元東京国税局職員のライターが提言「30代後半でもフリーランスで成功する」方法

小林義崇氏

元東京国税局職員のライターが提言「30代後半でもフリーランスで成功する」方法

11月6日(水) 8:51

提供:
東京国税局の国税専門官というお堅い仕事から、35歳でフリーランス・ライターへ転身すると、独立後わずか3年で『すみません、金利ってなんですか?』(サンマーク出版)が14万部のベストセラーに。

今や多くの書籍や署名記事を幅広く手がける売れっ子ライターの小林義崇氏が手がけた新著『新しいフリーランスの歩き方』が、話題となっている。

著者が失敗談を交えて明かす「食べていけるフリーランスに必要な生存戦略」は、仕事術やブランディングから、資金管理やメンタルの保ち方まで多岐に及ぶ。多様な働き方が求められる昨今、自分らしく働きたいと願う多くの人に役立つだろう。

今回、小林氏にフリーランスに転じて、売れっ子ライターになるまでの道程を聞いてみた。そこには、フリーランサーとして成功するためのヒントが、いくつも見えてきた。

東日本大震災が、働き方を見つめ直すきっかけに……

――国税局を退職して独立したのは35歳のとき。奥さまと子ども2人がいて、住宅ローンを抱えていました。なかなかリスキーな選択にも思えますが、小林さんがそもそもフリーランスになろうと考えたきっかけは何だったのでしょう?

小林: 大学新卒で国税局に就職したときは、定年までずっと勤めることを疑いもしませんでした。民間企業なら転職する人も珍しくないけれど、そもそも、そうした組織文化がない。

25歳で結婚し、子どもが生まれ、35年ローンでマンションを購入して……どこにでもいる勤め人として、平凡な暮らしを送っていたんです。

ただ、30歳を過ぎた頃、当たり前に組織のなかで働くことに何となく違和感を覚え始めていました。

そんなとき、東日本大震災が発生しました。震災当日は金曜日でしたが、週明けの月曜日、出勤しようと最寄り駅に行くと電車は終日運休。2つ先の駅から電車が動いていると聞き、ほかの多くのサラリーマンと同様に、僕も駅に向かって歩き始めました。

ところが、歩いているうちに、僕の心に抑えきれない思いが込み上げてきたんです。

「自分はいったい何をしているんだろう」――。

2つ先の駅に行ったところで、電車にすぐ乗れそうもない。長時間かけて職場に着いたところで、働く時間は限られる。それに、急ぎの仕事を抱えているわけでもない。

一方で、当時は次男が生まれたばかり。未曾有の震災を前に不安の只中にいる家族と一緒にいて、安心させるべきだろう。そう考えて、上司に休むことを連絡すると、僕は踵を返して、駅に向かうサラリーマンの大群衆に逆らって自宅に向かいました。

すれ違いざま、多くの人と目が合ったのを、今でもよく憶えています。

あの日、僕の中に生まれた「感覚」、震災で改めて痛感した「人生は一度きりで、有限である」という「自覚」。この2つの心の動きによって、自分の働き方を見つめ直すようになったんです。

まずは転職のためのアクションを起こした

――震災は多くの人の人生に少なからず影響を与えましたが、小林さんもその一人だったわけですね。フリーランスになるために、すぐに行動したのでしょうか?

小林: この時点では、フリーランスを目指そう!とまでは、具体的に考えていません。当初は独立ではなく、転職のためにアクションを起こしたんです。当時、世の中では「働き方や生き方を考え直そう」という風潮がありました。

――小林さんは、具体的にはどのような動きをしたのでしょうか?

