【写真】驚きの体験を告白する片岡安祐美
過去に大きな失敗をやらかした“しくじり先生”たちが、自らのしくじった経験をさらけ出し、人生の教訓を伝授してくれる反面教師バラエティー「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(毎月第1~3金曜夜9:30-10:00第4金曜テレビ朝日地上波放送終了後/ABEMA SPECIALチャンネル)、MLBでも活躍した元プロ野球選手のマック鈴木が登壇した11月1日配信回では、ヤンチャでしくじり日本から追放され、アメリカでどん底生活に耐えながらもチャンスをつかみ取るまでを赤裸々に語った10月25日放送の前編に引き続き、選手として歩み出したマック先生を待ち受けていた苦悩や、日本でプロ野球を経験していないが故に犯してしまったしくじりについて授業を行った。
■渡米1年目で
渡米1年目でメジャー傘下の1Aチーム、サンバラディーノ・スピリッツへ入団し、球団職員からマイナーリーグの選手として本格的に野球生活をスタートさせたマックだったが、いざマウンドに立つと「ヤジとブーイングの嵐」だったと明かし、「アジア人選手がほとんどいない時代」「日本人の野球選手なんて、アメリカで通用するわけないと思われていた」とふり返った。
そんななか、生徒役で出演した茨城ゴールデンゴールズの監督でタレントの片岡安祐美が、自身の体験を明かす。24歳の若さで監督に就任した片岡は、「『何も知らない小娘が!』とか。対戦相手の監督やスタッフから『お前みたいなヤツが監督やってるから!』とか言われたことはありました」と告白し、教室では「まだそんなヤツいる?」と驚きの声があがっていた。
マイナーリーグで成績を残した結果、マックはシアトル・マリナーズと契約を結び、渡米3年目の1994年、春季キャンプのもとには、日本からのマスコミ100人が集結していたが、周囲の期待とは裏腹にキャンプ初日に肩を痛め、開幕メジャーはかなわなかった。
さらに、肩の痛みをかくして投げ続けた結果、球速がどんどん下がり、球団の評価もだだ下がり、1年間、活躍できないまま渡米4年目となる1995年には、「内視鏡手術を受け、シーズンの前半を棒にふる」というしくじり状態だったと打ち明けた。
この時、受けた内視鏡手術について、マックは「英語もわからなかったし、説明されたことも意味がわからなかったので、今でも何の手術をしたのかわからない」と明かし、「手術で『おまかせです』みたいなことある?」と生徒たちを驚かせていた。
■「観念してた」
どん底状態のマックをしり目に、メジャー界では「空前の野茂英雄フィーバー」となる。さまざまな苦難が重なりながらも、逆境のなかでメジャーに挑んだ野茂の活躍に、マックは「いちメジャーリーガーが活躍しただけでなく、ストライキが明けた後の開幕だった。『野球なんか見ない!』というお客さんが、またメジャーリーグを見てくれた。火をつけてくれたのが野茂英雄さん」と野茂の偉業を称えた。
また当時、“野茂英雄フィーバー”をどのように見ていたのかという質問に、マックは「観念してた」「あれだけ活躍される方を目の当たりにすると、野茂英雄さんってやっぱすごいな、と。ジェラシーもあったけど、(レベルが)ぜんぜん違う」と語った。
加えて、授業内では「これ、余談なんですけど……」と明かした日本ともなじみの深い外国人選手との偶然の出会いや、野茂のメジャーへの道をつなぐきっかけに、マックがかかわっていたという知られざる秘話も明かされる。
周囲とのレベルの差を痛感しながらも、日本プロ野球を経ずに、メジャーで勝利を挙げた“史上初の選手”として、常に歴史を切り開いてきたマックが、世界を目指す若者にある教訓を伝える。
【関連記事】
・
タワマン生活で女の子にモテようとした横川尚隆、借金600万円の事態に「モテないやつはどこに住んでもモテない」<しくじり先生>
・
“筋肉界のカリスマ”プロボディビルダー横川尚隆“マッチョに大食いロケのオファー”は地獄「おなか下すのは覚悟」<しくじり先生>
・
100億円の訴訟問題に発展した世界史上最悪の“ファイア・フェスティバル”の伝説に吉村崇「俺もやりたい」<しくじり先生>
・
永野、4年前に明かした恩人に改めて感謝を語る「斎藤工がいなかったら今、ここにいない」<しくじり先生>
・
【漫画】2つの夢を追いかける野球少女と有名選手の白熱した勝負に引き込まれる…盛り上がりを見せるラストに「続きが読みたい」の声続出