10月31日(木) 12:00
俳優・水上恒司と対峙していると、嘘や建前は要らないのだ、と思わせられる。平野啓一郎の同名小説『本心』を映像化した本作。VF=バーチャルフィギュアといった架空の最先端技術が発達した2025年を舞台に、翻弄される人々が描かれる。水上が演じたのは、目まぐるしく変化していく時代にも臆さず、したたかに順応していく若者・岸谷だ。受け手によって、捉え方も正解も異なるであろう『本心』を前に、水上が辿りついた答えとは。
人間の汚い面を押し出した役「楽しかった」池松壮亮演じる主人公・石川朔也は、VFの技術を使い、亡くなった母親を蘇らせる。人としての倫理観に真っ向から立ち向かうテーマをはらんだ『本心』だが、提示される物語は、現代と地続きの将来だ。
「岸谷のような若者は、現代社会でも珍しい存在ではないのだと思います。貧困層や収入格差……さまざまな言葉で表現できますが、そういった不均衡がなるべく早くなくなってほしいと願う一方で、綺麗ごとだけで片付けられる問題でもありません。自分も含め、毎日を必死に生きている人たちのことを想像しながら、若者の象徴のような形で岸谷の人物像をつくりたいと考えていました」
VFの技術が発達した世界で、朔也や岸谷のような若者は「リアルアバター」として働く。ヒエラルキーの頂点に君臨する富裕層から、雑用にも似た仕事を与えられ、まさに働きアリのように駆けずり回ることになる。
「どんな職業や立場であっても、時代の変化に合わせて柔軟に動く能力は必要だと思います。岸谷のように、本来の自分の性質とはまったく違うものを求められても、食べていくためには受け入れるしかない。割り切ることも大切だと感じつつ、それでも、他者の侵食を受けない自分だけの信念は持ち続けるべきですよね」
リアルアバターとして働く岸谷は、より楽に稼げる仕事を探しながら、賢く時代を泳いでいるように見える。時代の変化に追いつけず、拒絶してしまう朔也とは対照的だ。「岸谷と朔也は友人ですけど、でも朔也からしたら岸谷って迷惑な存在だと思うんですよ」と言う水上は、そんな岸谷よりも一枚上手に、彼らの関係性を俯瞰し、分析する。
「食いっぱぐれないために時代に順応しなきゃならない気持ちもわかる。それでも朔也にとっては、昔からの友人が変貌していく様を目の当たりにするのはショックだったはずです。そういった人間の汚い部分を、キャラクターとして全面に押し出した岸谷は、演じていて純粋におもしろかった。ヒーローではなく、ヒールですね、彼は」
人は、生きていくのに必死だ。どれだけ耳触りの良い言葉を使っていても、最後には自分だけがかわいい。人間の綺麗な部分も汚い一面も見逃さず、ただそこに在るものとして捉え、岸谷の人格を再形成する。水上は、本作を通して俳優の醍醐味を認識し直したように見えた。
池松壮亮の存在の濃さ映像作品に触れる鑑賞者にとっての醍醐味は、俳優同士にしかわからないシンパシーのもとに繰り広げられる、その場限りの掛け合いを目の当たりにすることにある。岸谷の役柄上、主人公の朔也とやりとりするシーンが多く見受けられたが、俳優・池松壮亮から感じ取ったものは。
「池松さんは、存在の質が濃い。彼のどういった部分からそれが滲み出ているのか、ずっと気になりながら現場で観察していました。僕にとって本作が池松さんとの初共演。だからこそ、僕にとって池松さんはずっと朔也だったんです。また再共演する機会に恵まれたら、接し方やアプローチが変わってくると思います」
ワンカットで撮りきったという、朔也と岸谷が揉み合う終盤にかけてのシーン。石井裕也監督からのオーダーは「押したり引いたり、ぐちゃぐちゃになってほしい」だった。「細部まで決め込まず、実際に演じてみておもしろかったら、それでOK」というスタンスの石井監督。イレギュラーな状況にもドキドキしていた水上は「まるでゾンビのように、朔也にまとわりつく岸谷の姿をイメージしていた」という。
「あのシーンは、言ってしまえばアクションシーンだったんです。たとえば、腕を掴んで引っ張っているように見せて、実は力を加減して相手をアシストしている、といった場合もあります。でも今回は違った。池松さんが全力で、良い意味で僕に気を遣わずにぶつかってくれているのが、彼の手の力でわかった。だから、楽しかったんです」
自分のものになってくれない朔也を引き止めようとする岸谷、それを必死に払おうとする朔也の構図が重視されたシーン。VF技術が発展した時代において、彼らのような若者二人はどんな災いに巻き込まれ、齟齬に苛まれたのか。本編を観て感じ取った解釈は、100人いれば100通り、違うものになるはずだ。
