11月15日(金) 12:10
文章の一つひとつが剣山となり、肌をえぐられるような感覚があった。
ジャン=クリストフ・グランジェ『ミゼレーレ』(平岡敦訳。創元推理文庫)は、現代フランス・ミステリーを代表する作家が2008年に発表した長篇スリラーである。
パリのアルメニア使徒教会で聖歌隊指揮者兼オルガン奏者として働いていたウィルヘルム・ゴーツという男の死体が発見された。死体はオルガンのパイプと譜面台の間に倒れていたが、頭の周りに小さな血だまりがあるほかは大きな外傷がなく、発見時すぐには死因がわからなかった。現場に駆け付けたのはリオネル・カスダン、殺人課主任警部だが、元の但し書きが付く。定年退職し、今は一民間人に過ぎないのである。到着した鑑識課員になぜこの場にいるのかと問われ、アルメニア人だからもともとこの場所にいたのだ、とカスダンは答える。昔風の荒っぽいやり方を好む62歳の男が、物語の一方の主人公である。
もう一人の主人公がやがて顔を出す。セドリック・ヴォロキンは青少年保護課の刑事である。ただし、長期休養中だ。コカイン中毒となり、薬を抜くために施設に入っているのである。「若い男だ。薄汚くて、無精ひげを生やして。でもなかなかハンサムで、どちらかとえいばロック・ミュージシャンみたいだった。オルガンも弾いていたし」とはカスダンに伝えられたヴォロキンの容姿である。28歳のこの規格外刑事も、なぜかゴーツの事件に絡んでくる。もちろん捜査権なしに。
正当な権限のない、刑事・のようなものの二人が謎の変死事件を調べるというのが前半の流れだ。住んでいた部屋を調べたところ、ゴーツが1942年チリ生まれで、1987年に政治亡命者としてパリにやって来たことがわかる。チリ社会党のサルバドール・アジェンデの支持者として活動していたが、1973年にアウグスト・ピノチェトによるクーデターが勃発し、ゴーツも逮捕され、拷問を受けたらしい。そのような形でまず、ピノチェトの影という国際政治の暗部が浮かび上がってくる。しかしヴォロキンには別の仮説があり、その方向で動き始めている。
読者はカスダン/ヴォロキンという二人の視点人物の後ろから事態を眺めているしかないが、情報が視界に猛烈な勢いで飛び込んでくるので事件に対する視点もかなり早い時点で形成されることだろう。しかも二人いるから二重の視点が。カットバック方式で進む物語の常として、カスダンとヴォロキンの導く二つの筋は合流して一本となる。だが二人はそれぞれに思惑を抱えているので、互いが隠し持つそれはもう一方には明かさない伏流として残るのである。これが物語の後半に、意外なうねりを生じさせる。さらに言えば、グランジェは気づかないところでいくつの地下流を発生させており、それらはやがて真相へつながる大きな勢いとなって、読者の想像を超えた展開を招き寄せるだろう。複数の流れが注ぎこむことによって物語は躍動する。
どのパーツにも複数の意味が重ねられており、骨の髄までしゃぶるかのように物語の中で使い倒される。ゴーツの死因は早々に、鼓膜を鋭い錐のようなもので突き刺されたための、激痛によるショックであることが明かされる。変わった殺し方であるが、単に奇を衒ったわけではない。その真意がどこにあるかは、物語がかなり進行した地点で明かされるだろう。このように、いったんは説明のついた事柄でもそのまま忘れ去ってはいけないし、登場人物に何かの属性が振られていたら、それは後で何かの遠因として使用される可能性がある。複雑かつ無駄のない構成がグランジェ作品の魅力である。そうした構成要素の一つひとつが、結晶のように多面的な輝きのある言葉で語られる。うっかりと読み過ごしてしまえる箇所がグランジェ作品にはほとんどない。どのページでも引っかかるし、どのページも味わい深いのだ。
二人の主人公がなぜ捜査権のない事件にこだわり続けるのか。その謎が明かされるのは上にも書いたように、複数の流れが合流して暴れ河を作り上げた後のことである。だからネタばらし無しには触れられないのだが、一つだけ書いておきたいのは、動機こそ違えど彼らには、自身の中にある深い闇を覗きこむために事件に関わるという共通項があるということだ。ヴォロキンの人となりについて知ったカスダンは「長年、警察で仕事をしてきたが、こんなねじくれた動機で警察官になったやつはひとりしか知らない」「このおれだ」と考えて笑みを漏らす。これまで翻訳されたグランジェ作品の多くには、心のどこかに欠落のある主人公が登場してきた。それを埋めようとする心理と、事件の真相を求める行動とが重なるところに物語が生じるのだ。『ミゼレーレ』は、そうしたグランジェ的構造が成功を収めた作品である。
題名になっている『ミゼレーレ』とは、旧訳聖書詩篇の一節を元にした合唱曲である。第一部21章で初めて言及されるが、その前に歌詞の一部が殺人現場の天井に赤い文字で書かれていたことが示される。
血を流しし罪より我を助けたまえ、わが救いの神よ、わが舌は汝の義を歌わん。
文字が赤いのは血だからだ。犠牲者の舌が切り取られ、それを筆として文字は記されていた。この象徴的な出来事が物語るように、合唱曲は重要な意味を持つのだが、それについては実際に読んで確かめてもらったほうがいいだろう。これもまた、真相を形作るための重要な伏流の一つなのである。
ジャン=クリストフ・グランジェの日本初紹介は、ご存じの通りジャン・レノ&ヴァンサン・カッセル主演映画の原作となった、1998年本国発表の『クリムゾン・リバー』(創元推理文庫)である。同作に登場したピエール・ニエマンス&カリム・アブドゥフという刑事コンビの味わいは本作のカスダン&ヴォロキンにも受け継がれており、グランジェがこうしたバディものの筆法をしっかり我が物にしていることが窺える。未訳はまだまだ多く、もっと読みたい作家である。
(杉江松恋)