東京都心から120km南にある、伊豆諸島最大の島が伊豆大島。島の約97%が自然公園法によって保護され、美しい景観や自然がふんだんに残されている。そんな伊豆大島を観光だけではなく、バレーボールなどのスポーツの力で盛り上げようとする動きがある。7年前、小学校の教師として赴任し、現在はスポーツをはじめとする様々な取り組みで、島と島外の人とをつなぐ仕事ができるようにと、“てらすワークショップ”を立ち上げた代表の小林祐介さんにお話をうかがった。
バレーボール好きが多いはずが、高校のバレー部に人が集まらない
小さい子どもから大人まで、年齢関係なくバレーボールをすることによって人の“繋がり”ができる伊豆大島と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。きれいな海、島の名産・椿、くさやなどのユニークな海産加工品……。そんな大島で2022年8月23日、24日の2日間にわたって、元日本代表監督 中田久美さん、元日本代表選手 野本梨佳さんを招待して「大島まるごとバレーボールDays」が開催された。
実は伊豆大島とバレーボールとの繋がりは深い。昭和の時代、漫画やアニメの“巨人の星”で野球が流行り、“アタックNo.1”でバレーボールが流行った、あの頃の高揚が人々の心には深く残っているのだという。2000年には、大島高校の女子バレーボール部が、150チームが参加する都立高大会(現公立校大会)で準優勝の成績を収め、離島の高校としては快挙と大いに盛り上がった。しかし、近年ではバレーボール部もなかなか部員が集まらず、試合もできない状況が続いていたのだそう。それを危惧していた大島高校バレーボール部の顧問・金子先生と部活動指導員の山本さんが、一緒に何かできないだろうか、と小林さんに相談を持ちかけたのが上記のイベント開催のきっかけだった。
「私は、小学校の教師として大島に来て、地域のいろいろな職業の方を教室に呼んで話をしてもらったり、大島高校の農林科の先生や生徒と一緒に交流授業をしたりしてきました。その関係で、農林科の教師でバレーボール部の顧問だった金子先生から“今年度の部員が3人になってしまった。この子たちのために何ができるだろうか?”と相談を受けたんです。じゃあ何かイベントでもやって、バレーボールの楽しさを島の小中学生に知ってもらって、大島高校でバレーボールをしたいと思ってもらおうということになりました」(小林さん、以下同)
現役の部員やOGたちとどんなイベントを開催するか話し合う中で、ひとりのOGが20年前に中田久美さんから教えを受け、その後も連絡を取り合っていることがわかった。ダメ元でもう一度大島に来てもらえないか頼んでみようということになったのだ。すると中田さんからは二つ返事でOKがもらえ、野本さんと一緒にイベントを盛り上げてくれた。
「一日目は、小学生・中学生・高校生がごちゃまぜのチームを組んで試合形式のゲームをしました。二日目は、中田さんが監督を務める中高生チームと、野本さんが選手として入る大人チームに分かれ、審判をつけての真剣勝負を行いました。みんなガチンコで戦って、とても思い出深いイベントになったようです」
スポーツをきっかけに島と島外との交流が始まる
バレーボールをきっかけに島の外の人々との交流が実現。その後も“繋がり”は続いた実はこのイベントは、東京都の東京宝島事業という、東京に11ある島のブランド化に取り組む事業の支援を受けて行っている。1年目のイベントは成功したが、イベントを1回で終わらせることなく継続をという声が大きかったため、小林さんは翌年も活動を継続することになった。
「イベントをやってみてわかったのは、島のバレーボールにはいろいろな流派のようなものがあって、バレーボールをきっかけにみんなで集まって楽しもうと思ったのですが、なかなか上手くいかないこともあった。とはいえ、バレーボールをしたい子どもたちが集まって楽しむ場を作ることが目的ですから、今後も何とか続けていきたいと思いました」
しかし、中田さんのような実力も人気もある人が頻繁に来てくれるわけではない。1回のイベントで、急にバレーボール部の部員が増えるわけでもなかった。どうしたらいいのかと、小林さんは考えた。
「何か継続した繋がり、スポーツをしたい人がスポーツをできる場所を作りたいと思いました。そこで昨年は“繫ぐ”をコンセプトに掲げ、嘉悦大学のバレーボールチームをお呼びして“バレーボール島キャンプ”という合宿を行いました。監督から、チームの選手たちは全国各地の高校で活躍していた子が東京に集まって寮生活をしているので、ホームステイをさせてもらえないかと言われたんです。そこで、いろいろなお宅にホームステイをしてもらい、夏野菜を収穫して子どもたちも集めてみんなでカレーを作って食べたりしました。バレーボール自体、ボールを繫いでいくスポーツですが、このプロジェクトで人を繋ぎ、食を繋ぐというコンセプトができたと思います」
嘉悦大学の選手と島の子どもたちとの海遊び。ビーチバレーのボールを見つけると、早速砂浜でボール遊びが始まった
