10月28日(月) 17:00
29日から日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)は最終プロテストを開始。国内最高峰ツアーの道を切り開く戦いが始まっている。すでに合格率“3%”という狭き門をくぐり合格を果たした選手たちにとっては、“プロテスト”というのは一体どんなものだったのか? 今回は3度目の挑戦だった2021年度に合格した藤田かれんに話を聞いた。
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藤田にとって、プロテストの記憶はコロナ禍の記憶でもある。2000年8月14日生まれ。“プラチナ世代”のひとりが、初めてテストを受験したのは19年だった。この時は第2次予選で敗退。気持ちを切り替え“さぁ、来年!”となりそうなものだが、翌年のプロテストは新型コロナウイルスによって延期が決まった。ただ、その時の気持ちは“焦燥感”などではなく“希望”だったと振り返る。
「私にとって延期はラッキーでした。正直そのままだったら、次の年も受かってなかったと思う。準備期間が延びたってポジティブにとらえられたし、(21年に延期された)2回目も失敗はしたけど、次がすぐにやってきた。調子が保てていたのがよかったかなと思います。チャンスはすぐ来るって思えたし、もちろんしんどかったけどマイナスではなかったですね」
20年度のプロテストは、結果的に翌21年に延期された。そしてこの年には21年度分も行われたため2度の開催になったことは記憶に新しい。藤田は6月に行われた“1回目”こそ合格に3打及ばず最終で不合格になったが、4カ月も経たないうちに“2回目”の第2次予選を受験していた(※)。地元・滋賀県のコースで行われた同予選を突破し、最終へ進むと5位で合格をつかみとった。
いつもコースで明るい表情を見せるが、当然ながらプロテスト合格までには苦い思い出もたくさんある。それでも、切り替えは早い。「(不合格になり)何カ月も落ち込む人もいるけど、私は『1週間はそっとしておいてもらいたい』って感じでした(笑)。でも“受かりたい”という気持ちが強かったので、“とにかくプロになりたい!”という思いがモチベーションになってました」。こうやって立て直していたことを思い出す。
当時は琵琶湖CCに正社員として勤めながら、テスト合格を目指していた。コロナ禍も午前中は業務にあたり、午後はラウンドという日々を過ごしていたため、未曽有のできごとの最中でも“引きこもる”ことなく、外との接点があったことは救いだったかもしれない。ただ、いくら明るく振り返っても、プロテストは「2度と受けたくないです」というのが本音。特に19年からJLPGAの規定変更により、原則的に正会員以外はQTを受けられないなど、ツアーへの道が閉ざされたことが大きなプレッシャーになっていた。
「プロテストに落ちたら“無職が続く”という気持ちがしんどかった。私は社員として働いていたけど、プロになればこの業務時間を練習に充てられるとも思ったし、いざ受かって、今は本当にそういう生活ができている。環境はガラッと変わりましたね」
同学年の西村優菜や安田祐香、吉田優利らが一発合格をするなか、少し遠回りもした。合格の瞬間については、「やっとっていう感じ。これで同じ土俵に立てた」とよろこんだことも覚えている。しかし、そこは常に前向きな選手。すぐさまQTに向けての準備を開始したことも同時に記憶にある。“次へ”。そんな生き方が、試練を乗り越えるためにも大事だったことを感じさせる。
藤田にとってプロテストとはどんなものだったのかと聞くと、返ってきたのは「ガマン」という言葉。「必ず(テストのなかでは)苦しい時が来るんです。調子がよくても少しのミスは出る。その時もしっかりガマンすることが大事だと思っていました」。ここからも、あの日々に養った“忍耐力”を発揮してくれるはずだ。(文・間宮輝憲)
※最終プロテスト敗退者は、翌年の第1次予選が免除される。