世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
旅行に行く時、私はあまり予定を立てるタイプではない。宿泊する旅館のサイトもあえて読み込まないし、夕食のメニューなんて絶対目に入らないようにスクロールしまくる。物事の偶然性を大事にしたい性格なのだ。
そんな私を、妹は信じられないと言う。彼女は全てを完璧に調べあげ、その土地を知り尽くすので、憧れの旅館へ泊まるときにはもう熱が冷めているらしい。もはや下調べの答え合わせである。ハプニングを極力回避して生きていきたいという妹は、今日もインスタグラムを駆使して、韓国旅行先で目当ての食堂を調べながら幸せそうだ。
『ナチュラルボーンチキン』は、そんな私たちのように、全く異なる性格の女性2人の出会いをきっかけに進んでいく物語である。
出版社に勤務する45歳の浜野文乃は、ルーティン化した生活をなぞりながら生きている。毎晩同じ肉野菜炒めを作り続け、大して面白くもない動画を流し見しながら寝て起きて職場に行く毎日はつまらないけれど、それを崩す必要性は感じない。過剰が何より苦手で、目立たない人生を求めているのだ。
文乃の職場である出版社には、なんとも異様な人物がいる。20代ながら優秀な編集者として働く彼女は、スケボーで通勤したり、捻挫を理由に3週間の在宅勤務を要求したりと我が道を行く自由人だ。労務課の文乃は、その平木直理(ひらきなおり)という編集者の自宅まで、怪我の様子を見に行ってほしいと上司に頼まれる。そこにはバルコニーで寝そべりながら、全裸で仕事をする彼女がいた。破天荒な直理と話しながら、次第にその竹を割ったような性格にほだされていく。初めは直理を訝しんでいた文乃だったが、部屋を出る頃には爽快な気持ちにすらなっていた。
そんな直理になぜか懐かれ、昼休みのランチなどを共にしながら、年齢も性格も異なる2人はどんどん仲良くなっていく。何の感情もなく毎日淡々とパックごはんを食べていた文乃が、直理に振り回されながらも北京ダックやビュッフェを楽しむ描写は、読んでいて嬉しくなってくる。
そんな中、文乃は運命の出逢いを果たす。直理に半ば強引に連れて行かれたライブで、珍妙な歌を歌ったり、デスボイスで客を煽ったりするハードコアバンド「チキンシンク」のパフォーマンスに衝撃を受けるのだ。自分の人生では一切関わりがなかった体験に呆然としながらも、とりわけ奇妙な存在感を放つボーカルが脳裏に焼き付いて離れない。そして、ライブ後に直理と訪れた居酒屋で、文乃はそのボーカルである「かさましまさか」と出逢うのだ。ステージ上の狂気じみた風貌とは違い、シャイで心優しい性格に混乱しつつも、2人は互いに少しづつ心を開いていく。
45歳の独身女性と、41歳のバンドマン。物語からは取りこぼされそうな中年2人の、ぎこちなく、ささやかな関係性が愛おしい。文乃がなぜこんなにも保守的な性格で、ルーティンを好むのかが終盤で明らかになると、それまでのコミカルな雰囲気から一変する。人間の隠しておきたい心のうちが白日のもとに晒されていく展開は苦しくなるが見事で、息もできない。
「そういうことではなく、私はもう、一人で生きていくという方向にシフトしてしまったんです。ここから誰かと生きていくという方向にシフトし直すのは、多分ものすごく大変なことで、考えただけで疲れると言いますか、もう自分にできる気がしないんです」
頑なな文乃に、まさかはいろんな選択肢を提案しながら、お互いが無理をする必要のない関係性を突き詰めていく。
人間関係は面倒だ。誰かと深く関わるのは、異性でも同性でも疲れるし、表面的な関係でうまく全てが回るならそうしたい。本心を言って嫌われるくらいなら、相手の理想を演じているほうが楽だと、そう思っていた時期が私にもあった。そして文乃もかつてはそうだった。けれど、まさかや直理のような、自分とは異なる性質の他者を通して、次第に解放されていく。
実は子供が大嫌いなこと、親がカルト信者であること、辛いものの食べ過ぎでいぼ痔になったこと。隠しておきたかった秘密を交互に打ち明けあって、それでも引いたりしませんよと笑い合える2人の関係性はあまりにも尊く、目頭が熱くなる。
作者の金原ひとみは、この作品のことを中年版『君たちはどう生きるか』だと語っている。年をとっても、いろんなことを諦めていても、人生はより生きやすいほうへシフトしていける。そのことに気づき、翻弄されながらも行動する主人公の存在に勇気づけられた。タイトルの直訳は「生まれながらの臆病者」。文乃だけではなく、実は誰もがそうなのかもしれない。
いつも妹に任せている旅行の計画を、今度は私がしてみようか。行き当たりばったりの旅程に、呆れながらも笑ってくれる姿が目に浮かぶ。
評者/市川真意
1991年、大阪府生まれ。ジュンク堂書店池袋本店文芸書担当。好きなジャンルは純文学・哲学・短歌・ノンフィクション。好きな作家は川上未映子さん。本とコスメと犬が大好き
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