10月31日(木) 10:00
大阪城を築いたのは、安土桃山時代に農民から関白の座まで上り詰めた天下の出世頭である、豊臣秀吉です。1583年から築城を開始し、当時完成した城は非常に豪華絢爛であったと言われます。
しかしながら1615年の夏の陣での炎上、1665年の落雷、1886年の明治維新での焼失、第二次世界大戦での空襲など、さまざまな理由で天守閣をはじめとした建物が崩壊してしまいました。消失や崩壊のたびに再興され、現在の大阪城は「平成の大改修」により再興・復元されたものです。また2006年には日本100名城にも選定されています。
1583年から15年もの年月をかけて作られた大阪城ですが、その作業はすべて職人の手作業によるものです。建設当時には莫大な費用がかかったことが推測されますが、具体的にいくらかかったのかが分かる正確な資料は残っていません。しかし大手ゼネコンが「もしも今の価値で建設をおこなったらいくらかかるのか」を試算したことがあります。
その試算によると、建設に必要な人数(最盛期)は石工80~100人、土工300~400人、必要な重機はショベルドーザー約10台、トラッククレーン約30台となっています。
現代の建築でいえば超高層ビル1棟の建設費に相当する天守閣、各御殿、その他(門、塀など)の建築費には合計221億円かかり、土木工事として堀の堀削・地盤整備に50億円、石垣工事に510億円が必要であるとのことです。
つまり現在、一から大阪城を建築すると約781億円もの費用が必要ということになります。
大阪城の天守閣は、夏の陣で一度焼失してしまい、その後江戸幕府2代将軍の秀忠が再建しています。しかしそのわずか40年後に落雷によって再び焼失し、なんとその後266年間も天守閣のない状態だったのです。
そこで天守閣を復興させようと1931年から改修が始まりました。この天守閣の復興建築費は、竣功当時の大阪市の発表によると、天守閣建設費として47万1409円、公園整備費は26万1500円であったとされています。
物価の価値の目安に「企業物価指数」がありますが、そのひとつである「戦前基準指数」をもとに1931年当時と現在の物価の価値を計算してみましょう。
1931年の企業物価指数の平均値は「0.748」、2023年の平均値「876.3」となっていて、その差は約1170倍です。1931年当時の1円は現在の1170円に相当するということになります。つまり現在の価値では、天守閣建設費として約5億5154万円、公園整備費は約3億590万円かかったという計算になるのです。
大阪城は立派な天守閣に巨大な堀や城郭があり、建設および復元には巨額の費用がかかっていることが分かります。建設当時の安土桃山時代には、現代のような建設に関わる機材も乏しく、ほぼ人の手のみで作られているため、労力もかなりかかったことが推察されます。
大阪城を訪れる機会があれば、当時の壮大な建築計画や膨大な費用、さらに現代に至る復元の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。安土桃山時代に築かれた城のスケール、そして昭和初期から始まった復元にかかる莫大なコストを現在の価値で想像することで、大阪城の歴史的な意義や重みがさらに深く感じられるでしょう。
特別史跡大阪城公園 大阪城の歴史
大阪城天守閣 90年の歴史
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執筆者:渡辺あい
ファイナンシャルプランナー2級
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