いま坂本龍一氏の曲をめぐって、騒動が巻き起こっています。
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天皇陛下のBGMに『ラストエンペラー』/K-POPが『戦メリ』借用で炎上
パリ五輪スケートボード男子ストリートで金メダルを取った堀米雄斗選手が、天皇皇后両陛下主催、秋の園遊会に招かれたときの様子を、映画『ラストエンペラー』の曲とともに自身のインスタグラムに投稿。これが“選曲ミスだ”との批判を招き、投稿を削除する事態になったのです。
中国の歴史上最後の皇帝となった人物にまつわる映画の音楽を選んでしまったことに、“あまりにもダメすぎる”とか“常識がない”と呆れる声が続出しました。
もう一つは、韓国の6人組ガールズグループ「IVE」の新曲『Supernova Love』に関する炎上。『戦場のメリークリスマス』のメロディが借用されたことに、“坂本氏の意図を無視してただのラブソングになっている”とか“教授が生きてたら許可してない”と、こちらも怒っている人が多い様子なのです。
https://youtu.be/fyk6vjwI3wc
それぞれ異なる問題ですが、筆者の考えでは、堀米選手はNG、IVEは条件付きでOK、です。
想像力を働かせてほしかったが、不幸だった堀米選手
まず堀米選手については、音楽の置かれた文脈を理解することの重要性の問題です。
擁護するコメントにもあったように、決して悪気はなかったのだと思います。厳(おごそ)かな気持ちで、謹んで招待を受けたという思いを伝えたい一心で検索していたら、ちょうど“エンペラー”という単語がタイトルについた、荘厳な曲が見つかってしまっただけなのではないか。ある意味では、不幸だったのだと思います。
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それでも、たとえ映画は見たことがなかったとしても、一般常識として『ラストエンペラー』がどんな映画なのかぐらいは知っておいたほうがいいし、知らないにしても“ラスト”が付いているのは何故か考える、ぐらいの想像力を働かせてほしかったと思います。
『戦メリ』とアレンジ曲の雰囲気とマッチしているのか?
次に、IVEを条件付きでOKとした理由を説明しましょう。これは主に音楽的な問題です。
まず、プロデューサーのデヴィット・ゲッタや、ソングライターチームが戦メリをサンプリングしたいと考え、そのような決断をくだすこと自体はOK。
しかし、そうした結果、曲がどのように聞こえるかについては、意見が分かれるところだろう、と思います。
映画『戦場のメリークリスマス』が描いた戦時下における人間の心の動きと、この曲が切っても切れない関係にあること。そして、たとえ映画を見たことがなかったとしても、坂本氏のメロディに、抑制的な静けさが漂っていること。
これらを踏まえて、果たして『Superenova Love』という曲の雰囲気とマッチしていると言えるのでしょうか?
平原綾香『Jupiter』と同じく陳腐な言葉に変換
今回の批判の中に、“メロディだけそのままのただの替え歌みたい”というコメントがありました。これはその通りで、今回『Supernova Love』が取った手法は、ホルストの『惑星』に日本語詞をつけた平原綾香の『Jupiter』(ジュピター)と同じなのだと思います。どちらも原曲に歌詞がない点も共通しています。
問題は、ハーモニーやメロディのスケール感によって聞き手のイマジネーションや解釈に委ねていたものが、陳腐な言葉によって矮小化(わいしょうか)されてしまったことなのでしょう。
『Jupiter』が“いつでもあなたの味方だよ”というメッセージに堕してしまったのと同じく、『Supernova Love』は、戦メリを<私の体に触って肌と肌を触れ合わせて>(Touch my body, skin on skin)といった思春期のムラムラに変換してしまったのです。
「リスペクトがない」と批判されてしまう理由
つまり、引用すること自体が問題なのではなく、その結果、もともとの曲が持っていた価値を、不当にディスカウントしてしまった。これは作曲者の意図に反するのはよくないという道徳的なことよりも、むしろ新しく作り直した側の音楽家としての見識を問うべき問題なのですね。
メロディのみならず、使われる和音の構成も同じなので、新鮮に響くわけでもない。ただ、異なるサウンド、ビートの上で、戦メリが弄(もてあそ)ばれているという印象を受けてしまう。その工夫のなさや、新しい視点を提供しようという意欲が感じられないので、“リスペクトがない”と批判されてしまうのだと思います。
もっとも、メロディをそのまま再利用することが悪いわけでないし、創造性がないのでもありません。エルトン・ジョンがデュア・リパ、ブリトニー・スピアーズとコラボした一連の曲は、エルトンの過去のヒット曲のフレーズを複数つなぎ合わせただけの手法で作られています。
けれども、これをすべて一つの調性の中でまとめ、統一感を生み出すのは簡単ではありません。どこを切り取り、どうつなぎ合わせるかという編集作業にセンスが問われるので、それは新しい創作となり得るのです。
残念ながら、『Supernova Love』には、その意味での新しさはありませんでした。飾り付けられたサウンドは、新品という意味では“新しい”のだけれども、アイデアの面で労力を怠(おこた)っている。
坂本龍一氏へのリスペクトに欠けるところがあるとすれば、その点なのだと思います。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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