秋野暢子「小学校卒業式を見るまでは!」食道がん“鬼退治”の新たな仲間は初孫

(撮影:加治屋誠)

秋野暢子「小学校卒業式を見るまでは!」食道がん“鬼退治”の新たな仲間は初孫

11月10日(日) 11:00

健康に生きる”をテーマに講演会や、健康のための運動や食事法をお伝えする書籍を発表していたので、病気になって黙るのはおかしくない!?っていう思いがあったんですね。嘘なく、誇張なく、正直な思いや経験を日々アップしていきました」

ブログは、秋野自身も含め、同じ病気の人や家族が励まし合える場所となった。そのブログでは、がんの闘病を“鬼退治”と表現している。

「医療では、医師や看護師、技師の皆さんのチームがいなければなりませんし、家族やブログに集う人たちは精神的な支えになります。桃太郎のような、仲間がいてこそ闘える病気だと思ったんです」

そんな思いで、鬼退治に挑んだのだが──。

「抗がん剤治療というと、髪の毛が抜けるイメージがあるじゃないですか。ごっそり抜けるようなことがあるとメンタルをやられるから、事前に剃ってしまおうと思ったんです」

病院内の美容院に行ったが、カミソリを使用しないため、仕上がりは3mmほどの丸刈りに。

「短い毛が抜けると面倒だから、コンビニでT字のカミソリを購入。これがキレイに剃れるんです。ところが、回診で部屋に入ってきた担当医はびっくりして『秋野さんの抗がん剤は、毛が抜けないタイプのものなんですよ』って。まったくの早とちりでした(笑)」

点滴で行った抗がん剤治療では、副作用に悩むことはなかった。

「自由に動けるし、吐き気どめの薬も進化していて、吐くようなこともありませんでした」

抗がん剤治療とともに、放射線治療も同時並行で行った。しかし、その期間は体の負担が大きかったという。

「全30回あったのですが、20回目以降から、やけどのように首が真っ黒に変色して、喉の痛みがひどくなりました。まるで剣山が喉に刺さっているほどの痛みだったんです。放射線治療前に胃ろうを作ったんですが、嚥下能力が衰えるので、なるべく口から水やアイス、プリンを流し込んでいました」

つらい治療ではあったが、あくまで前向きに捉えていた。

「痛みが一生続くのであれば心も折れるけど、いつかは治るのだからと捉えていました。それに真っ黒にただれた皮膚も、めくれてみると、その下から新しくてキレイな皮膚が再生しているんです。そんな喜びも感じていました」

コロナ禍だったため、家族であってもお見舞いできない状況だった。しかし、前出の高岡さんは、できる限り、家族で彼女を支えようと意識していたと語る。

「親子で一緒にテレビ電話をしていたと思います。秋野が一時退院したときは、コロナ禍のため、自宅に帰らずに病院近くのホテルに宿泊していたのですが、秋野がホテルのガラス越しから見えるように、今は夫になった娘の彼氏や、秋野が飼っているワンちゃんを連れていったこともありました」

何より、秋野は前向きに治療に当たっていたことが大きい。秋野が続ける。

「なぜか治療すれば治るという根拠のない自信があったんです。名前のとおり“暢”気なんですね。それに泣いていたって病気が治るわけじゃない。だったら幸せホルモンが出るように笑っていたほうがいいって、病室ではいつもバラエティ番組を見て笑うようにしていました」

“鬼退治”は奏功し、医師が驚くほどがんがキレイに消え、’23年1月からは仕事にも復帰している。

「誰もがいずれ死ぬことはわかっていましたが、がんになって、より具体的に死を感じるようになりました。でも、それは悲観的な意味合いではないんです。死を自覚することで、食べたり飲んだり、しゃべったりする平凡な生活が輝いて見える─―。奇跡は日常にあるんですよ」

今年9月にも、そんな奇跡の一つに出合えた。昨年、結婚した娘の出産に立ち会ったのだ。

「無痛分娩を選択したとはいえ、腰に痛みがあったため、必死で娘の腰をさすりながら、孫が生まれる瞬間を見守りました。ぎゃっと泣いた瞬間に力が抜けてね(笑)。あんなに小さな体でも、生命の力強さが満ちていて……。娘が出産して“ああ、命ってつながっていくんだな”って喜びが湧いてきたんです」

“この子の成長を見守りたい”と新たな希望も湧いたのだ。

■孫を見ると、幼稚園に通う姿を見たいし、小学校の卒業式も見たくなる

「昨年5月から同居している娘夫婦は、生まれたばかりの孫の世話で手いっぱい。だから私は“メシ炊きババア”で、昼食と夕食を作っては運んでいます(笑)」

日常生活を明るく語る一方、死をリアルに感じ、毎年12月にはエンディングノートを更新している。

「家族に迷惑をかけずに死にたいと思っていても、必ず迷惑はかけるはず。少しでも負担を減らそうと、金融口座やつみたてNISA口座、加入しているサブスクなどの情報を記しているんですね。『私が死んだら、まずこれを見ろ』と、金庫にしまっているんです」

抗がん剤が奏功したとはいえ、副作用にも付き合っていかなければならない。

「抗がん剤治療が終わって半年ほどしてから、くるぶしから下にしびれが出るように。1年半前からは“シャー”っと耳鳴りがあります」

今年4月には、内視鏡手術も行っている。

「抗がん剤ではたたききれなかった、転移ではない異時性といわれる隠れた病変“小鬼”が見つかって、切除したんです」

今後もがんや、その副作用と共存していくことになる。

「がんサバイバーということで、何があるかわかりません。そのため、穴があけられない舞台の仕事のチャンスが回ってこないのが残念ではありますが……。でも、今後も前向きに、少しでもがん闘病中の人や、がんサバイバーの人を勇気づけるために、自らの闘病を発信していきたいですね」

講演活動や絵画などの創作活動にも力を入れ、個展では作品の売り上げの一部をがん研究などのために寄付している。

「孫の育児が少し落ち着いたら、一時中断している陶芸の勉強も再開して、来年の個展に向けて作品を作っていこうと考えているんです。やりたいことを実現していきたいんです」

2年後の話をする際、つい「そのとき生きていないかも」と口走ってしまうこともあるが、孫の誕生で生きることへの欲も出てきた。

「すごく長生きにこだわっているわけではないんですが、孫を見ると、幼稚園に通う姿を見たくなるし、小学校の卒業式も見たくなります。さすがに成人式まではキツいかなって思うけどね」

新たな命をモチベーションにして、がんと共存しながらも暢気に人生を楽しみ続ける──。

(取材・文:小野建史)

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