米軍普天間基地移設のための辺野古基地の建設工事は今日も進む(写真:Sipa USA/時事通信フォト)
ウクライナ戦争勃発から世界の構図は激変し、真新しい『シン世界地図』が日々、作り変えられている。この連載ではその世界地図を、作家で元外務省主任分析官、同志社大学客員教授の佐藤優氏が、オシント(OSINT Open Source INTelligence:オープンソースインテリジェンス、公開されている情報)を駆使して探索していく!
***
――かつて、日本は米国に次ぐ世界第2位のGDP(国内総生産)を誇る経済大国と言われていました。しかし気づけば中国に抜かれ、今度はドイツに抜かれ、近い将来にはインドにも抜かれて5位となります。早い話が日本は小国にどんどんと落ちて行く。
さらに周りには核兵器を大量に持つ中国とロシア、いつ核兵器を使うか分からない北朝鮮に囲まれ、大変な軍事環境にあります。
その中で、日本の唯一の同盟国は、太平洋を数千キロ挟んだ先にる米国のみ。これは、日本が将来、生き残れるための知恵、思考方法を早急に学ばないとヤバいんじゃないかと思っていました。
そこで佐藤さんの『琉球新報』の連載「佐藤優のウチナー評論」を読んで閃(ひらめ)きました。この日本が将来、生き残るための知恵と思考方法を、沖縄の在り方に学べないかと思ったのです!
佐藤
難しいでしょうね......。
――難しいですか......。琉球・沖縄は、かつて大国である中国と交流し、うまく生き延びた。そして1609年以降は薩摩藩に支配され、1879年には大日本帝国が「沖縄県」を設置しました。しかし、その間に琉球は米国と「琉球・米国修好条約」(1854年)、フランスと「琉仏修好条約」(1855年)、オランダと「琉蘭修好条約」(1859年)を締結しています。
佐藤
はい。
――これ、すでに諸外国から琉球王国は国際法の主体(国家)として認知されていたということですよね。
そして、これは元米軍の方から聞いたんですが、太平洋戦争では「沖縄はKeystone of the Pacific(太平洋の要石)なのだ」と認知され、大量の米軍がやってきて、ものすごい戦闘となった。
戦後、琉球は米国に統治された後、1972年に日本に返還されました。琉球は本当にすさまじい歴史を持っていますよ。要するに、沖縄はいつも大国に囲まれ、保険をかけて現在まで生き残っている、と。
佐藤
「今後もそうでしょ」って話ですよね。
――そうです。そうしている時に、「日本はいまそのようにしているのですか?」と聞きたいです。
佐藤
あんまりしてないんじゃないですか?
――それはヤバいですよ。だって、いま沖縄と呼ばれる琉球は、大国に囲まれながら、長い間、大中小国たちとうまいことやって生き残っている。この知恵を日本は沖縄から学ばなければいけないのではないかと思います。
佐藤
だから、いまの沖縄では米軍基地が過重負担になっているんです。1952年の「サンフランシスコ平和条約」の締結時点で、日本の米軍専用施設は90%が本土、10%が沖縄にありました。そして、本土に復帰した1972年には、沖縄にある米軍施設の割合は58%に。いまでは沖縄が70%、日本が30%です。それは簡単な話で、本土の米軍基地が減っているからです。
――なるほど。
佐藤
いま普天間にいる米海兵隊は、1950年代に山梨と岐阜から移ってきました。
――そうなんですか!!
佐藤
そうです。それまで沖縄に米軍はいませんでした。戦争に勝った後、米海兵隊は山梨と岐阜にいたんです。
――沖縄に米海兵隊がいるのは、朝鮮半島有事のため、と自分は聞いてましたが......。
佐藤
それは、本土での反対運動が激しくなったためです。左翼のせいでもあります。要するに、日本国憲法が施行されていない沖縄に持って行こうということになったわけです。
――それは、沖縄の米兵の女性暴行事件と同じで、キチンと説明せずに「なーなー」でやってしまおうとするのが、ずっと続いているということですね。
佐藤
そういうことです。沖縄で米兵の暴行事件が多いのも、兵士の数が一定いれば、一定の確率で起きますよ。沖縄は日本の陸地面積の0.4%。それしかしかない狭い地域に、米軍施設が70%あれば、米兵の人口比率はどれぐらいになると思いますか?
