ベージュのスーツに真っ白のワイシャツ。深々とお辞儀をし、「初めまして、斎藤です」と男性は名乗った。
斎藤一さん(仮名・47才)は都内の商社で働いている。酒も煙草もギャンブルもしない。趣味は仕事というような真面目さが売りで、もちろんというべきか女遊びもしてこなかった。
「退屈な男なんですよ。でも、無事に結婚はできまして」
大学進学きっかけに娘の様子が…
27才で会社の同僚と結婚。しばらくして娘の百合さん(仮名)が生まれた。その後は育児が趣味に加わった。娘には幼い頃からピアノやバレエの習い事をさせ、娘の為になるよう私立の小学校に通わせた。誰もが知っているような大学附属の小学校だ。
昇進のために残業を増やし、朝は暗いうちから家を出た。当時の睡眠時間は毎日5時間程度だったという。
「月並みな表現ですが、目に入れても痛くないような娘でした。誰かのために頑張るなんてしてこなかったんですよ。でも、娘の為と思えばどんなことでも苦にはならなくて……」
一人娘の百合さんは中学校、そして高校と大学にもエスカレーター式で進学。成績は優秀で品行方正。反抗期と呼べるような親への反発もなかった。斎藤さんも昇進し周囲からの信頼も厚く、仕事も育児も順調と言ってよかった。
しかし、大学進学後に娘の様子が変わってきたという。都内の私立大学に進んだ百合さんは幼い頃から習っていたバレエをやめ、テニスサークルに加入。十分なお小遣いをあげていたはずなのにアルバイトも始めた。帰宅時間が遅くなることがあり、自分の部屋にいる時間も長くなった。
門限に加えて、写真を送らせるように
至って普通のささやかな変化ではあるが、大切に育ててきた斎藤さんは娘の行動が心配だった。自分の手元から離れていった途端、別人のように振る舞っているような気がした。
「これを親バカといっていいのかわかりませんが、娘が心配でした。親ならわかると思います。身近に悪い仲間がいるんじゃないか、娘をたぶらかしている人間がいるんじゃないか。妻は自由主義な人なので気にしていませんでしたが、私は娘の行動や人間関係を把握していないと不安でした」
斎藤さんは娘さんに22時の門限を設けた。誰かと出かけるときは一緒にいる人たちの写真を要求した。幾分やり過ぎに思えるが、そうは思わなかったのだろうか。
「そうですかね。成人したとはいえ子供です。犯罪に巻き込まれるかもしれませんし、娘が誰かに迷惑をかけることもあるかもしれません。それを防ぐのは親の義務です」
百合さんは若干の反発を見せながらもその言いつけを守ったという。アルバイトに行くときは仕事の制服を着ている写真を送り、サークルの集まりがあっても門限を守って帰宅した。
“嫌いな同僚”が娘の肩に手を…
大学の卒業間近のことだった。娘さんから斎藤さんにメールが届く。
「サークルの打ち上げで遅くなります。車で送ってもらうから安心して」
添付されていた写真を見て心臓がキュッと締まるような気がした。居酒屋と思われる場所には男女数十人がいる。そこに見覚えのある男がいた。その男は自分の娘の隣で笑顔でピースをしている。もう一方の手は、娘の肩に手をかけている。
間違いなかった。その男の年齢は斎藤さんと同じ51歳。人を小馬鹿にする、女好きの男だ。自分の大嫌いな男だった。
「嘘かと思いましたが、会社の同僚だったんです。違う部署ですが、当然話したこともあります。まさかと思いましたが」
「付き合っている」と聞き、激高してしまう
斎藤さんはすぐに娘に電話をし、一緒に写っている男について言及した。聞けば、その男はサークルのOBだという。
「お前、そいつと付き合っているのか」
娘さんは誤魔化そうとしたが、父親の前では嘘がつけない性格だった。すぐに観念し、付き合っていることを報告した。
「私はカッとなってね、リビングを歩き回りながら、電話越しにずっと怒鳴っていました。娘が帰ってくると、玄関でビンタです。手を出したのはその時が最初で最後です」
娘に注いだ愛情や情熱がすべて無駄だったのかと思えた。身を粉にして働いて、命を削って娘を育ててきたはずだった。その結果がこれだ。何十年も愛してきた娘が、自分の嫌いな人間に奪われる。これ以上の屈辱はあるのか?
「それで、実はその日から私は娘に会っていません」
あれから一年経ったが、今でも…
娘さんは追い出されるような形で実家を出て、都内のマンションで一人暮らしを始めた。それからもう一年が経つという。
「妻と娘は会っています。別れたという報告がないから、まだ付き合っているんですかね。怒りは静まりましたけど、結婚を認めるつもりはありません。自分が間違っていることに早く気づいてほしいんです。これは親に対する裏切りですから」
裏切りとは、期待に対する失望のことだろうか。愛情が強すぎるゆえ、その反動は大きいのかもしれない。
「裏切られましたね。はい、娘は私たちを裏切りました」
斎藤さんは裏切りという言葉を強く発した。まるで自分に言い聞かせているように私には聞こえた。
<TEXT/山田ぱんつ>
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