11月4日(月) 11:30
一穂ミチ氏の直木賞受賞後第一作は、甘やかな言葉を重ねた題名からは想像できないシビアな小説だ。結婚するつもりだった恋人が、性犯罪で逮捕される。絶対に起きてほしくない出来事だ。どうするだろうか。別れるとか別れないとかの問題じゃないだろう。嫌悪感と不信感が処理しきれないと思う。被害者の気持ちを思えば、自分の経験も重なって憎しみが沸く。なぜそんなことをしたのかを考えるほど、そして相手を好きだった気持ちがあるほど、苦しくなってしまうだろう。性犯罪者の事情なんて、考えたくない。全員地獄に堕ちてしまえ、という思いもありつつ、読み進めることがやめられなかった。
主人公の新夏は、30歳のフリーのカメラマンだ。長年の友人である葵の結婚式の撮影をした後、つき合って5年目の恋人であり葵の同僚でもある啓久からプロポーズされる。啓久の家族は、今のところ新夏のことを気に入ってくれているようだし、写真館を経営する父も喜んでくれた。幸福なはずの状況は、翌朝にかかってきた啓久の母親からの電話で一変する。啓久が電車内で女子高校生を盗撮し、捕まったというのだ。
初犯ということもあり事件にはなっておらず、先方もおおごとにする気はないらしい。会社にも何も報告はされていないという。啓久の両親は、そのように説明をして新夏に詫びてくる。「見たかったから」という呆れるほどシンプルな出来心で盗撮をしてしまったという啓久は、反省しており二度としないと謝る。新夏さえ謝罪を受け入れれば、このまま結婚話を進められると考えているようである。しかし、啓久の姉・真帆子は、全く別の反応だ。過去のトラウマや幼い娘の母親としての立場から、性犯罪者となった弟に対して激昂しており、新夏にも別れることを強く勧めてくる。事件を噂で知った葵は、「生理的に無理」じゃないならこのまま目を瞑って結婚すればいいという。
逮捕されなければ、問題ないのか。二度としないと言われれば、許せるのか。時間が経てば、忘れられるのか。出来心でやってしまったという気持ちを、理解できるのか。自分の思う正しさを新夏にぶつけてくる啓久の家族に対する苛立ち、性被害を受けたことのある立場としての複雑な心境、わかりたいという気持ちがあるのにすれ違ってしまう二人の心、「生理的に無理」ということばの意味するもの......。逃げることのできない状況と向き合う新夏の姿が、周囲の人々の多様な反応や、新夏が幼い頃に離婚した両親の過去にも触れながら、ドキュメンタリーのようにリアルに描かれていく。
そして、表題作の後に掲載される続編の主人公は、一瞬の出来心で罪を犯した啓久自身である。被害者の女子高校生や、他の性犯罪者も登場する。意外な展開に驚かされつつ、変化していく啓久の内面から目が離せない。
性犯罪者も被害にあって苦しむ人も、どちらも人間なのだということを、改めて考えさせられる。人は誰でも、それぞれの欲望がある。悲しいほどそれに振り回されて、間違いやすい生き物だ。だけど、それを理解することと許容することは、決してイコールではない。愛にもやさしさにも、憎しみにも、正解はないのではないか。
「尊重されるのって、いいもんだね」というある人物の言葉が心に残った。人を尊重し、人に尊重されることの大切さを、忘れてはいけないのだと思う。
(高頭佐和子)