【平成の名力士列伝:琴ノ若】愚直な相撲道を貫いた美男力士としての歩みと長男・琴櫻が果たした大関昇進

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【平成の名力士列伝:琴ノ若】愚直な相撲道を貫いた美男力士としての歩みと長男・琴櫻が果たした大関昇進

11月9日(土) 7:10

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端正な顔立ちと粘り強い相撲道で人気を博した琴ノ若photo by Jiji Press

端正な顔立ちと粘り強い相撲道で人気を博した琴ノ若photo by Jiji Press





連載・平成の名力士列伝19:琴ノ若

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、「美男力士」という華やかなイメージと相撲への愚直なまでの姿勢を兼備し、長く人気を博した琴ノ若を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【人気力士でも番付は同学年の琴錦に差をつけられ......】191センチの長身で、鼻筋の通った端正な顔立ち。表情は穏やかで、温かく、優しげな雰囲気が漂う。「イケメン」という言葉が生まれる少し前の平成時代初期、相撲界の美男力士の代表格だったのが、琴ノ若だ。

その評判は相撲界のみにとどまらず、ある雑誌で企画したスポーツの「いい男」の特集号では、野球、サッカー、バレーボールなど数多の競技を押しのけて表紙に選ばれている。ただし、人気を集めた理由は外見ばかりではない。決して器用ではないが、真っすぐに泥臭く相撲と向き合い、長く土俵を務めた名力士だった。

昭和43(1968)年生まれで山形県尾花沢市出身。子どもの頃から体が大きく、相撲の県大会で優勝。力士になるつもりはなかったが、元横綱・琴櫻の佐渡ケ嶽親方の熱心なスカウトに押しきられて入門し、昭和59(1984)年5月場所で初土俵を踏んだ。

幕下の頃に琴の若(のち琴乃若、琴ノ若)と改名し、着実に力をつけて平成2(1990)年7月場所、22歳で新十両に昇進すると、十両はわずか2場所で通過して、同年11月場所で新入幕を果たした。

長身で懐が深く、突き起こして右を差し、左上手を取って出るスケールの大きな相撲に加え、端正な顔立ちで人気力士となったが、なかなか幕内上位には定着できなかった。

対照的だったのは、同じ佐渡ケ嶽部屋で同学年の琴錦だ。こちらは負けん気が強く、上背には恵まれないが、抜群のスピードと切れ味鋭い技でたちまち番付を駆け上がり、琴の若が幕内に上がるころには、すでに横綱・大関もしばしば倒し、三賞の常連に。小結から関脇へと駆け上がって大関候補と目され、平幕優勝も経験していた。

そんな琴錦より体格に恵まれている琴ノ若がなかなか幕内上位で活躍できないことが、物足りなく感じられていたのだ。

【地道な相撲道を象徴した「ミスター1分」】若くして人気を集めた力士が壁に当たると、相撲から気持ちが離れ、大成できないまま土俵を去ることも少なくない。しかし、琴ノ若は違った。端正な顔立ちの裏に相撲へのまっすぐな思いを失わず、厳しい声をしっかりと受け止め、泥臭く努力を続け、少しずつ力をつけていった。

平成7(1995)年7月場所、新小結で武蔵丸と貴ノ浪の2大関を破って9勝し、初の敢闘賞。平成8(1996)年3月場所で11勝して2回目の敢闘賞を獲得し、場所後に婿入りの形で師匠の長女の鎌谷真千子さんと結婚。身を固めてますます相撲に打ち込み、同年7月場所では、貴乃花と曙の2横綱を破って9勝を挙げ、初の殊勲賞に輝いた。その後も幕内上位で活躍を続け、平成11(1999)年1月場所では新関脇に昇進した。

簡単には勝負をあきらめず、長い相撲が多いことからついた異名が「ミスター1分」。水入りになった相撲が4番もあり、なかでも平成13(2001)年3月場所3日目の貴闘力戦はトータル8分28秒の大熱戦となった。

平成16(2004)年7月場所8日目の横綱朝青龍戦は、左上手投げで体が裏返った朝青龍に、ブリッジの体勢になりながら右下手をつかんでしがみつかれ、かばうようについた琴ノ若の左手が、朝青龍の体より先に土俵についた。軍配は琴ノ若に挙がったが物言いがつき、取り直しの末に敗戦。しかし、泥臭く、粘り強く、そして心根の優しさも感じられる琴ノ若らしい一番は、ファンの脳裏に深く刻まれている。

師匠の定年を機に、平成17(2005)年11月場所限りで引退して年寄佐渡ケ嶽を襲名。佐渡ケ嶽部屋の師匠として、大関・琴欧洲、大関・琴奨菊、実子である大関・琴櫻、関脇・琴勇輝、幕内の琴恵光、琴勝峰ら多くの力士を育てている。

現大関・琴櫻の長男・将且(まさかつ)が相撲を始めた小学生の頃、国技館で大会があると、夫人とともにしばしば応援に訪れていた。当時の将且は足が長いゆえに腰高で、土俵際まで攻め込んでは逆転負けすることが多かったが、決して声を荒げたりせず、温かいまなざしで見守っていた姿が印象深い。

愛情深く育てられた将且君はたくましく成長し、父の果たせなかった大関昇進を実現。「『琴ノ若』の名前を大関にしたかった」と新大関の1場所、琴ノ若の四股名のままで大関を務めたあと、祖父の「琴櫻」と改名し、父と同じく真っすぐに泥臭く相撲と向き合って、横綱を目指している。

【Profile】琴ノ若晴將(ことのわか・てるまさ)/昭和43(1968)年5月15日生まれ、山形県尾花沢市出身/本名:鎌谷満也/所属:佐渡ヶ嶽部屋/しこ名履歴:今野→琴今野→琴の若→琴乃若→琴ノ若/初土俵:昭和59(1984)年5月場所/引退場所:平成17(2005)年11月場所/最高位:関脇

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