「世の中そんなものだよね」という“常識”を朝井リョウは小説でひっくり返す/『生殖記』書評

朝井リョウ・著『生殖記』(小学館)

「世の中そんなものだよね」という“常識”を朝井リョウは小説でひっくり返す/『生殖記』書評

11月1日(金) 15:48

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世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。

朝井リョウは現代でもっとも過小評価されている小説家の一人だと思う。

高校生の人間関係を俯瞰した目線から描く群像劇『桐島、部活やめるってよ』、就活中の大学生を通じて人間の自意識や仲間との距離感の変化を描いた『何者』、特殊な性癖を持った人間たちを通して「多様性の理解」の難しさを描いた『正欲』。70年以上戦争がなく、多くの人が食べることに困らなくなり、生活は著しく便利になったにもかかわらず、生きることに息苦しさを感じる人が増えているこの国の「名もなき苦しみ」を小説でもっとも的確に書いている作家は、朝井リョウではないかと私は考えている。

その朝井リョウの新刊が発売された。タイトルは『生殖記』。

とある家電メーカー総務部勤務の30代男性である達家尚成(たつや・しょうせい)の生活が、尚成のことをよく知る「ある視点」から語られる。“彼”は俯瞰して見ている。尚成のことも、彼をとりまく人間社会そのものについても。その語り部が誰なのか。そこがこの小説の肝であるので誰かは伏せる。過去の小説になかった奇抜な視点である。

尚成はある理由から仕事熱心ではない。しかし仕事熱心でないことを表に出すことは会社をクビになる、すなわち生命の危機に繫がることも知っている。なので会社では「ちゃんと仕事している」ようにふるまう。

仕事に取り組む意識の高さで次々と業務を生み出す上司、仕事以外でも行動を共にすることがある仲の良い同期、仕事熱心に新しい取り組みに前向きな部下など、尚成は社内のどんな人とも話をよくする。が、相手が話している内容には関心がない。尚成は「内心思っていること」と「自分の口から発する言葉」を切り分けられる。彼は相手の話したいことを口を挟まず聞いた上で「まあ考え方は人それぞれだからね」という“多様性”で返す。そこに自分の意見を入れることはない。

あまりそればかりだと見透かされるので、時には「でもあなたは他の人より本質的に物事をとらえている」という褒めと、「一歩ずつやるしかないよね」という長期的な励ましを入れる。おそろしいことに、ほとんどの会話はこれで成り立ってしまう。しかも「尚成さんは聞いてくれる」「尚成さんはあまり周りにいないタイプ」と後輩から慕われたりする。

が、尚成は決して相手のことを尊重してそうしているわけではない。自分で動かないだけなのだ。共同体から外れないようにしつつ、共同体の「拡大、発展、成長」には加わろうとしない。その理由には彼の生まれもってのメンタリティーが大きく影響している。しかしそのメンタリティも、今の時代であれば「それも人それぞれだよね」とゆるやかに放置されてしまう。だが尚成のそんな考えが、後半、ある人物の独白によって揺らいでいく……。

尚成を通じて“語り手”の彼が語るのは、「人はなぜ共同体に属し、貢献しようとするのか」である。我々は常に何かの共同体に属している。
家族。
地域社会。
会社。
学校。
友人。
趣味の集まり。
仲間。
共同体から外れるのは難しい。そしておそろしい。所属することで私たちは「その組織の一員」という意識が芽生え、共同体に寄与することで評価を得ようとする。「自分も一員である」という意識が、行動や価値観を決定していく。

なぜ私たちは、共同体に寄与しようと考えるのか。それがこの小説の“問い”であり、クライマックスで提示されるその“答え”に読む者は圧倒される。

私たちはなぜ生まれ、何のために生きているのか。古来より多くの賢人たちが考え、答えを見つけようとした、人類史上もっともポピュラーにしてもっとも難しい問いの答えを、朝井リョウはこの『生殖記』という小説で「これじゃないですか?」と提示した。その答えは明朗快活なものだけで人生を埋めているような人によっては耳障りが悪すぎて「そんなわけはない」と承服できない解答かもしれない。だが私は、かなりの部分でこの答えが核心をついているように思うのだ。

朝井リョウは常に「人間」を見ている。競争や対立を排除された世界で生きる若者の苦しさを描いた『死にがいを求めて生きているの』もそうだったが、小説でこちらの感情を大きく揺さぶってくる。それこそが小説の、文芸の持つ大きな力であり、存在理由ではないかと私は思うのだ。ぜひ小説を読んで心をかきむしられてほしい。大きな声をあげてほしい。本が読めるうちに。

評者/伊野尾宏之
1974年、東京都生まれ。伊野尾書店店長。よく読むジャンルはノンフィクション。人の心を揺さぶるものをいつも探しています。趣味はプロレス観戦、プロ野球観戦、銭湯めぐり



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