ジャイアント馬場、アントニオ猪木を育てた力道山が生誕100年“エンタメの祖”が残した栄光の足跡

「力道山物語怒涛の男」/(C)1955年日活株式会社

ジャイアント馬場、アントニオ猪木を育てた力道山が生誕100年“エンタメの祖”が残した栄光の足跡

11月6日(水) 18:00

「力道山物語怒涛の男」
【写真】欧米人に負けないパワーを見せる力道山(「力道山物語怒涛の男」より)

テレビの民間放送がスタートし、ゴジラが産声を上げ、東京タワーが完成した1950年代。戦後の混乱から回復を始めた日本において、伝説的に名を残したプロレスラーが力道山だ。日本プロレスの祖にして名プレーヤーである力道山は、日本メディア界に多大な影響を残した人物でもある。生誕100年を迎える2024年、39歳で急逝した大スターの足跡を追っていく。

■プロレスラーの「パイオニア」としてさまざまな功績を残す

「総理大臣の名前は知らなくても、力道山の名前を知らない者はいない」という言葉を耳にするほど、当時の大スターであった力道山。彼は元々相撲界の出身だった。1950年に大関への昇進を待たず引退すると、間もなく渡米してプロレス修行を始める。日本プロレスの黎明期だ。

アメリカで学んだプロレスの技術を用いて1953年に「日本プロレス協会」を設立し、国内におけるプロレス人気の基盤を築く。全身を使ったドラマであるプロレスを一大スポーツとして認知させ、テレビメディアがこぞって追いかけるコンテンツに仕上げた。

プロレスがそこまでの認知を得るに至った要因は、「日本人レスラーと外国人レスラーが戦う」というスタイルにある。力道山は海外から選手を招き、自身がプレーヤーとして対戦。“日本人が外国人を打ち負かす”という構図は戦後日本の状況に重なり、大衆から大きな支持を得た。日本人の心にこびりついた、敗戦国としての欧米コンプレックス。受けても受けても立ち上がって敵を打ち破るというドラマが、当時の日本人たちの魂を撃ち抜いたのだ。

力道山の功績は、プロレスをエンターテインメントとして認知させた点も大きい。試合序盤では相手の攻撃を浴びて劣勢となるも、そこから逆転に転じ、勝利を収める…。そこに筋書きはあっても、手抜きはない。すべての攻撃を受けとめ、それに耐えるというタフなプロレスの魅力。観客を惹きつけるため、しっかりとした演出と構成に工夫を凝らした。

観客の熱狂を呼んだプロレスの興行は、やがて試合中継がテレビを通じて多くの視聴者に届けられることになる。看板である力道山が「国民的スター」となり、プロレスが国民的スポーツとしての地位を築くのに時間はかからなかった。第一次プロレスブームの到来である。

また力道山は現役当時、先を見越した若手レスラーの育成にも尽力していた。自分の一代で終わらせず、プロレスという文化を日本に根付かせるための施策だ。彼の弟子にはジャイアント馬場やアントニオ猪木といったレジェンドが名を連ね、のちに馬場が「全日本プロレス」を、猪木が「新日本プロレス」を設立した。両団体は日本プロレス独特の文化である“真剣勝負”という芯を受け継ぎ、他ジャンルの格闘技選手と「異種格闘技戦」をおこなうなど独自のスタイルで進化していく。

■テレビメディアの普及、発展にも大きく貢献

また力道山の足跡を振り返るにあたり、忘れてならないのが日本のテレビ文化に与えた影響だ。1950年代、まだテレビが高価で各家庭への普及までは至っていなかった時代。力道山の試合が流れるテレビ中継を見るため、多くの人が駅前などに設置された街頭テレビに集った。人が人を呼び、画面の向こうで奮戦する力道山にみんなが声援を送る現象が生まれた。

プロレスのおかげもあり、老若男女を問わない層に人気を醸成できたテレビ番組というコンテンツ。特にスポーツ中継という新しいエンタメに、多くの人が夢中になった。しかし力道山が民衆を盛り上げたコンテンツは、プロレスだけではない。

プロレスラーとして日本の戦後復興を支えた力道山はかつて、映画にも出演している。1953年の「薔薇と拳銃」を皮切りに、「怒れ!力道山」「純情部隊」「激闘」など数多い。なかでも注目を集めたのは、美空ひばりと共演を果たした「力道山物語怒涛の男」だ。

同作は百田光浩…力道山の半生を描いた自伝的タイトル。父から相撲取りになることを勧められた百田は、力士として母の死も乗り越えて修行に励む日々を送り続ける。戦後には潰れた相撲部屋を再建したが、親方からの冷遇で角界から身を引くことに。

建築会社で働く力道山は、「駐留軍慰問外人プロレス試合」のポスターに触発されて一大決心。ハワイで修行を重ね、プロレス界の王になっていく…。作中では美空のほか東富士、九州山といった角界からの友情出演も。そうそうたる顔ぶれの集合に、力道山が持つエンターテイナーとしての広い求心力が垣間見える。

ほかにも力道山のパワーを活かした「激闘」や、戦地には立てなかった同部隊の仲間たちとの友情を描いた「純情部隊」など力道山の出演タイトルは少なくない。力士としてファンを盛り上げ、プロレスを興して民衆を惹きつけ、銀幕の世界でも大いに活躍した大スター・力道山。彼の足跡には、すなわちいま現在の日本を盛り上げてきたエンタメの土台があるのだ。

いまとなっては貴重な力道山の映像だが、11月にはCS放送「衛星劇場」が「力道山生誕100年」と題した特集を放送。力士からプロレスラーになった力道山が俳優として主役を演じた映画3作品を11月に放送する。

生誕から100年、亡くなってからは60年超のときを経た力道山。メモリアルな節目を迎えたいま、改めて日本のエンタメの原点を振り返ってみるのいいかもしれない。



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