アジアン・ヤング・ジェネレーション~香港(3)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

メトロパークホテル!

アジアン・ヤング・ジェネレーション~香港(3)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

11月5日(火) 6:00

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メトロパークホテル!

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連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第77話香港がどのような理由で「SARSの世界への玄関口」と呼ばれるようになったのか?今回の出張の裏目玉である、「メトロポールホテルの911号室」に向かう。

※(1)はこちらから

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■香港島から九龍地区へすこし時間ができたので、この旅の「裏の目的地」に向かいがてら、滞在する香港島の周辺を散策してみた。少し歩いてみると、トミーとヒンと食べた「鮑参翅肚」の乾物(76話)を取り扱う店がひたすら並ぶ。

この通りには、「鮑参翅肚」の乾物を取り扱う同じような店がひたすら並んでいた

この通りには、「鮑参翅肚」の乾物を取り扱う同じような店がひたすら並んでいた

クリスマスの準備なのか、単に週末だから人がごった返しているのか。11月にまさか正月の準備でもあるまいし、旧正月(春節)はまだ先だろうし。いずれにせよ、どの店もなかなかの賑わいだった。

香港島から、地下鉄で九龍地区に出る。

大通りには頻繁に赤いダブルデッカーが走っていて、ここが以前はイギリスの統治下にあったことが想起されたりもする。香港が中国に返還されたのは1997年7月1日。当時私は15歳だった。もちろんそういう報道があって、そういう歴史的イベントがあったことは覚えているし、「属する国がイギリスから中国に変わるなんて、不思議な場所だな」と思った記憶はあるが、それが意味するところまではもちろん理解していなかった。

イギリス・ロンドンを彷彿させる、赤いダブルデッカー

イギリス・ロンドンを彷彿させる、赤いダブルデッカー

誰かに聞いた、「香港といえば海老ワンタンメン」を食べた。輪ゴムのような見ための麺で、プツプツと切れる不思議な歯応えがクセになる。ワンタンの中のエビもブリブリでおいしかった。

香港と言えば海老ワンタンメン(らしい)

香港と言えば海老ワンタンメン(らしい)



■"メトロポールホテルの911号室"そしていよいよ、今回の出張の裏目玉。キーワードは「メトロポールホテルの911号室」である。

75話でも述べたが、2002~03年のSARSのアウトブレイクは、中国・広東省を「発信源」として、そして香港を「玄関口」として、世界に拡散された。その行き先のひとつがベトナムのハノイであり、そしてその犠牲者のひとりが、この連載コラムの11話で登場した、カルロ・ウルバニ医師である。

それでは、香港がどのような理由で「SARSの世界への玄関口」と呼ばれるようになったのか?実はその具体的な発信元と伝播経路は、綿密な疫学調査からきちんと特定され、公表されている。

その発信元のひとつは、香港の九龍地区にある、「メトロポールホテル」というホテルにあった。さらに詳しく述べると、2003年2月21日、中国・広東省のある医師が、このホテルの9階の、911号室に滞在した。そして、世界のいろいろな国から香港を訪れ、このホテルに滞在していた多くの宿泊客に、間接的にウイルスが受け渡された。専門用語で言うところの「スーパースプレッドイベント」である。どのようにしてウイルスが拡散されたのかについては諸説あるが、「エレベーターのボタンにウイルスが付着していて、みんながボタンを指で押すことで広がった」という説もある。

ちなみに、この911号室の向かいの部屋に滞在していたあるビジネスマンは、その後にベトナム・ハノイを訪れ、そこで体調が悪化し、医療機関を受診した。それを診察した医師こそが、11話で登場したウルバニ医師である。つまり、メトロポールホテルの9階で、ある医師によって中国・広東省から香港へと運ばれた、SARSコロナウイルスという目に見えないほど小さなバトンが、向かいの部屋に泊まっていたビジネスマンへと受け渡された。そして、このビジネスマンによって香港からベトナム・ハノイへとこのバトンが運ばれ、それがウルバニ医師へと受け渡されたのである。

(念のため注釈。これらはすべて、過去に起きた事実を探偵のように「後ろ向き」に調査したことによって明らかになったことを「前向き」に記述し直しているのであって、登場人物たちが意図的に行ったことではないこと、そしてそのすべてが偶発的な事象であったことにはくれぐれも留意いただきたい)

偶然にせよ、このような「スティグマ(差別や偏見につながること)」を受けたこのホテルは、閉鎖・改装した上で、2006年に「メトロパークホテル」と名を改めて、同じ場所で再開している。

メトロパークホテル。よく見ると、ホテルのロゴの「パーク(park)」のところだけ、差し替えたかのようにフォントが違う

メトロパークホテル。よく見ると、ホテルのロゴの「パーク(park)」のところだけ、差し替えたかのようにフォントが違う



■メトロパークホテルの9階へ......メトロパークホテルの1階では、コンシェルジュが観光客の対応をしていた。海外からとおぼしき、大きなスーツケースを抱えた観光客でごった返していた。20年前のスティグマは完全に取り払われている。

私は意を決して、ホテルのスタッフとおぼしき人に訊いてみた。「9階を見てきてもいいだろうか?」

「メトロポールホテルの9階(そして、911号室)」と言えば、知る人ぞ知る場所である。しかしそうは言っても、20年も前の、しかも前身のホテルでのエピソードである。そして、この連載コラムでも過去に触れたことがあるが、感染症の災禍の記憶は、能動的に「なかったこと」にされる傾向がある(26話)。

私が話しかけたスタッフは、そういう背景をそもそも知らなかったのか、あるいは私の英語がきちんと伝わらなかったのか、頭に疑問符を乗せたような様子にも見えたが、「ああ、別にいいんじゃないの」と、特に気に留める様子もなく、エレベーターの方向を促した。

次はいよいよ、「メトロパークホテルのエレベーター」である。「9」と「close」のボタンを、指ではなく肘で押す。

(左)「9階」が指定されたエレベーターのボタン。(右)メトロパークホテルの9階

(左)「9階」が指定されたエレベーターのボタン。(右)メトロパークホテルの9階

――そして、9階。

そろりそろりと、部屋番号の表示を辿ってみる。「901-917」というブロックを進んでみる......が、どうにもおかしい。

二度、三度と往復してみて、908、909、910......、あるいは逆に、914、913、912......と辿ってみるが、どうしても「911」に辿り着かない。つまり、「911号室」がないのである。

やはり、感染症の記憶は「スティグマ」となり、能動的に「なかったこと」にされるのだ。

それを何度も確認した上で、そこにある現実を理解した私は、静かにこのホテルを後にした。

※(4)はこちらから

文・写真/佐藤 佳

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