11月19日(火) 11:30
限られた環境で生まれ育った主人公が、広い世界をめざす。SFで繰り返し扱われてきた題材である。憧憬と冒険、出会いと闘い、秘められた真相、開けゆく視野......読者を惹きつける要素がたくさんつまっている。韓国SFの旗手と目されるキム・チョヨプが2023年に発表した『派遣者たち』は、そうした古典的なフォーマットに、現代的なアイデアやテーマを盛りこんだ作品だ。
地上が未知の菌類"氾濫体"に汚染されて、すでに数世代が経過。人間は暗く湿った地下都市で限られた資源をやりくりして生き延びている。最大の脅威は忍びこんでくる氾濫体で、これに接触した者は高確率で錯乱症に罹り、自我が崩壊する。しかし、人間は諦めたわけではない。訓練を受けた派遣者たちが地上へ赴き、危険を覚悟で調査・研究をおこなっている。
主人公の少女テリンは地上に強い興味を抱き、派遣者の資格を得るためアカデミーで厳しい教練を受けていた。彼女には記憶補助装置ニューロブリックに不適合というハンディキャップがあったが、氾濫体への耐性が人並み外れて高かった。派遣者の素質として大きな利点だ。
テリンには身寄りがなく、幼いころに、熟達の派遣者にして研究者であるイゼフに引き取られ、現在は、引退した派遣者のジャスワンのもとで、同じような境遇のソノとともに暮らしている。イゼフは師匠であり、ジャスワンは父、ソノは姉のような存在だ。彼らにはそれぞれテリンには話していない、複雑な過去があることが、物語の先々でわかってくる。テリンにも過去の秘密があるが、彼女自身はそれを自覚していない。
こうした過去の秘密は個人的な事情にとどまらず、氾濫体をめぐる大きな謎や、派遣者の組織が背負ってきたことと不可分だ。なかなか巧みな構成で、すべてが結びつくクライマックスは息もつけない。
そこへつながる展開も起伏に富む。序盤で物語を強く牽引するのは、テリンの脳裏に突然聞こえてきた正体不明の声である。声は独立した自我があるらしい。子どものころ施術に失敗し、接続を切ったニューロブリックがなんらかのはずみで再接続されたのかとも考えるが、ニューロブリックは意志的なふるまいなどしない。テリンは声をソールと名づけ、ふたり(?)はともに行動するようになる。ソールはかならずしも意味のあることを喋るわけではなく、テリンにとって助言者にもなるが、だいたいにおいては厄介者でもある。この関係も面白い。
物語の半ば、テリンは予想だにしなかったかたちで地上へ赴くことになる。さまざまな様態をした氾濫体が蔓延る地上の光景が圧倒的だ。オールディス『地球の長い午後』の菌類バージョン、あるいはマックス・エルンストの傑作「雨後のヨーロッパ Ⅱ」を彷彿とさせる奇観である。
(牧眞司)