11月21日(木) 12:03
ミステリーはルールのある喧嘩のようなものだから、基本的になんでもありだ。
なんでもありとしつつ、ルールは守れ、とも言っているので、どこに落としどころを作るかによってはフェアかアンフェアかで揉めることになる。
ジェローム・ルブリ『魔女の檻』(坂田雪子監訳・青木智美訳。文春文庫)はそういう小説なんじゃないかと思う。少なくとも満場一致で賛成されるような小説ではない。人によっては激しい拒絶反応を起こすはずだ。そういう読者の気持ちはよくわかる。
でも、おもしろいのである。
舞台となるのはフランスのモンモールという小さな村である。ちょっと入り組んだ始まり方をするのだが、そこを飛ばして言えば、モンモール署にジュリアン・ペローという新任の署長が赴任してくることから話は始まる。この時点で時計の針は2021年11月10日に合わせられている。ジュリアンはさっそく、モンモール村で起きた過去の未解決事件を調べ始める。2年前の2019年に、羊飼いのジャン=ルイが不審な状況下で突然死していたのだ。その目撃者であるヴァンサンという青年に話を聞こうとするが、彼は喉を掻き切られた死体として発見される。
この事件で扉が開き、モンモールが見かけのようなのどかな村ではないということがわかってくる。村には昔小規模な刑務所があったが、火災のため服役者は全員焼け死んでしまったのだという。また、村長のティオンヴィルには障害を持った娘があったが、彼女は何者かによって崖から突き落とされてしまった。そもそもモンモールという村には、その昔魔女狩りの狂乱で罪もない女性が崖から突き落とされて殺されたという歴史があったのだ。モンモールという地名はモンターニュ・デ・モール、死者の山を意味する言葉が詰められたものなのである。ジュリアンは村長から、娘を殺した者を突き止めるよう、ひそかに依頼を受ける。
これがミステリーとしての骨格だ。なのだが、妙なノイズが物語には混じっている。村人たちが、いちいち不可解な行動をとるのである。たとえばスクールバス運転手のロイック・デュモンは、定められた場所ではない道で少年と少女を乗せるが、そのとき車内にいた学童たちの目には、二人の姿が映らないのである。こうした違和感のある出来事が、あちらこちらで起きている。〈モンモール通信〉というブログの筆者であるシビルは、幼馴染のリュカから暴行を受けそうになったことがきっかけで警察署長であるジュリアンとの距離が急接近していく。この二人が事態の推移を見守るわけである。
ここでさっき、「ちょっと入り組んだ始まり方」と書いた冒頭に戻る。実は、ジュリアンが赴任してくる場面の前に、「道中にて(1)」という短い章が置かれている。かつてモンモール村では多数の村民が謎めいた死を遂げるという事件が起きた。その真相を知りたければ指定の場所までやってこい、という手紙が新人記者のカミーユに届けられた。発信者はエリーズという女性だ。エリーズの車に乗せられたカミーユはやむなく行動を共にする、というのがその内容である。この後に第一幕「ひつじの絵をかいて!」が始まるのだが、まずは2019年の出来事、つまり羊飼いジャン=ルイの死の顛末が語られる。章扉の裏に〈事実その1〉と題された短い文章が置かれていることも大いに気になる。このとおり不穏極まりないピースが置かれた後に、ジュリアン赴任の場面が描かれるわけである。
ここまで紹介した要素はてんでばらばらで、果たして一つにまとまるものかと心配になると思う。だが、まとまるのでご安心を。まとまり方についてはここでは何も言えないが、まとまるのは確かだからご安心を。
『魔女の檻』はフランス作家ジェローム・ルブリの邦訳第二作で、彼の第五長篇にあたる。邦訳第一作『魔王の島』(文春文庫)は第三長篇で、権威あるコニャック・ミステリー大賞を受賞した。これもまったくもって変な作品であった。どういう変さかは、これまた言えない。
いきなり話が変わるが、故・瀬戸川猛資には『夜明けの睡魔』(創元ライブラリ)という名エッセイがある。さまざまな海外ミステリの楽しみ方を教えてくれた一冊で、たとえば「前半傑作」という言葉は同書で瀬戸川が作った。後半はだれるけど、前半だけならものすごくおもしろい、という残念な作品のことである。それ以外にも瀬戸川は『夜明けの睡魔』でいろいろな、へんてこだけど忘れられない、愛すべき作品群の紹介を行っている。その一つに『魔王の島』は構造がよく似ているのだ。瀬戸川が存命で読んでいたら「おお、これは〇〇の■■じゃないか」と言ったような気がする。〇〇にはとても有名な作家名、■■にはもちろん作品名が入る。構造が実験的すぎて、いつまでも忘れられない一作だった。『魔王の島』を読んだとき、私は一発でこれを連想した。
ルブリが凄いのは、『魔女の檻』でやっていることが『魔王の島』とまったく違うことである。どちらもびっくりさせられるのだが、二つがまったく違う。目の前にゾンビが出て来るのと、足下にいきなり穴があって落ちるのは驚きの質が違う。それくらい別種のものなのだ。よくこんなことを思いつくものである。
ネタばらししないように書くと、『魔王の島』は「えっ、今何が起きたの」という驚きであり、『魔女の檻』は「えっ、そこでそれが起きる」という驚きだ。「えっ」作家と名付けたい。どんなに肝の据わった人でも驚くと思うし、驚かない人とはあまりお近づきになりたくない。もしかすると人間でははなくてゴーレムかもしれないから。
あなたがゴーレムかどうか、読んで確かめてみるといい。
(杉江松恋)