これらはいずれも間違いなく今年を代表するヒット曲です。ですが、その飛び抜けた数字を持っているのにもかかわらず、“誰だこれ?”とか“聞いたこともない”との声が少なからず伝わってくる。
これは、ジェネレーションギャップというよりも、むしろネットやSNSの世界が人々が思うよりも狭いがゆえに数字だけを増幅させてしまう効果をもってしまうのではないか。そして狭さの中で、情報が高速で交換される。すると、表面的な数字だけがつり上がっていくわけです。
そこのズレに、紅白歌合戦というフォーマットが耐えきれなくなってきているように感じるのですね。
◯◯億再生回数という数字の実体のなさが表すもの
そう考えると、選出の根拠としている再生回数やダウンロード数の中に、本当に“聴きたい”と思っている人の割合がどれだけいるのか。それがSNSの時代ではとても計りにくくなっているのではないかと思うのです。
加えてCDやDVDなどのフィジカルの売上すら、いまや“推し活”の名のもとに、どれだけファンがいるかを示す指標程度の意味合いしか持たなくなってしまいました。
つまり、ファンとアーティストの関係で成り立つビジネスはあっても、その間に有用な部外者としての“客”が入り込む余地がなくなってしまった。それが、◯◯億再生回数という数字の実体のなさを表しているのだと思います。
本当に終わっているのは紅白歌合戦なのか?
そんな中で、国民的な音楽番組としての紅白歌合戦を構成するのは、年々困難になってきていると想像します。
“もう紅白も終わりだろう”という声がますます高まっています。
ですが、果たして本当に終わっているのは紅白歌合戦なのでしょうか?
そんな問題を投げかける、今年の紅白歌手決定でした。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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