欧州サッカースタジアムガイド2024-2025
第17回オールド・トラフォード(Old Trafford)ロンドンのウェンブリー・スタジアム、マンチェスターのオールド・トラッフォード、ミラノのジュゼッペ・メアッツァ、バルセロナのカンプ・ノウ、パリのスタッド・ドゥ・フランス......欧州にはサッカーの名勝負が繰り広げられたスタジアムが数多く存在する。それぞれのスタジアムは単に異なった形状をしているだけでなく、その街の人々が集まり形成された文化が色濃く反映されている。そんなスタジアムの歴史を紐解き、サッカー観戦のネタに、そして海外旅行の際にはぜひ足を運んでもらいたい。連載第17回目はオールド・トラフォード(Old Trafford)(イングランド)。
現在では約76,000人が収容可能となったマンチェスター・ユナイテッドの本拠地であるオールド・トラフォードphoto by ロイター/アフロ
世界で最も有名なサッカー専用スタジアムのひとつが「夢の劇場」だろう。
「赤い悪魔」と恐れられ、イングランドのリーグ戦で20回優勝を誇る、最も成功しているクラブがマンチェスター・ユナイテッドだ。かつてはイングランド代表のデイビット・ベッカム、ポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドや日本代表の香川真司もプレーしたことでも知られる。
クラブは1878年にふたつの鉄道会社の従業員のチームが合併して、元となるクラブが誕生した。マット・バスビー監督時代の1968年に初の欧州王者に輝き、1986年から2013年まで指揮したアレックス・ファーガソン監督時代は、さらに輝きを増した。特に監督になぞらえて「ファーギー・ベイブス」と呼ばれたイングランド代表のベッカムやウェールズ代表のライアン・ギグスらが活躍し、1998-99年にイングランド史上初めて、リーグ、FA杯、チャンピオンズリーグの3冠(Treble)の金字塔を打ち立てた。
そのホームグラウンドは、「球聖」ボビー・チャールトンが「夢の劇場」と名付けた「オールド・トラフォード(Old Trafford)」だ。マンチェスターの中心から南西に5キロほどの場所にあるこのスタジアムを、クラブが使い始めたのは20世紀初頭のことだった。
1902年、現在の「マンチェスター・ユナイテッド」という名に変わり、財政難を乗り越えプロクラブとなると人気は急上昇。旧スタジアムのバンク・ストリートを1万2千人収容の規模まで改築したが、1909年、新スタジアム建築のためのトラフォード・パーク近くの土地を購入。翌年、高名なスタジアム建築家アーチボルト・リーチによってオールド・トラフォードが完成した。
当時はコンサートなどを行なうことも想定されていたため円形で80,000人を収容することができた。そこにはイギリスらしくティールームが設置され、さらに、大浴場やビリヤード、マッサージルームなどが導入されていったという。
だが、第2次世界大戦中にドイツ軍により爆弾が投下され深刻なダメージを受けた。そのため、1941年から再建の間は、ライバルのマンチェスター・シティのホームスタジアムであるメイン・ロードを借用していた時期も。
1949年にはユナイテッドはオールド・トラフォードに戻り、その後は照明や屋根が取り付けられていった。1966年にはイングランドワールドカップ開催のため改修され、1980年代にはファミリースタンド、1986年に公式ショップ、レストラン、展示館もオープンした。
さらに、観客が亡くなった「ヒルズボロの悲劇」の影響で、1992年から1993年の間にストラット・フォード・エンド(現在のウェストスタンド)は改修された。その結果、立ち見席がなくなり座席が設置され、約44,000人収容となった。その後、クラブの人気からスタジアムは再び拡張されていき、2003シーズンの終わりには75,000人の観客を収容することが可能となった。
2008年、欧州王者になってから40周年を記念し、ノース・スタンドにクラブ歴代最多となる247得点のボビー・チャールトン、歴代2位の237得点を挙げたデニス・ロー、そしてジョージ・ベストの3人の「ユナイテッド・トリニティ」の銅像が建立された。
現在約76,000人が収容可能なスタジアムとなり、以前はユナイテッド・ロード・スタンドとノース・スタンドと呼ばれていた、約26,000と最も多い座席があるバックスタンドは、ファーガソンが監督に就任してから25年が経過したことを記念して、2011年11月5日に「サー・アレックス・ファーガソン・スタンド」と改名された。クラブで最も長く監督を務めた人物であることを称え、高さ9フィート(2.7m)のファーガソンの像が、2012年11月23日にスタンドの外に建てられた。
また反対側のメインスタンドは、2016年4月3日に「サー・ボビー・チャールトン・スタンド」という名称に変わった。サー・ボビー・チャールトン・スタンドの裏に現在でもボールを左手に抱えて立っているのが、ユナイテッドの最初の最盛期を支えたマット・バスビーの像だ。バスビー監督は、1948年にはFAカップを制し、1951-52シーズンには41年ぶりのリーグ戦優勝を果たす。1958年、バスビーは多くの選手も命を落とした飛行機事故「ミュンヘンの悲劇」で瀕死の重傷を負うが、3カ月後奇跡的に復活し、1968年、クラブ史上初のヨーロッパカップ制覇を達成。特に、ユース世代の育成に力を入れていたため、この監督に育てられた選手達は「バスビー・ベイブス」と呼ばれた。
バスビーは1994年85歳で亡くなった。その前年、功績が称えられオールド・トラフォードの所在地は「Warwick Road」から「Sir Matt Busby way」と改名されている。
またメインスタンドの両端には、マット・バスビー像だけでなく「ミュンヘンの悲劇」を悼むものとして、時計(クロック)と記念碑(プラーク)が備え付けられている。この悲劇は、1958年2月6日に起きた飛行機墜落事故のこと。この事故で44名中23人が亡くなったのだが、その23人のうち15人がユナイテッドの関係者であり、内8人が選手だった。ミュンヘンの悲劇の生き残りの中には、バスビー監督だけでなくチャールトンなどもいた。
1978年のクラブ創設100周年に、チャールトンはこう言った。「オールド・トラフォードにすごい愛着を持っている。私は多くの血と涙をこの場所で流してきた。私が初めて来たときとはものすごく変わった。妬まないクラブがないほどに。政治的な争いなどは関係なく、ここにいる選手やファン、関係者すべての人はチームであり、そういった人のすべての生活はオールド・トラフォードとともにある。そして、終わらないストーリーの一部であり、夢の劇場だ!(They are a part of a never ending story. They are a Theatre of Dreams!)」。この台詞がオールド・トラフォードの別称「夢の劇場」の由来となった。
2012年のロンドンオリンピックの会場にもなったが、2028年の欧州選手権の会場には残念ながら選出されなかった。輝かしい歴史に彩られたオールド・トラフォードだが、2012―13シーズン以来、10シーズン以上リーグ優勝から遠ざかっている。昨季は2015―16シーズン以来のFA杯優勝を果たしたが、リーグ戦では残念ながら8位に終わっている。
2022年から指揮を執っていたオランダ人のエリック・テン・ハフ監督が今季途中で退任。10月28 日からは元ユナイテッドの選手でオランダ代表としても活躍したアシスタントコーチのルート・ファン・ニステルローイがチームを率いていたが、11月11日からはスポルティングCPを指揮していたルベン・アモリムが正式に監督に就任した。
新体制となったユナイテッドが「夢の劇場」で復活することをファンは待ち望んでいる。
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