篠塚和典がコーチ時代から見てきた坂本勇人のすごさ「技術の習得に貪欲で地道な努力を繰り返してきた」

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篠塚和典がコーチ時代から見てきた坂本勇人のすごさ「技術の習得に貪欲で地道な努力を繰り返してきた」

11月12日(火) 9:55

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篠塚和典が語る坂本勇人前編

生涯打率.304、2度の首位打者獲得。卓越したバットコントロールと華麗なセカンドの守備で、長らく巨人の主力として活躍した篠塚和典氏。そんな篠塚氏に「技術的に優れたバッター」を聞いたところ、間髪入れずに名前を挙げたのが巨人の坂本勇人だった。

坂本のすごさはどこにあるのか。巨人の一軍打撃コーチ時代、坂本をルーキーの時から指導し、その後も成長の過程を見守ってきた篠塚氏に、当時のエピソードと併せて聞いた。

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【入団当初の印象は?】――初めて坂本選手のバッティングを見た時の印象は?

篠塚和典(以下:篠塚)勇人が1年目の宮崎キャンプで、紅白戦か何かの時に初めてバッティングを見たのですが、体格がよかったですし(186cm・86kg)、タイミングのとり方もよかった。あとは「構えた時の雰囲気があるな」と。打つ、打たないは別として、打席での雰囲気は大事なことなのですが、そういうものをすごく感じました。

2007年9月、プロ初安打が決勝打となりお立ち台に上がった坂本photo by Sankei Visual

2007年9月、プロ初安打が決勝打となりお立ち台に上がった坂本photo by Sankei Visual





――坂本選手のプロ1年目、篠塚さんは打撃コーチをされていましたね。

篠塚「どういうバッティングをするのかな」と、最初は見ているだけでしたけどね。自分の場合は、バッティングについてアドバイスをする選手としない選手がいるのですが、勇人の場合はこちらから言わなくても自分でいろいろ考えてやるタイプでしたから。状態が悪い時に少し口を出すぐらいで、基本的にそれほどアドバイスをすることはありませんでした。

2年目にレギュラーに定着しましたが、プロのピッチャーのボールに対応しようと考えながらバッティングをしていることが見てとれました。打席を重ねるたびに課題を克服しようと努力を積み重ね、成長していきましたね。

――篠塚さんはバッティングの技術に対して厳しい目をお持ちですが、歴代の選手のなかでも坂本選手のバッティングを高く評価されていますね。

篠塚彼は"天性のホームランバッター"というわけではありませんが、いろいろなボールに対してアジャストできます。体が泳いでも、ある程度はしっかりボールをとらえられますし、詰まりながらでもヒットゾーンにボールを運べる。練習の時からそういうことを想定して取り組んでいました。

練習で「泳いで打ってみよう」と意識して取り組んでいたこともありましたが、そんな選手はあまりいないんです。普通のバッターであれば「いい形で打ちたい」という気持ちが先に立つでしょうけど、それだと試合では通じません。相手バッテリーはいかにバッターの体勢を崩すか、タイミングを外すかを考えて攻めてくるわけですから、「泳いでもいい」「詰まってもいい」という意識が必要ですし、そういう意味で彼は試合で通じるバッティング練習をしていたということです。

【プロで長く活躍するための努力】――そういった練習は自主的に行なっていたんですか?

篠塚こちらが言わなくてもやっていましたよ。バットの面をボールのどこに入れたらどういう回転になるか、どういう角度になるか。そういうものをティーバッティングでやったりしていたので。



それと、構えもかなり変わってきているんじゃないですか。スタンスを広げたり、左足を高く上げてタイミングを取ったり、すり足気味にしてみたり......プロで長く活躍するためには、必ずそういうことが必要になるんです。同じ形で続けていると、調子の波が出てきてしまうので。

――選手は、どこかを変えていかないと活躍が難しくなる?

篠塚そうですね。前の自分とは違った形でバッターボックスに入っていかなければいけません。「いつもと同じ感覚だとやられてしまうんじゃないか」という気にもなるので。タイミングのとり方を変えたり、バットを少し短く持ってみたり、そういうことがすごく大事なんですが、勇人はしっかりやっていました。1年目に見た時は、そこまで細かくやるようには見えなかったんですけどね(笑)。

バッティングは細かくやらなければ絶対にうまくいきません。大雑把ではいい数字を残せませんし、打撃のタイトルは獲れない。ピッチャーが打たせまいと思って投げてくるボールを打つわけですから、スイングの形がひとつではダメです。バットのどこかに当たったボールが、野手のいない場所に落ちればいいわけなので。

――内角のボールのさばき方に関しては、プロ入り当初から天性のものを感じました。

篠塚幼い頃からなのかはわかりませんが、アマチュア時代に自然とああいう形になったんだと思います。彼はもともと左利きで、インサイドを打つ時の肘の抜き方は意識して抜いているのではなく、自然にできたことだと思うんです。

【原監督の我慢強い起用に応えた】――2年目は首脳陣が我慢強く起用し続けましたね。

篠塚全試合スタメンで起用しましたからね。ただ、おそらく.250ぐらいしか打ってなかったんじゃないかな(2年目は打率.257)。全然打てない時期もあったりしましたが、当時の原辰徳監督に「彼を育てなければいけない」という強い意志を感じましたし、我々コーチ陣もそれは感じていたので。

シーズン中、打撃の調子が上がらないと起用しなくなることはありがちなのですが、勇人の場合はそうしなかった。そんな原監督の思いは、少なからず勇人にも伝わっていたでしょう。彼は試合を通じていろいろな経験を積んでいきましたが、ただ経験をするだけではなく、自分で考えながら吸収していける選手でしたね。



――年々ステップアップしていった?

篠塚そうですね。原監督が我慢して起用し続けたことでステップアップしていきましたし、使い続けることができたのは、守備がわりと安定していたこともあったと思います。ちょっとエラーが多い時期もありましたが、それも経験ですから。そういう苦い経験を経て、同じ失敗を繰り返さないように練習してきた成果じゃないですか。

バッティングや守備の技術、シーズンを乗りきるための体力も、やっぱり試合に出続けなければ身につきません。彼はいろいろな技術の習得に貪欲ですし、地道な努力を繰り返してきたことが、球史に残るような成績につながっているんでしょうね。

(後編>>)

【プロフィール】

篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

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