香港大学医学部にて
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第78話
「とにかく、人材さえいればなんとかなる。逆に言えば、人材がいなければ、どうにもならない」。香港出張の最終日、SARSとCOVID-19という、ふたつの感染症有事に立ち向かったレオ・プーン教授の言葉を、筆者は重く受け止めた。※(1)はこちらから***
■記憶に残る香港大学でのセミナーそしていよいよ、今回の来港(香港は、漢字一文字だと「港」らしい)の本来の目的であるトミーとの打ち合わせ、そして香港大学でのセミナーに臨む。
トミー然りヒン然り、そして『スピルオーバー』に登場する複数の香港大学の研究者たち然り。香港大学といえばやはり、いまや新型コロナ研究のメッカともいえる研究機関である。
そこでのG2P-Japanの研究成果の理解と認知度の密度はとても高く、またそれと比例して、私のセミナーへの期待度もとても高かった。会場は満席で埋まり、食い気味なオーディエンスの姿勢も顕著だった。セミナーは大盛況で、たくさんの質問やコメントを受けた。セミナーが終わった後にも、学生たちからの質問の列ができるほどだった。こういうセミナー後の達成感は、なかなか得られない貴重なものである。これは記憶に残る、思い出深いセミナーになった。
香港大学医学部のマスコット(?)らしい
■レオからの進言最終日の夜、『スピルオーバー』(75話参照)の登場人物でもある、レオ・プーン(Leo Poon)教授らと食事をした(余談だが、他の日本語の書物を見ても、「レオ」と表記されているものがほとんどだが、実際の発音は「リオ」に近い)。
レオは、20年前のSARSアウトブレイク対応の当事者のひとりでもある。ちなみに、SARS対応を終えた時にレオは、「これで私の研究者キャリアとしての大きな山場は終わった」と思ったという。それがまさかその20年後に、その経験を活かして、その比じゃない大パニックの対応を余儀なくされるとは、である。
レオとは食事をしながら、20年前のSARSアウトブレイク当時の話から、新型コロナ研究の話、日本と香港の研究環境の相違点など、いろいろな方面に花が咲いた。その中で私は、その間隙を突いて、ひとつの質問を彼にぶつけてみた。
「香港はH5N1鳥インフルエンザとSARS、韓国はMERSの経験を経て、国民の感染症への理解が高まる機会があった。しかし日本はそれがないままに、新型コロナパンデミックを迎えた。そして今、それがそのまま忘れ去られて、なんの教訓も残らないような空気感があるのだけど、これで本当に大丈夫なのだろうか」
レオは、首を何度か大きく縦に振った後で、こう答えた。
「大事なことはふたつある。ひとつは、ウイルスの種類によらず、とにかく感染症研究に従事する人材を増やすことだ。従事する人材さえいれば、ウイルスの種類はさほど問題ではない。コロナ、インフルエンザ、デング、エイズ、なんでもいい。とにかく、人材さえいればなんとかなる。逆に言えば、人材がいなければ、どうにもならない」
香港は、H5N1鳥インフルエンザとSARSという、世紀をまたぐ感染症有事を経験したことによって、香港大学が人材を集め、それを育てた。つまり、目の前にある課題の具体的な解決策を考えて、それを実践することによって、香港は、香港大学という、世界的な感染症研究のメッカたる組織を作り上げた。そういう基盤が、新型コロナの対応にも活かされたことになる。
そういう土壌は、なにもせずに、自発的に、自然に湧いて出るようなものではない。われわれG2P-Japanが、パンデミックの渦中に、日本の基礎ウイルス学研究の底上げを図るために、モチベーションを共有して、力を合わせて泥臭く走り続けたことと、図式としてはおそらく同じである。問題はそれを、どのようにして持続できるか、という点にある。
そしてレオはこう続けた。
「大事なことのふたつめとしては、一般市民の記憶だが、これは意外と失われないものだ。新型コロナの発生当初、香港では、政府からのアナウンスや要請は特になにもなかった。それでもほとんどの市民が、自発的にマスクをつけるようになった。これは、20年前のSARSの記憶が、香港市民の中に残っていたからだ」
思い返せば、この年の7月、タイのバンコクに出張した時のことを思い出した(12話)。香港と同様、H5N1鳥インフルエンザとSARSの記憶を持つバンコクの市民も、病院地域にいるひとたちは、灼熱の屋外でも不織布マスクを着け続けていた。
――はたして日本では、新型コロナパンデミックという「経験」は、どのような形の「教訓」をもたらすのか。それはまだ誰にもわからないが、いずれにせよ、SARSとCOVID-19という、ふたつの大きな感染症有事で中心的な役割を果たした当事者の言葉は重い。
■東アジアの亜熱帯の喧騒の記憶香港の夜の喧騒を歩いていると、初日の夜のヒンの熱弁「ヤングジェネレーション万歳!」から、アジアン・カンフー・ジェネレーション(アジカン)が想起されたことをふと思い出した(76話)。
そしてそこから不意に、大学時代につるんでいた「隣人の会(42話)」の友人たちと、卒業旅行で台湾に行ったことがフラッシュバックした。それは2005年3月のことで、SARSアウトブレイクの2年後にあたる。酔っ払った当時の私(たち)は、やはり夜の喧騒の中で、なぜかみんなでアジカンの曲を大合唱しながら、台北の街を練り歩いたりしていた。
東アジアの亜熱帯の夜の喧騒に紐づいた記憶が、あるバンドの、ある曲とともに想起される。
2005年の台湾と、2023年の香港。時も場所も違えど、20年近くも隔たれた記憶が、音楽と空気感から想起されるというのはなんとも趣があるものだな、などと思ったりもした。
東アジアの喧騒に関連して思い出したもうひとつのこと。香港の地下鉄構内を歩いているときに不意に、香港(とマカオ)が、『深夜特急』(沢木耕太郎・著)の旅のはじまりの街であることも思い出した。『深夜特急』は、現在の私のルーツのひとつとも言える本でもある(14話)。出発前に読み返しておけばよかった、そしてそれをこの旅に持ってくれば良かった、とそこで少し後悔した。
最終日の朝の香港国際空港。香港での用務を終えた私は、空港での手荷物検査の列の中でそれを待っている間、香港からイギリス・ロンドンを目指した沢木氏の『深夜特急』の旅路を、スマホで改めて調べ直してみた。するとなんと、香港(とマカオ)の後に、タイのバンコクに飛んでいるではないか。
......やれやれ、である。
そこで改めて、そのことに出発前に気づかなかったこと、そしてその巻の文庫本だけでも持ってくるべきだった、という後悔の念を抱きながら、私もその旅路をなぞるように、バンコクへと向かった。
文・写真/佐藤 佳
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