古今東西の映画のあちこちに、さまざまに登場する詩のことば。登場人物によってふと暗唱されたり、ラストシーンで印象的に引用されたり……。古典から現代詩まで、映画の場面に密やかに(あるいは大胆に!)息づく詩を見つけると嬉しくなってしまう詩人・大崎清夏が、詩の解説とともに、詩と映画との濃密な関係を紐解いてゆく連載です。(題字・イラスト:山手澄香)
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【動画】「イル・ポスティーノ」予告編
今回のテーマは、製作30周年とパブロ・ネルーダ生誕120周年を記念して、11月8日から4Kデジタルリマスター版でリバイバル公開される「イル・ポスティーノ」(マイケル・ラドフォード監督)です。
遠くから手紙が届く嬉しさを、私もよく知っている。手書きの筆跡、切手の貼りかた、便せんの選びかた、鳥の羽のような封筒の重み——差出人の心を細部に宿して、海を渡り山を越えてほんとうに届くそれは、メールやLINEとは比較できない。いつだったか私は「手紙と書いて愛と読むんだよ、手書きの手紙なら愛×二乗だよ」と冗談交じりに人に話したことがあるのだけれど、あながち間違っていないんじゃないかな、と思う。
「イル・ポスティーノ」は、イタリアの小さな島に亡命してきたチリの大詩人パブロ・ネルーダと、彼宛ての手紙を届ける冴えない郵便配達人マリオを主人公にした、とてもかわいらしい物語だ。ほとんどの住人が文字を読めないその島で、たったひとりの受取人であるネルーダに手紙を届けながら、マリオは「高名な詩人」と少しずつ近づきになってゆく。
自分も詩が書けたら、人生うまくいくんじゃないかな。有名になって、女の子にモテて、仕事にも困らなくなって……。詩作に興味を抱くマリオの動機は不純だ(でもいったい、不純でない動機で書き始めた詩人なんているだろうか?)。手始めに、マリオはなんとか自分なりに味読したネルーダの詩集『ありふれたものへの領歌(オード)』からの一節を、パブロ先生との会話に引用してみせる。当初は「隠喩」の意味も知らなかったようなマリオだけれど、ときにはその素朴さで、大詩人がすぐに答えられないような鋭い質問を投げかけもする。そんな会話を大詩人もまた楽しんでいることが、映画を見る私たちには伝わってくる。
世界各国のファンの女性たちから、ノーベル文学賞の選考委員会から、祖国チリの共産党同志たちから、手紙は届く。史実とはすこし違う、ネルーダの人生のハイライトが詰めこまれた映画ならではの演出だ。1904年、チリに生まれたパブロ・ネルーダは、10代から詩才に恵まれる一方、外交官の仕事を得て政治家の卵としても頭角を現し、詩集『わが心のスペイン』はスペイン内戦を戦う共和国軍兵士にとって一種の戦意高揚詩の役割を果たした。41歳で上院議員になり、チリ国民文学賞を受賞。ところが政府批判の文書がもとで逮捕令が発せられ、史実としても、48歳の頃、亡命生活の中でイタリアに滞在する。実際にネルーダがノーベル文学賞を受けたのは1971年、67歳のときだった。
一緒に海を眺めながら、生まれたときから島に暮らすマリオにここがいかに美しいか教えようとして、ネルーダが詩を聞かせてやるシーンがある。「海へのオード」冒頭の一節だ。
島のここに
海
またどれだけの海が
海自身からあふれ出ているのだろう
いいわといったのにいやよ
いやいやいや
青のなかで泡のなかで
いいわという速く流れながら
いやよいやという
じっとしていることができないのだ
わたしは海よと繰り返しながら
岩にまとわりついているが
くどきおとせない
すると
緑の七つの舌で
緑の七つの犬で
緑の七つの虎で
緑の七つの海で
岩を取り巻きくちづけし
潤して
その胸を打ちつけるのだ
自分の名前を繰り返しながら
田村さと子訳「海へのオード」(『ありふれたものへのオード』所収)より
ネルーダの朗読の声にマリオはちゃんと海の波のたゆたいを聞き取り、詩にとってリズムがとても大切な要素であることを理解する。「言葉の真っ只中で揺れる小舟だ」と自分の感想を表現するマリオに、「隠喩」できてるじゃないか、とネルーダが言う。名誉も経歴も関係ない、詩人どうしの幸せなやりとり。この映画を見ている間、私は何度ニコニコしながら相づちをうってしまったことだろう。ほんとだよパブロ先生、マリオ、やるやん!と。
詩が実用的なものであることを理解する人はすくない。でもこの映画には、詩の実用性が堂々と描かれる。『神曲』煉獄篇にも登場する詩聖ダンテの理想の女性と同じ、ベアトリーチェという名の食堂の女性に恋をしたマリオは、いよいよ本気で詩作に取り組む。実際にマリオがベアトリーチェに贈ったのは、ネルーダの詩の完全引用だったけれど、それはちゃんと口説き文句として必要に応じて機能して、ベアトリーチェとマリオは結ばれる。その結婚式の場で、ネルーダはふたりに祝婚歌を贈る。
適切な場所で、適切な方法で謳われた詩は、いくらでも人の心を動かす。だからこそ、それが政治=戦争に用いられるとき、それは政治家から危険視され兵士から欲され、詩人を生かしも殺しもする。いま現在も、世界のいたるところで、同じことが起こっている。
映画の後半、パブロ先生が逮捕令を解かれて故国に戻り、著名人として活躍を続ける一方で、マリオは島の貧しい暮らしに戻ってゆく。とても楽しみにしていたパブロ先生からの手紙が届いたと思ったら、それが「島に残した荷物をこの住所まで送るように」という秘書からの素っ気ない伝言だったときのがっかり感は、誰しも思い当たる節があるだろう。同じ内容が書いてあるとしたって、パブロ先生の言葉じゃなければ、意味がない。一言でいいから、パブロ先生が遠くで自分を思いだしている証の言葉がほしい。それはなかなか届かない。
でもそのとき、マリオは気づく。それならこちらから手紙を送ればいいじゃないか。いまの僕は、手紙に何を書きたいかを知っている。そして、その手紙を送りたい相手がいて、どんな言葉で書けばいいか知っている。そうだ、とっておきの方法がある、と。
マリオが郵便局の上司と一緒になって、パブロ先生の残したテープレコーダーを改造して次々にフィールドレコーディングしていく島の美しい音の数々、それをひとつひとつ名指していく言葉は、詩人としての自分の拙さを承知したマリオが作りあげた、一世一代の大傑作だ。大小の波の音、岸壁をうつ風の音、夜空の無音、まだお腹の中にいる赤子の心音。上手い詩なんて書けなくても、名前なんか知られていなくても、マリオは詩人だ。くっきりと詩の見える目、はっきりと詩の聞こえる耳をもっているのだから。
マリオとベアトリーチェの間に生まれた子どもは、パブリート(ちっちゃなパブロ)と名付けられる。何かを名付け、その名前で呼ぶこともまた、ひとつのとても短い詩=手紙のかたちだろう。
参考文献・引用元:
田村さと子 訳編『海外詩文庫14 ネルーダ詩集』思潮社
【作品情報】
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イル・ポスティーノ
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