小林: 国税局の仕事を続けながら、週末に異業種交流会やビジネスプランを考えるイベントなどに参加して、組織の外との接点を増やしていったんです。おぼろげながら転職を意識して、ビジネススクールにも通うようになりました。

そのスクールのコンセプトは、ビジネスを教わる前に、まず「自分が何をしたいのか」をきちんと考えるというものでした。そのために、過去の自分を振り返って整理するワークショップを行うんです。

そこで、もともと本を読むのが好きで、小説家に憧れていたことを思い起こすのですが、小説家になっている自分がどうしてもイメージできない……。

というのも、僕は大学の奨学金という借金を背負い、妻と子ども2人がいて、住宅ローンも抱えていました。そんな自分が小説家として食べていくのはあまりにも難しいことは、容易に想像がつきました。

感銘を受けた本の著者に感想文を送った

――「書く仕事」という将来像が明らかになったものの、一度は諦めていたわけですね。

小林: はい。自分らしい働き方を模索して、もがいていました。そんな折り、ビジネススクールへ行く途中にある書店に立ち寄ったとき、一冊の本と出会います。

それが『職業、ブックライター。毎月1冊10万字書く私の方法』(上阪徹著・講談社)で、インタビューを行い著者に代わって本を書く「ブックライター」という職業の存在を知りました。

もともと読書が好きで、閉鎖的な国税という組織に長く身を置き、「外の世界に触れたい」と願っていた僕には、非常に魅力的に映ったんです。それと同時に、この仕事なら自分にも合っているかもしれないと思いました。

この本には著者の上阪さんの仕事哲学やライフスタイルも書かれていて、すごく魅かれました。ネットで名前を検索するとFacebookをやられていたので、「著書を読んで感銘を受けました」と感想文を送ったんです。

すると返事が来て、ブックライターになるための準備を少しずつ進めてみては、とご提案をいただきました。さらに、本気でブックライターを目指す人向けのセミナーを始めるという計画もお聞きし、説明会に参加した後に申し込むことにしました。

こうして「上阪徹のブックライター塾」に入ったことで、フリーランスのライターやメディア関係者と知己を得ることができ、塾を卒業する頃には、「すぐにでもライター業を始めたい!」と思っていました。

家族や上司からの大反対を受け、フリーランスの道は困難を極め…

――実際、ブックライター塾を卒業後、フリーライターになったんですか?

小林: いいえ。実は、ブックライター塾を卒業してから独立するまで3年もかかってしまったんです……。

もっとも大きな要因は、公務員だったからです。副業が禁止なので、仕事が休みの週末にライターの仕事をすることもできません。独立する前に経験を積もうとしていた目論見は外れてしまいました。

それどころか、周囲からも大反対されてしまったんです。

ブックライター塾を卒業して2年目、妻に「ライターになりたい」と話すと、当然のように反対され、僕が長男ということもあり、母にも猛反対されました。

意を決して上司にも打ち明けたのですが、「職場で何かイヤなことでもあるの?」と聞かれてしまい、その場では上手く説明できなかったんです。人間関係にも恵まれ、仕事について特に不満もない。

さらに、上司からは「子どもが2人いるよね。私立中学に行きたいって言ったら、どうするの?」「気持ちはわかるけど、もう少し冷静になりなさい」と現実的なことを言われて、諭されました。

確かに、安定している公務員という仕事から、何の当てもないフリーランスになりたいなんて言われたら、今なら僕でも「どうかしてる」って言います(苦笑)。

これが転職なら、「収入は一時的に減るけれど、3年後には今と同じくらいに戻るから」と具体的に説明して、説得することもできますが、30歳すぎて収入の目途も立たないフリーランスになろうとしているわけですから何も言えない……。

ブックライター塾を卒業したはいいけれど、2年間、まったく動きが取れませんでした。内心、「もうムリかな」と諦め始めていました。

――まさに四面楚歌だったわけですが、それでもフリーライターを目指した原動力は何だったのでしょうか?

小林: 国税局は、仕事の性格上、公務員の中でも特に閉鎖的な組織です。だから、外の世界との接点がほとんどありません。

ただ、僕は異業種交流会やビジネススクールに通ううちに、外の世界と繋がりを持つことが勉強になることを実感していましたし、何より純粋に楽しかった。ライターという仕事は、多種多様な外の世界の人たちに取材するので、とても魅力的に映りました。

ある編集長との出会いによって、フリーランスへの道は一気に好転!

――現在は念願のフリーライターとなり、売れっ子として活躍しています。当時の困難な状況をどう突破したんですか?

