地震や水害など自然災害が多い日本。災害が起きた時にこそ、家族や友人たちの優しさや、つながりを実感することがあるようです。
「まさか中学時代の友人と再会するとは思わなかった……」
そう語るのは、都内でライターをしている石塚恵子(仮名・42歳)さん。結婚13年目で、夫と息子の3人で暮らしています。
「子どもを産むまでは、エンタメ系雑誌の編集をしていました。産後、仕事に復帰したかったのですが、お互いの両親は遠方だったりして手伝ってもらうことができなくて。子どもの急病などで仕事を早退するのが難しい職場だったため、退職してフリーランスのライターになりました」
行方不明者のリストに知人の名前が
恵子さんは子どもの頃、親の仕事の都合で宮城県仙台市に住んでいました。東日本大震災があった2011年は忘れられない年だと言います。
「ちょうど入籍をした年でした。私が仙台から引っ越してきた時は、スマホなどもなかったので連絡先がわからなくなっていた子がほとんど。震災があったため、宮城にいる友人も気になったのですが、東京に呼ぶことができず身内だけで式を挙げました。震災が起きた時は、当時の友人のことが心配になり、行方不明の人を探すことができる検索サイトで中学時代の同級生の名前を入れて探しました。すると、行方不明リストに仲が良かった同級生Yさんの名前があったんです……」
恵子さんは通っていた中学に問い合わせてみましたが、個別の安否については確認できなかったといいます。
「Yさんは、海沿いに住んでいたので被災した可能性が高かったんです。しかも、行方不明リストにあった名前と地域が一致したのでずっと心配でした。でもそれ以上の情報が手に入らなくて……」
しかし、ある時、奇跡が起きました。
「震災から11年後の2022年に、私がある俳優さんのインタビューを担当した記事を見て、その同級生から連絡が来たんです。送信者の名前を見て、驚いて声を上げました。Yはここ数年、その俳優の推し活をやっていて、たまたま記事を読んで、私の名前を見て驚いて検索して、ネット上に公開していたアドレスを見つけ連絡をくれたそうでした。その後、Yさんが東京にその俳優が出る芝居を観に来るときに会う約束をしました」
30年ぶりの再会!行方不明になっていた理由は
恵子さんとYさんは、じつに30年ぶりに再会しました。待ち合わせ場所に着くと、久しぶりにもかかわらずすぐわかったそうです。
「お互い面影が残っていたので、すぐ見つかりました。仙台から引っ越してしまった私のことをずっと探してくれていたみたいです。その話を聞いて嬉しくなりました」
30年以上のブランクがあるにもかかわらず、当時の思い出話や昔の同級生の近況を聞いて盛り上がったといいます。
「すっかり中学生の頃に気持ちが戻りました。そして、Yの名前が行方不明リストにあったことを伝えました。すると、当時の職場が震災で孤立してしまっていたと教えてくれました。さいわいにも備蓄されていた食料があったため、なんとか数日、過ごせましたがずっと誰とも連絡が取れず孤独だったそう。家族がYさんと連絡が取れなかったことから、行方不明リストに一時的に載っていたようでした」
交流が再開。息子にも伝えたのは
30年ぶりの再会後、また交流が復活しました。
「Yさんは、連休や長期休みの期間を生かして、推し活をしていました。私もYさんに誘われて、一緒に演劇を観劇したりしました。また中学の頃みたいに会ったりするのが不思議な感じでしたね。夫からは中学の同級生とまた仲が復活したことに驚かれています。息子にも、友人を大事にするよう伝えています」
恵子さんは、Yさんから誕生日プレゼントとして懐かしいグッズをもらいました。
「宮城県が地元のサンドウィッチマンも着ているTシャツがあるんです。それは地元では知らない人がいないくらい有名な『エンドーチェーン』(*現在の店名は『EBeanS』)というデパートの名前が入ったTシャツ。色違いをお揃いで着ています。もちろん、家の中でですけれどね」
恵子さんは「もしかしたら震災がなければ、お互いを探さなかったかもしれない」とも語っていました。疎遠になっている友達がいたら、連絡を取ってみるのもよいかもしれません。
<取材・文/池守りぜね>
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