なぜ立浪監督の中日は失速し、新庄監督の日本ハムは躍進したのか? 広岡達朗は「野球観の差」と一刀両断

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なぜ立浪監督の中日は失速し、新庄監督の日本ハムは躍進したのか? 広岡達朗は「野球観の差」と一刀両断

11月6日(水) 7:15

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型どおりの純粋培養なエリートと、型破りの天真爛漫(らんまん)な個性派──中日前監督の立浪和義と日本ハム監督の新庄剛志のふたりの指揮官の明暗は、くっきりと分かれた。

9月18日に退任を発表し、3年連続最下位という不名誉な記録を打ち立ててしまった立浪監督。かたや今季2位と躍進し、クライマックス・シリーズ(CS)ファーストステージではロッテに勝利し、ファイナルに進出。CSファイナルこそソフトバンクに3連敗したが、今季の日本ハムの戦いぶりは賞賛に値するものだった。

3年前、それぞれ古巣の球団の監督に就任し、チームを強くするために試行錯誤しながらやってきた。就任1年目、2年目はともに最下位と苦しんだ。だが今季、低迷する中日とは対照的に日本ハムはリーグ2位と健闘。なぜ、これほど差が出てしまったのか。ヤクルト、西武の監督として日本一3回を誇る球界の大御所・広岡達朗に聞いた。

今季2位と躍進した日本ハム・新庄剛志監督(写真左)と3年連続最下位となり退任した中日・立浪和義監督photo by Koike Yoshihiro

今季2位と躍進した日本ハム・新庄剛志監督(写真左)と3年連続最下位となり退任した中日・立浪和義監督photo by Koike Yoshihiro





【ただ若手を起用していただけ】「立浪に関しては、正直、失望したよ。ショートというポジションは内野の要であり、監督業にも適していると思っていたが、例外もあるものだ。まあ、与田(剛)が監督の時から中核になった選手がひとりもおらず、世代交代の真っ只中で仕方ない部分はあったにせよ、固定化されない日替わり打線ではチームが強くなるはずがない。

就任会見で『打つほうはなんとかします』と言っていたから期待して見ていたが、何も変わってない。いたずらにチームを引っかき回した感じだ。なによりチームがこんな状態であるにもかかわらず、なまじ客が入っているから、フロントは努力をせんのだろうな」

中日の今シーズン主催の71試合(バンテリンドーム69試合、岐阜、豊橋2試合)で233万9541人と、前年度より観客動員数は11%増となった。ちなみに、230万人を超すのは2008年以来だという。

パ・リーグ断トツの最下位に終わった西武にしても、前年度より観客動員は上回っており、かつてのように贔屓(ひいき)のファンを応援しに行くというよりは、飲食が充実しているボールパークへ遊びに行くという感覚が高まってきているのかもしれない。

話は逸れてしまったが、では立浪監督の采配は、具体的にどこに問題があったのか。

「落合や与田が監督の時は、ベテラン偏重の固定したメンバーだったから新鮮味に欠けるといった声もあったが、勝つためにはベテランの力は必要だし、若い選手も重要になってくる。立浪は若い選手を積極的に使っていたが、ただ起用していただけ。個々の力がまったくレベルアップせず、チームとして機能しなかった。これは監督の責任だ。

監督というのは、責任を取るのが仕事である。立浪は、超名門校でスパルタによる強烈な成功体験が野球人生のベースになっているのだろうけど、それ以外の野球観を磨くことができなかったんだろうな」

広岡は高木守道第一次政権時代(1992〜95年)に臨時コーチをやったことがあり、立浪は同じショートというポジションということで目をかけていた。監督になってからも何度か電話をしてアドバイスを送ったが、チームが向上することはなかった。

【監督業に生きたマイナー経験】その一方で、新庄のことは就任当初から「あれはバカをやっているようで、そうじゃない。きちんと考えているぞ」と評価していた。

立浪との最大の違いは、現役時代に起因する。当時、阪神のスター選手だった新庄は、2000年オフに年俸20万ドル(当時、約2200万円)というメジャー選手の最低保証額の提示を受けながらサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、3年目はシーズン半ばでマイナー契約を結び、3Aで過ごしている。

