人生100年時代の折り返し地点で、人は多くの問題に直面する。親の介護や病気、夫婦仲の冷え込み、子供の問題……。クリアが困難な“無理ゲー”の数々をどう解決すればいいか?令和の家族メンテナンス法を探った。
きっかけは義両親からの電話だった
介護のなかでも最も負担が重いとされる認知症患者。老年学研究者でライターの島影真奈美さん(51歳)は、'17年に義父母が揃って認知症を発症する問題に直面した。
「突然、義母(当時80代)から『自宅のお金がなくなった。息子が盗んだんじゃないか』と電話が来たんです。さらに『知らない女性が住み着いてる』とも言う。義父からも、姿は見ていないけど女性が2階にいると力説された」
すぐに認知症を疑った結果…
介護現場を何度も取材していた島影さんはすぐに認知症を疑い、物忘れ外来の受診を勧めた。義父母に「医師から『認知症ではない』のお墨つきがもらえたらプラスに働く」と提案すると快諾したという。
「最初の診断では認知症の診断は出なかったのですが、自宅には『物を盗るのはやめてください』などと“2階の女性”に向けた手紙があちこちに貼られていて絶句……。高齢者の健康・生活全般の相談窓口である地域の包括支援センターの助けも借りて再受診して要介護認定をもらったのです」
夫と真剣に離婚を考えたことも
親の介護は実子が主導することが多いが、島影さんは自ら介護のキーパーソンに。
「夫は以前から『親の面倒は見ない』と義父母に伝えていて、私にも繰り返し『無理しなくていい』と言っていました。でも、そう言われても気がラクになるどころか、ダメ出しされているように感じてしまい、真剣に離婚を考えたこともありました……」
次第に、島影さんは追い詰められることに。そんな自分の状況を自覚したきっかけは地方出張だった。
「何かあっても駆けつけられない場所まで離れてみて、初めて『私がいなくても何とかなる』と気づきました。“私がやらなきゃ”と思い込みすぎていたんだなとも。そこから少しずつ、夫などに助けてほしいと言えるようになりました」
一人で抱え込まないことが介護では大事
その後、'20年に肺炎を患って義父は他界。現在、介護付き老人ホームで暮らす義母のもとに島影さん夫婦は月1ペースで通い続けている。
「介護で大事だと感じたのは、一人で抱え込まないこと。SOSを出す練習、受け取る練習が必要だなと思います。介護する側にとっては“突然”でも、要介護者が以前からSOSを発していたというケースは多い。実際、介護が始まる少し前、義父から『銀行印がわからなくなってしまった』と相談されていたのに、『私もよくあります!』と笑い飛ばしてしまった。この介護経験を生かして、実の両親とは毎週1時間、Zoomで話す機会を設けています」
今から“突然”に備えよう。
島影さんが直面した難題
①義父母が揃って認知症に
同時に義父母に認知症の疑いが生じ、「物忘れ外来」の受診を勧め、要介護1 の認定を受ける。
②「親の面倒見ない」姿勢だった夫
夫は以前から両親に「親の面倒は見ない」と話していたようで、積極的に介護をしようとせず。
③介護に関連する出費の問題
病院通いのタクシー代などを建て替えたが、話し合いを経て介護関連支出はすべて義父母負担に。
島影さん自ら指南する家族のメンテナンス法
ストレスを感じ始めたら逃げていい
介護でしんどさを感じたら、“逃げ”の選択も考えましょう。物理的に離れることで、冷静さも取り戻しやすくなります。「離れられるわけがない」と思ったら、すでに頑張りすぎ、抱え込みすぎのサイン。やましさを感じるぐらい、自分の時間を楽しむほうが、優しく接せられるようになります。
【ライター・老年学研究者 島影真奈美さん】
働きがならも、国内で唯一「老年学研究科」がある桜美林大学大学院に社会人入学。著書『子育てとばして介護かよ』で実体験を綴る
取材・文/週刊SPA!編集部
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