良い作品は、解釈の余白を与える「わかりやすく問題提起をする作品は必ずしも良作ではない」という水上の言葉に目が覚める。問題提起、社会問題、ポリティカルコレクトネス。娯楽が社会に接続する営みは健全にも思える反面、あまりにも顕著だと露悪的にも映る。
「お仕事をお受けするか・しないかの判断は、作品を世の中に放っていく責任について思案するのと同義だと考えています。ときには自分自身で、作品が内包するテーマやメッセージを掘り出す必要がある場合もある。だけど、この『本心』に関してはありません。それは僕ではなく、たとえば石井監督のなかにあるもの。僕はただ、この役をやりたくてやった、それだけにすぎず、この作品を観た方がどのように解釈するかは、受け手に委ねられることだと思っています」
最先端技術が発達した世の中で、人はどのような生き方を選ぶのか。『本心』のように、わかりやすい正解や答えを与えないエンターテイメントが増えている。「やはり良い作品は、受け手に対して解釈する余白を与えてくれる。もちろん『本心』もそのうちのひとつです」と言い切る水上の自信には、根拠がある。
「ときとして映画産業は教育になり得ます。子どもだろうと大人だろうと関係ない、映画にはさまざまな方向に与える影響力がある。そのなかで、解釈や判断を委ねられることに対して、ある種の不安を感じる方がいらっしゃるのは当たり前です。僕はどちらかというと、わかりやすく答えを提示されるほど『本当に?』と疑ってしまうタイプ。それは善悪ではなく捉え方の違いであって、だからこそ現在のエンターテイメント産業は『委ねていく』選択が必要だと感じます。不安定なものも見せていく覚悟を持つこと。だって、人間の『本心』だって、曖昧で不安定なものですから」
嘘のない生き方はできるか人間の本心は、曖昧で不安定なもの。この作品の根底に流れ続け、常に観るものへ投げかけられている問いでもある。人間の本心はどこにあるのか、それは知り得るものなのか、本心を曝けだし、嘘偽りのない生き方はできるのか。
「それは、難しいですよ。なるべく嘘の割合が少ないように、と心がけてはいますが、そもそも本心を貫きながら生きることが偉いわけでもなく、正義でもない。それは数ある生き方のうちのひとつに過ぎないのであって、嘘のない生き方が正解だ! なんて言い始めてしまったら、時と場合に合わせて嘘をつくケースまで否定することになってしまいますから」
正義の反対は、また別の正義だ。表舞台に立ち、公の場で自身の考えを口にする機会も多い立場だからこそ、彼の言葉は慎重に選ばれる。正解も不正解もなく、本心か嘘かの判断も個人に委ねられる世を生き抜いていくために必要なものは? 水上は「信念」という言葉を選んだ。
「いまの時代、あまり良い世の中ではないと思っているんです。でも、僕には他者に踏みにじられない、踏まれたとしても絶対に倒れない信念があります。それがあればとても生きやすくなる。同時に『貫くことと押し通すことは違う』とも考えていて、そのバランスも難しい。簡単に言葉にできるものではありません」
水上の言葉には芯がある。考えの異なる他者を尊重しつつ、自分を見失わずにいるための処世術。驚くべきスピードで変化していく時代において、あらゆる刺激に翻弄されることなく自己を確立するために、彼が重視しているのも「他者」だった。
「人の脳みそはひとつしかありません。たかが知れていますよね。だからこそ自分ではない人間の考えを知ったり、本心を聞き出そうとしたり、本を読んだりするのだと思います」
ときには嘘も必要で、本心を曝け出すにも条件と勇気が要る。私たちが生きていく世は、どんどん絶対的な正解がなくなっていく不確かなものだ。それでも、本音と本心をもとに練り上げた信念を拠りどころに、一歩ずつ進む俳優がいる。それは希望だ。
取材・文:北村有撮影:映美
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<作品情報>
『本心』
11月8日(金) より全国ロードショー
ハピネットファントム・スタジオ
『本心』予告映像
公式HP:
https://happinet-phantom.com/honshin/
公式X:
https://x.com/honshin_movie
(C)2024 映画『本心』製作委員会