高校2年になるまでピアノをきちんと弾いたこともなかったという内田拓海さん。どのようにして作曲家への道を切り拓いていったのでしょうか……?
小・中学校9年間、たったの1日も通学せず、高校からピアノを始めて“藝大”東京藝術大学に入った
作曲家の内田拓海さん(26歳)。6歳のときに自ら「学校に行かない!」と宣言し、ホームスクーラーとなった内田さんが考える「自分で学ぶ力」「自分の生きる道」の新しい見つけ方&育て方とは……?
今回は著書『不登校クエスト』(飛鳥新社)より、
・英才教育も絶対音感も「必須ではない」
をお届けします。
英才教育も絶対音感も「必須ではない」
※画像はイメージです
私は、坂本龍一さんに憧れて「藝大へ行く」と決めましたが、坂本さんのように、6歳からピアノを習って10歳から作曲を学ぶというような音楽教育は受けていません。それどころか、ピアノをきちんと弾いた経験すらなく、いわゆる“絶対音感”も持っていません。私のは絶対音感ならぬ、“だいたい音感”です。
誤解のないように書いておくと、作曲家ですから“だいたい”でも絶対音感に近いレベルの感覚は持っています。でもそれは坂本さんや多くの音楽家のように幼少期から叩き上げ作り上げてきたものではありません。例えるなら、“英語は不自由なく理解して話すことができるけれど、ネイティブスピーカーではない”ということと近いでしょうか。
ピアノも藝大の必須受験科目ですから、一生懸命練習しましたし、今ではパラパラと好きな曲を不自由なく弾けるレベルではありますが、これも同じようにネイティブスピーカーのレベルではありません。そもそも作曲科を受験しようという人で「高校からピアノを始めた」というケースもあまりないと思います。作曲科の学生は、全体的にピアノが上手く、坂本さんのようにピアニストとして活動する人も少なくありません。まったく弾けないところから受験勉強を始めた人は、あくまで推測ですが、作曲科の学生全体で4年で1人くらいはいるかな……という程度。少なくとも、私が受験した当時の藝大では自分以外はいなかったと思います。
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ただ、「藝大に合格する」という点だけで考えた時、例えばピアノ科ならピアノに関してはネイティブスピーカーではない時点で、合格は絶対不可能ですが、私が志望した作曲科ならば、よく練習しさえすればネイティブスピーカーでなくとも現実的に入ることは可能です。
よく勘違いをされるのですが、藝大入試は——少なくとも作曲科の試験はその人の「才能」を審査するのではありません。発想力やクリエイティブな能力を見るのではなくて、あくまでも作曲で必要となる音楽的な基礎教養、その“土台”がしっかりしているかを確かめるような試験なのです。
「基礎教養ならば、着実に身に着けていきさえすれば、自分も合格ラインまで到達できるはず」
「英才教育を受けていなくとも、絶対音感がなくても、何とかなる」
もちろん、そのためには音楽的知識やピアノ、そして作曲のスキルはイチから学ぶ必要があります。藝大をはじめ音大受験生は、入試の指導ができるプロの音楽家の先生にマンツーマンレッスンを受ける、ということが必須です。
高2から作曲を習いだす
高校1年の終わり、藝大受験の指導ができる先生を探して、藝大作曲科を卒業して、プロとして活動している先生にコンタクトを取りました。
「レッスンを受けさせてください」とファックスを送ると、しばらくしてから連絡があり、先生に会いに行くことになりました。私が「藝大を受ける」と言った時、高校の先生からも「本当に受けるの? あなた大丈夫なの?」と心配されましたが、こちらでも心配されるところからのスタートでした。
「キミ、ファックスに“藝大を受ける”と書いてあったけど……。本当に受けるんだったら、もうすぐに始めないと時間ないよ」
先生は「今から、全部イチから、勉強を始めたい」という私に、少々面食らいながらも、レッスンを引き受けてくれました。
「作曲は私が見ましょう、とりあえずウチに週1回来なさい」
「ただしピアノや“ソルフェージュ”は教えられないから、ほかの先生を探すように」
こんな風に、音大受験や藝大受験では、科目ごとに専門家の先生の下に通うことはごく普通です。そして最終的に、私は作曲の先生2人、ソルフェージュ1人と合計3人の先生に習うことになりました。ピアノは受験の直前期だけ、少しだけ母に見てもらう以外は、基本的に独学でコツコツと練習しました。
2023年12月、“個展”に出演した演奏家の仲間たちと。
一般的には耳慣れないであろう“ソルフェージュ”というのは、ピアノなどの楽器で演奏されたメロディや和音、音を聴き取り、それを楽譜に正確に書き取ったり、初めて見た楽譜を正しい音程で歌ったりする基礎訓練のこと。音を言葉のように使いこなせるようになるために、学科や専門に関わらず音楽を学ぶ者にとって避けては通れないものです。
ちなみに、藝大作曲科は1次は大学入試センター試験(現・大学入学共通テスト)ですが、2次試験は4日間かけて行われます。そのうち作曲の試験が3日間3回、最後4日目は音楽の基礎的な知識を問う“楽典”の試験とソルフェージュとピアノ、そして面接があるという長丁場です。作曲科の場合、合否を分けるのはもちろん作曲試験の比重が相応に大きくなりますが、ソルフェージュもピアノも面接も、そしてセンター試験も一定水準以上は必ずクリアしなければなりません。
2022年10月、初めてのアルバムをレコーディング時に演奏者と。
ただ私の場合、現役の時も、1浪目、2浪目も藝大の作曲科だけしか受けませんでした。「一番高い山に登らなければダメだ」と決めていてそれが前提だったわけですから、単願は必然だったわけですが、勉強も藝大入試だけに特化すればよかったのです。
高校2年生から本格的に、本気で藝大受験の勉強を始めました。平日は毎日ずっと音楽の勉強をして、週に数日、各レッスンの先生のところに通い、その合間に学校のレポートを書き上げ、日曜日は授業に行って授業を受けて部活も顔を出す——というルーティンをひたすらにとにかくこなしていきました。1年前まで不登校だったとは、我ながら思えないくらいの忙しさに突入していきました。
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この続きは、書籍でお楽しみください。
※本記事は、『不登校クエスト』著:内田拓海/飛鳥新社より抜粋・再編集して作成しました。
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