西部謙司が考察サッカースターのセオリー
第22回フロリアン・ビルツ&ジャマル・ムシアラ
日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。今回は、ドイツ代表の若きプレーメーカー、フロリアン・ビルツとジャマル・ムシアラのふたりに焦点を当てます。どちらも傑出した力を持っていますが、共存が難しいという見方もあります。
ドイツサッカーのこの先の10年を担うプレーメーカー、ビルツ(左)とムシアラ(右)photo by Getty Images
【どちらも紛れもない10番】
フロリアン・ビルツ(レバークーゼン)とジャマル・ムシアラ(バイエルン)はともに21歳。ポジションは攻撃的MF。抜群のボールコントロールと精密なパス、多彩なアイデアがあり、素早く動き運動量もある。こうして説明するとよく似たタイプに思えるが、見た目もプレースタイルもかなり違う。だが、違うけれどもやはり似ている。どちらも紛れもない「10番」なのだ。
代表チームには稀に黄金世代が現われる。同じ年頃の天才的な選手が一気に輩出される。極めて有能な選手を生み続けているサッカー強国でも、格の違う世代はあるものだ。
ドイツ代表にはビルツ、ムシアラのほかに20歳のアレクサンダル・パブロビッチ(バイエルン)もいる。黄金世代と呼ぶには少し数が足りないが、同世代のMFに、近い将来世界トップに立つであろう3人がいるわけだ。
パブロビッチは引退したトニ・クロースの後継者になるだろう。ビルツとムシアラがいかに共存していくかが、今後のカギを握るのではないかと思う。
ドイツ(西ドイツ)代表の歴史を振り返ると、自国開催で優勝した1974年ワールドカップのメンバーが第一次黄金世代だった。フランツ・ベッケンバウアー、ボルフガング・オベラート、ギュンター・ネッツァー、ゲルト・ミュラー、ゼップ・マイヤー、ユルゲン・グラボウスキ、ユップ・ハインケスが1943~45年に生まれている。いずれもこの時期のドイツと欧州を代表する名手ばかりだ。
なかでもオベラート、ネッツァー、ベッケンバウアーの3人は天才プレーメーカーで、ひとつの国に世界最高クラスのMFが3人いるという史上稀なケースだった。
ただ、結論から言うと、この3人は並び立たなかった。
ブラジルではペレ、トスタン、リベリーノの天才10番の併用が成立していた(1970年代)。後にもジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの「黄金の4人」が出現している(1980年代)。フランスのミッシェル・プラティニ、アラン・ジレスの共存(1980年代)も何の問題もなかった。
ところが、なぜかドイツは「両雄並び立たず」なのだ。
【プレーメーカーが共存できない理由】
1972年の欧州選手権(ユーロ)はベッケンバウアーとネッツァーのダブルプレーメーカーが機能して優勝。この大会を負傷欠場したオベラートが復帰すると、1974年W杯に向けて「ネッツァーかオベラートか」の論争が勃発する。すでにベッケンバウアーはMFからリベロにコンバートされていたので、ふたりのプレーメーカーのどちらを選択するかの問題だった。
両方使えばいいように思うかもしれない。実際、同時起用した試合もあったのだが結果はさんざんだった。
結局、1974年W杯ではオベラートが全試合に先発している。ネッツァーは3戦目の東ドイツ戦に20分間程度プレーしたのみだった。この試合が唯一の負け試合。オベラートは観客席からのネッツァーコールのなかで交代する屈辱を味わったのだが、ネッツァーがプレーした時間に西ドイツは決勝点を奪われている。
オベラートへの信頼が高かった理由としては、ネッツァーのコンディションが十分でなかったことが大きいのだが、対人マークの強さでオベラートに分があったからではないかと推察する。当時は基本的にマンマークで人につく守備が主流だった。
2014年ブラジルW杯優勝のドイツは、1970年代以来の黄金世代だった。
この時はメスト・エジルとトニ・クロースがいたが、問題なく共存できている。1970年代は特定の選手にボールを集めてゲームを構築していた。そのため指揮者がふたりではチームが混乱する危惧があったわけだが、2014年はすでに特定の選手を司令塔に据えるサッカーではなくなっている。この違いが大きい。
ブラジルは伝統的にアタッカーを並べて攻め勝つスタイルが好まれ、ボール保持で劣勢になることも想定していない。だから平気で10番タイプを並べていた。フランスのプラティニとジレスのケースはセンターフォワードを置いておらず、10番を併用しても攻撃過多にはなっていなかった。
攻守のバランスを重視して司令塔を併用しなかったのは、ドイツらしい堅実さである。
【ドイツサッカーのこの先10年は安泰か否か】
2024年の欧州選手権、ドイツはビルツとムシアラを併用した。さらにイルカイ・ギュンドアンも起用していた。ビルツ、ムシアラ、ギュンドアン、クロースのMF陣はドイツ史上最も技巧的な中盤と言える。
システムは4-2-3-1。ギュンドアンがトップ下、ビルツとムシアラは左右に分かれて2列目を形成していた。ビルツ、ムシアラのポジションはサイドハーフだが、ふたりとも中へ入ってハーフスペースでプレーするのを得意としている。
そのため、攻撃時はクロースが最終ラインに下りて両サイドバックを前に出して幅をとるのだが、ギュンドアン、ビルツ、ムシアラが集結する中央部は渋滞気味ではあった。中央のオーバーロードは今季のバルセロナが実践して結果を出している。しかし、ドイツの試みはそこまで機能していなかった。
事実上の決勝戦と言っていい準々決勝のスペイン戦では、ビルツを外してリロイ・サネの先発だった。ただ、それでうまくいったわけではなく、後半にビルツが登場してからのほうが明らかに核心をつく攻撃が増えていた。89分の同点弾もビルツだった。
しかし、同点にできたのは無理矢理とも言える総攻撃の成果である。トマス・ミュラーとニクラス・フュルクルクも投入して、前線5人にクロスを放り込み続けたおかげ。
延長後半の失点で敗れはしたが、ドイツはこの大会のベストチームのひとつだった。ただし、ビルツとムシアラにとっては不完全燃焼だったかもしれない。
ふたりの長所は、狭いスペースでパスを受けて前を向けること。そして決定的なプレーができること。ボールタッチのうまさ、身体操作の滑らかさはふたりの共通点だ。意表を突くタイミング、コースのパスを出せて、ドリブルでボックス(ペナルティーエリア)内へ突入することもできる。いまどき、このレベルのインサイドハーフを揃えられるのは特例だろう。
しかし、ドイツは点がほしくなると必ず力攻めに変化する。それで成果も出してきた。だが、それをするならビルツもムシアラもいらないのだ。
1970年代の黄金世代が去ったあと、西ドイツは急に武骨なスタイルに回帰していた。それでもある程度の結果は出せていたのだが、技術的に完全復活するのは2014年まで待たなければならなかったし、それ以前には深刻な落ち込みを経験していた。
ドイツサッカーは常に2つの顔を持つ。ビルツとムシアラがいれば、あと10年は安泰に思われる。ところが、ビルツ&ムシアラが実質的に存在感を発揮できない10年になる懸念も現時点ではまだ残されている気もする。
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