「こうして書く仕事をしていられるのは、20代の頃から妻が校正をしてきてくれたおかげなんです。プロポーズの言葉も校正されましたから......」と語る髙橋秀実氏
校正とは「文章の誤りを正すこと」。そう書くと、誤字脱字のチェックや表現の間違いを正すことと思われるだろうか。だが、表面的な指摘は校正の仕事のごく一部に過ぎない。
『ことばの番人』は校正が人と人とのコミュニケーションや、世界の認知に関わる壮大な問題だと気づかせてくれる一冊だ。著者の髙橋秀実(ひでみね)氏に聞いた。
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――どうして「校正」をテーマにしようと思ったのですか?
髙橋
今まで私たちが生きてきた活字文化には必ず「校正」が入っていました。当たり前すぎて意識していなかったかもしれませんが、新聞や雑誌、世の中に出ている文章は基本的に校正されていたんです。
けれど、SNSの日本語は校正を通していない印象です。誤字脱字レベルにとどまらず、事実関係についても「裏を取る」といった基本的な作業をせずに、炎上狙いやビューを稼ぐために悪口のような投稿があふれていますよね。
そうした校正のないSNS文化が蔓延(まんえん)する中で、日本語が急速に劣化しているのではないか、と思えてきました。
「いにしえより校正者の方々がいて、校正をしてきてくれたおかげで今の日本語があります」ということを思い出してもらうために書きました。
――SNSでは誰かの投稿を読んで、反射的に投稿することも多いです。
髙橋
校正には「間違いを正す」という意味がありますが、SNSのように人の間違いをあげつらうわけではありません。著者に本当にこれでよろしいですか?と再考を促す。自分自身でも本当にこれでよいのかと読み返すべきだと思いますね。
私の場合、原稿はまず妻の栄美が校正してくれるんです。20代の頃はお互いの原稿を校正し合っていたんですが、私には校正はできないとわかりました。妻の原稿に「書き出しはこうしたほうがよいんじゃないか。展開も弱いし、オチも変えたほうがよい」などと赤字を入れてしまうんです。「いいかげんにしてくれ」と激怒されました。
――校正というよりはダメ出しだった?
髙橋
はい。私がやっていたのは校正ではなく、書き直しの要求でした。一方、彼女は誤字脱字の指摘はもちろん、表現のわかりにくさなども的確にアドバイスしてくれました。それが校正者の仕事です。要するに相手を潰さないんです。
「おそらく書き手はこういうことを言いたいのだろう」という意図を読み取って、一般読者が読んだらどう受け取るかを考える。両方を推し量ることができるのが校正者なんです。
――「校正」というと、間違い探しをする人、と思われたりします。でも実際は深いところまで文章を読んだ上で、より良い表現になるように考えてくれる存在なんですね。
髙橋
間違い探しとは違いますよね。私が今、こうして書く仕事をしていられるのは、20代の頃から妻が校正をしてきてくれたおかげなんです。プロポーズの言葉も校正されましたから......。
――プロポーズのときに?
髙橋
20代の頃、ちょうど私が住んでいたアパートの建て替えが決まって、同じ時期に彼女も引っ越すことになったので、一緒に暮らすかどうかを話し合っていたんです。その流れで「じゃあ、入籍しようよ」と言ったのですが、激高されました。「じゃあ」ってどういうことだ、というわけです。
――確かに。ついでの感じがしてしまうかもしれません。
髙橋
ですよね。「じゃあ」はトルツメで「入籍しようよ」が正しい(笑)。妻の校正はプロポーズの言葉から始まっているので、生き方そのものが、常に彼女の校正を受けている感じです。
校正者の方々に感謝するのは、ベースに「自分は校正されて一人前。校正されないととんでもない方向に行く」という恐怖があるからでしょう。
――校正者へのリスペクトという点では、近代文学者たちから「校正の神様」と呼ばれた、神代種亮の逸話は驚きでした。
髙橋
芥川龍之介、与謝野晶子、永井荷風といった錚々(そうそう)たる作家が、彼に校正されていることを高らかに公表していたという、すごい人です。
近代文学の作家たちはそれまで漢籍(漢文で書かれた書物)で素養を築いていたので、突然「言文一致」だ、話し言葉のように書け、と言われても、どうすればよいのかわからず、みな不安だったと思うんですよ。そのときに校正をしてくれる神代さんのような存在はありがたかったでしょう。
とはいえ神代さんが編集した『校正往来』という機関誌を読むと、本人も相当、間違えています。誤植がけっこう多くて、人の間違いを直しているのに自分も間違えているんですね。
間違いを直して間違える。「灯台下暗し」というか、大事なところで間違えたりするんです。『校正往来』も校正について書いているのに、「校」という字が不統一です。
――「校正の神様」を校正する人はいなかったんですね。本では法律の誤植についても取り上げています。これも驚きでした。
髙橋
毎日発行されている『官報』を読んでいると、連日、法律の訂正が載っています。こんなに間違いがあるのかと驚きました。
あらためて調べてみると、最高法規である「日本国憲法」にも誤植があるというのです。校正者の間では常識だそうで、明らかな間違いは第七条「天皇の国事行為」の第四号「国会議員の総選挙の施行を公示すること」という一文です。「総選挙」とすると衆議院選挙のみを指してしまいます。
――参議院は半数改選ですから、総選挙ではない......。
髙橋
しかし実際には参議院選挙でも天皇の公示は行なわれていますから、「総選挙」の「総」の字が誤植なんです。
憲法改正議論が盛んに取り沙汰されますが、「改正の前に校正」をすべきだと思います。立法した人の思いに寄り添い、今の時代に合うように校正する。「改正より校正を」です。
――『ことばの番人』を読んでいると、自分にも校正能力が欲しいと思うようになりました。
髙橋
みんな自分の中に校正者を持ってはどうでしょう。世の争い事の多くは「校正不足」が原因ですから。間違い探しや揚げ足取りをするのではなく、校正能力を身につける。そうすれば今よりも平和な社会になるんじゃないかな。
●髙橋秀実(たかはし・ひでみね)
1961年生まれ、神奈川県横浜市出身。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経てノンフィクション作家に。2011年『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で13年に第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞、『からくり民主主義』(すべて新潮文庫)。『道徳教室』(ポプラ社)、『おやじはニーチェ認知症の父と過ごした436日』(新潮社)など著書多数
■『ことばの番人』
集英社インターナショナル1980円(税込)
「文化」とは「文による感化」を指す。しかし、SNS上での揚げ足取りや誹謗中傷が絶えない現代は文化衰退の危機にあるのではないか。今こそ校正能力が求められているのではないか。そう感じた著者は、日々、新しいことばと出合い、規範となる日本語を守っている校正者、いわば「ことばの番人」たちの元を訪れる。さまざまな文献や辞書をひもときながら、日本語の校正とは何かを探るノンフィクション
取材・文/矢内裕子写真/幸田 森
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