嘉悦大学の合宿最終日、島の子どもたちと一緒に海で遊ぶ選手たち。笑顔がまぶしい2泊3日という短い期間の合宿だったが、小林氏の意図した“繋がり”は十分にできたようだ。というのも、学生たちが帰る際には、彼女らの乗った船を多くの人が見送りに行ったのだという。
「泣きながら“ありがとうございました”と言う学生がいて、“また来年来ます”と言ってくれる姿もあったことは本当に嬉しかったですね。さらに、嘉悦のチームの試合が東京の方であるときに、島の人たちが応援に行くということも出てきたんです。今までは観光に来てもらう側だったのに、人と人の繋がりができたことで、お互いに行き来するそういうコミュニティができたのは、本当にやって良かったと思いました」
教師の経験から学んだ、“居場所”“繋がり”を作ることの重要さ
嘉悦大学の合宿では、みんなで夏野菜を収穫しカレーを作って食べたことが良い思い出に小林さんのお話を聞いていると、“繋がり”や“場”というワードが頻繁に出てくる。それは小林さんが教師という職を選び、これまでさまざまな教え・学びの場で経験してきたことによって培われてきた思いからだ。喘息の持病があり身体が弱かった小林さんは子どもの頃、鹿児島の祖母の家に預けられていた時期があるという。祖母の家で二人暮らしをしながら、友達と川で遊んだり、稲刈りの手伝いをしたり、1年ほどの田舎暮らしをするとすっかり元気になったのだそうだ。祖母の家では一人っ子状態で、何をしても許され、少しでも体調が悪いと、みんなで心配してくれる。そんな自分の“居場所”があったことが良かったのでないかと小林さんは語る。
「元気になって戻った東京で、中学・高校とバレーボールの部活に入った。母ひとりに育ててもらった中で、監督が父親代わりじゃないですが、すごくお世話になりました。そこで、自分も教員になって自分のような子どもがいても、居場所をつくってやれるような、そんな教師になりたいと思ったんです」
学校を出て3年間は保育園の体育の教師、その後中学に行って適応指導員になった。想像を絶するほどの荒れた中学校で不登校も多く、やっと登校できたとしても教室に入れない子どもたちと雪合戦をしたり、保健室ならぬ理科室で一緒に給食を食べたりしたという。その前までの保育園と中学校とのギャップに驚き、その間の小学校では、いったい何が起こっているのか。それを知りたくて小学校の免許を取って小学校に赴任した。
「学校では、だいたい先生は各教科1人、担任も1人です。子どもたちは先生を選ぶことはできません。でも、子どもたちにはいろいろな先生から学んでほしいと思いました。たとえ私が、一生懸命授業の準備をしても1人か2人ぐらいの子にしか刺さらないことが多かった。自分ひとりではだめなんです。そこでゲストティーチャーとして、地域の人などを呼んで話をしてもらったり、特別支援学級の担任もしていたので、その子たちを呼んでいろいろな児童がいることを知ってもらったりしました。クラスで孤立している子、障がいがあって普通学級に行くことのできない子は、繋がりを失っています。まず地域や、学校の他の子どもたちと繋がることが大事だと思ったんです」
そんな経験を経て大島の小学校に赴任した小林さんは、前述のように大島を盛り上げる仕事に出会い、現在は教員をやめ、スポーツなど様々な取り組みで島の人々同士、島と島外の人を繫ぐ仕事ができるようにしている。嘉悦大学の合宿をきっかけに始めた合宿コーディネーターという仕事に関しては、スポーツに限らず塾や学校の移動教室などの依頼が飛び込んでいるという。大島の祭りを体験したい、釣りをしたい、魚をさばきたいといった幅広い要望があるが、島にはそれぞれのプロフェッショナルがいるので、そこでも小林さんは“繫ぐ”役目を果たしている。
「最近よくウェルビーイングという言葉が言われますが、自分が楽しいと思う時間というのはとても大事ですよね。スポーツをする人は競技の中で喜怒哀楽を経験しているので、こういう島に来ると癒やされたいと思うようなんです。一方、塾の合宿で来た子たちは、いつもひとりで頑張っているので、みんなで踊りたいとかキャンプファイヤーをしたいと言います。いろいろな人を繫ぐことで、みんなのコミュニティが広がり、ウェルビーイングが高まるといいなと思っています」
小林さんは、大島に移住して、いろいろなプロフェッショナルがいることに驚いたそうだ。釣りの名人や名産のくさや作りをしている人など、“オンリーワン”の仕事をしている人が多いという。本人は当たり前だと思っているが、島外から来た人からすると稀有なスキルをもった“スゴい人”だ。そういう人との繋がりができた人は、必ずリピーターになって再び島を訪れるのだそう。筆者も是非とも訪れてみたくなった。
text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)画像・写真提供:てらすワークショップ
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