――わかりませんが、かなり高いと思います。そうしたら、確率的に犯罪発生率も高くなる。ということは、その解決方法は「米海兵隊は岐阜と山梨にお戻りください」というところからですね。
佐藤
国全体を平等に考えるならば、そういうことですよね。
――岐阜と山梨にいる米海兵隊は、日本本土の内陸に駐屯して、ほとんど国際情勢には意味をなさない軍事力となってしまいます。
佐藤
ただし、沖縄の要求はそういうことではありません。要するに、「辺野古に新基地だけを作らないでくれ」ということです。
――なるほど。
佐藤
だから、現在の状況に対する異議申し立てではなく、「プラスフルファの基地を作らないでくれ」という主張です。
――極めて真っ当であります。
佐藤
しかも、辺野古は軟弱地盤という問題も抱えています。
――でも、作る気満々で日々、建築作業をは続いています。
佐藤
でも、いつ完成するんですかね?
――長くかかりそうです。
佐藤
それでいて、米軍は普天間に居座りたいですからね。
――那覇は近いし、便利だし。
佐藤
滑走路も長いですし、見晴らしもいいです。
――すぐに遊びにも行けるし、と。
佐藤
そう、非常に恵まれた環境です。
――すると、まず、日本が生き残るための知恵と思考方法を学ぶには、まず、沖縄の歴史と現状を知れと。
佐藤
そういうことになりますかね。
――さらに佐藤さんは名護市・名桜大学で集中講義をしていますが、そこでも沖縄について、学生と共に文献を精読して議論しているそうですね。
前述の「ウチナー評論」で触れていますが、講義では高良倉吉氏(琉球大学名誉教授、元副知事)の『琉球処分』(岩波新書、1993年)をテキストにしているそうですが、それを引用すると
『<沖縄では被害者的歴史観が長く風靡しており、もはやイデオロギーの域に達している観さえある。
(中略)
つまり「暗い」、「苛められてきた歴史ばかり」なのだ>(8頁)』
そして、この歴史史観を変えようとしているその根拠が、
『<高良氏は、沖縄人の大多数が日本に復帰したことを満足したという前提で、歴史像を再構成する必要性を問う。各種の世論調査によれば、復帰はしたものの、復帰の年から一九七七年までの五年間は、復帰してよかったと答えた沖縄県民は五割程度しかいなかった。しかし、現在では大多数の県民が復帰してよかったと答えるまでになっている。県民の大多数が「日本」復帰を希求し、県民の大多数がやがてその結果に満足したとすれば、歴史家は、この県民世論を背景に歴史像を再構成する義務を負うべきだ。(後略)>(180~186頁)』
と、『琉球処分』では大多数の沖縄県民が復帰して良かったとしています。この本が出たのは1993年。ところが、佐藤さんは2023年に明星大学の熊本博之教授らがまとめた「政治参加と沖縄に関する世論調査」のデータを出してきます。
『<「自身を『何人』と思うか」という問いに対し、「沖縄人で日本人」が52%と過半数を超えた。「宮古人で日本人」「八重山人で日本人」を合わせると、複合的アイデンティティーがおよそ6割を占めた。「沖縄人」が24%、「日本人」が16%と続いた>』
つまり、復帰して良かったと考えている沖縄人は激減している。改めて伺いますが、日本の未来を生き残るための知恵と思考方法を沖縄に学ぶのは、難しいのでしょうか?
佐藤
できます。沖縄を日本の一部ではなく、対等のパートナーとしてみるのです。そうすれば、日本と沖縄の相互関係が進みます。
次回へ続く。次回の配信は2024年11月8日(金)予定です。
取材・文/小峯隆生
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