小林: ライター塾を卒業して3年目、ようやく物事が動き始めます。

あるメディアの編集長が登壇するイベントに参加した僕は、名刺交換のときにライターを目指していることを伝えました。

そのイベントの感想を自分のブログの記事にまとめて、お礼がてら編集長のSNSに送ると、「一度、オフィスに遊びに来ませんか?」と誘ってくれたんです。そしてオフィスでお会いしたその日に、「ウチで書いてみませんか?」と言ってくれました。

その会社は、企業や官公庁の取材記事を多く手がけていたので、公務員という僕のバックグラウンドを買ってくれたのかもしれません。初めてライターとしての仕事をオファーされたので嬉しかったですね。でも、公務員は副業禁止。

そのことを正直に話すと、報酬が発生しないボランティアの形で、取材に同行させてもらったり、記事を書かせてもらったりするようになったんです。

ライターの仕事を一通り経験させてもらい、仕事の流れを把握できたのもよかったですが、何よりありがたかったのは、プロの編集者が原稿に赤字を入れて(添削して)くれたことでした。

プロの視点でフィードバックをもらい、原稿を修正する作業を重ねていくことで、ライティングスキルが上がっていくのを実感できたんです。

自信がつくと事態は面白いほど好転する

――状況が一気に好転したわけですね。

小林: もう一つ、大きかったのは、この経験でライターとして食べていけるかもしれない感触を得たことです。この会社は、ライターの能力に応じて報酬が段階的に変わる、業界的にも珍しい方式を取っていました。

僕の場合、当初はトライアルということで「1記事6000円」でしたが、経験を積んでランクが上がり、「1記事2万7000円」まで評価が上がりました。

プロがライターとしての自分を高く評価してくれたわけですから、大きな自信になりました。また、自信がつくと、一度は諦めかけていたのに、事態は面白いように好転していくものなんですね。

ある程度、収入の目途がついたことを妻に伝えると、安心してくれたようで、徐々にではあるけれど応援してくれるようになりました。

職場でも、人事異動で広島から来た新しい上司に、改めてライターになりたいことを打ち明けると、土地柄からか豪快な上司は「そら、ええなぁ!ワシも若かったら独立したかったよ」と冗談っぽく言ってくれたんです。

フリーランスを目指す人にとって、最初のハードルは独立すること自体。僕の場合、ボランティアの形でしたが、独立前に副業として目指す仕事を経験しておくことは間違いなく役に立ちます。

小林義崇(こばやし・よしたか)
2004年に東京国税局の国税専門官として採用され、以後、都内の税務署、東京国税局、東京国税不服審判所において、相続税の調査や所得税の確定申告対応、不服審査業務等に従事。2017年7月、東京国税局を辞職し、フリーライターに転身。書籍や雑誌、ウェブメディアを中心とする精力的な執筆活動に加え、お金に関するセミナーを行っている。『僕らを守るお金の教室』(サンマーク出版刊)、『元国税専門官がこっそり教える あなたの隣の億万長者』(ダイヤモンド社刊)ほか著書多数。公式ホームページ

<取材・文/齊藤武宏撮影/山田耕司(扶桑社)>



【関連記事】
元レースクイーンが社会人歴ゼロから就職。「入社4日で辞めたくなったけど」課長に昇進するまで
「まさに老人天国」“やりたい放題の高齢者”だらけの職場で働くシングルファザーの叫び
月収60万円なのに軽バンでの“車上生活”を続ける28歳Amazon配達員「いつかは地に足をつけた生活をしたい」
「汚ねぇな、出ていけ!」60代男性が目の当たりにした“シニア派遣の闇”。給料カットや交通費ゼロもザラ
「管理職には興味がない」50歳ヒラ社員、年収1500万円の仕事を捨てて辿り着いた幸せ
日刊SPA!

生活 新着ニュース

合わせて読みたい記事

編集部のおすすめ記事

エンタメ アクセスランキング

急上昇ランキング

注目トピックス

Ameba News

注目の芸能人ブログ