「新庄はあのまま阪神にいたら、スター選手として年俸も何億円という金額をもらえたが、それを蹴ってメジャー挑戦を選んだ。しかも破格の契約金をもらって、専属通訳をつけたわけでもない。3年目にマイナー契約をしてまで3Aでプレーしたというのは、マイナーリーグを勉強したいという表れ。そういった姿勢が、監督業で生きている。

日本ハムの監督に就任して最初のキャンプで、中継プレーを徹底していた点はさすがだと思った。戦力が乏しいチームを立て直すには、まずディフェンスから。新庄はパフォーマンスばかりが注目されているが、ああ見えてきちんと根回ししているからな」

広岡の持論は、こうだ。

1年目は種まきとして選手にチャンスを与え、適性を見極める。2年目に芽を出させることで、投手陣の整備をより強化する。そして3年目に収穫として、結果を出す。

現に広岡は、ヤクルトでシーズン途中から監督就任を含めて3年目に日本一になり、西武では1年目に日本一となった。「野球はピッチャーが8割」という広岡の提言どおり、新庄も投手陣の整備に余念がなかった。

伊藤大海(14勝5敗)、加藤貴之(10勝9敗)の二本柱に加え、移籍組の投手の活躍が目立った。

オリックスから移籍の山崎福也が2ケタ(10勝6敗)を挙げ、阪神から移籍の齋藤友貴哉が25試合に登板して1勝1敗1セーブ、5ホールド、また昨年ソフトバンクから移籍の田中正義が4勝4敗20セーブ、12ホールド、中日から移籍の山本拓実が6勝0敗9セーブ、3ホールドと、それぞれがキャリアハイに近い成績を残した。

野手の移籍組にしても、ソフトバンクから現役ドラフトで獲得した水谷舜が97試合に出場し、打率.287、9本塁打、39打点、中日から移籍の郡司裕也は127試合の出場で打率.259、12本塁打、49打点と、ともにレギュラー格としてチームに貢献した。

【大砲獲得にこだわった立浪監督】日本ハム躍進の原動力となった山本や郡司は、中日からの移籍組だ。中日といえば、2022年の現役ドラフトでDeNAから獲得した細川成也が大ブレイクしたが、昨年オフ巨人から獲得した中田翔は、今季は62試合の出場にとどまり打率.217、4本塁打、21打点と期待外れに終わった。

「新庄は大谷翔平(現ロサンゼルス・ドジャース)や近藤健介(現ソフトバンク)といった主力が抜けたが、一軍半以下の選手に満遍なくチャンスを与え、『これぞ!』と思った選手は我慢して使い続けた。清宮幸太郎にしても、時には突き放しながらも二軍で鍛え直させ、今シーズン後半はようやく覚醒し、規定打席には足りなかったが、打率3割をマークしたことは大いに自信となったはずだ。

はっきり言って、選手としてのキャリアは立浪のほうが上かも知れんが、感性という部分では新庄のほうが圧倒的に上だ。その差が、3年目の成績に表れたということだ。新庄は現状を鑑みて、どういうチームをつくるべきかしっかりビジョンを描きチームづくりに勤しんだ。かたや立浪は、バンテリンドームという広い球場を駆使した野球をすればよかったのに、得点力不足という周囲の声に惑わされ、大砲にこだわった。別に大砲にこだわってもいいが、石川昂弥や鵜飼航丞をどうして育てきれんのだ。大局でモノを見られるかが監督の役割であり、使命でもあるのだ」

自分の信じる野球観を貫くことも必要だろうが、状況に応じて臨機応変に動くことは組織を強くするうえでより重要になってくる。

「選手と監督というのは、まったく違う。野球の知識はもちろんだが、組織をどう動かしていくかは人間力が必要になる。そういう意味で、あえてバカを演じてチームをつくった新庄は立派だった」

来年4年目を迎える新庄監督率いる日本ハムの戦いから目が離せない。



広岡達朗(ひろおか・たつろう) /1932年2月9日、広島県生まれ。呉三津田高から早稲田大に進み、54年に巨人に入団。1年目からショートの定位置を確保し、新人王とベストナインに選ばれる。堅実な守備で一時代を築き、長嶋茂雄との三遊間は球界屈指と呼ばれた。66年に現役引退。引退後は巨人、広島でコーチを務め、76年シーズン途中にヤクルトのコーチから監督へ昇格。78年に初のリーグ優勝、日本一に導く。82年から西武の監督を務め、4年間で3度のリーグ優勝、2度の日本一に輝いた。退団後はロッテのGMなどを務めた

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