“野村克也の愛弟子”が目の当たりにした原監督の“采配の妙”「あえて投手に代打を出さず…」

原辰徳氏©産経新聞

“野村克也の愛弟子”が目の当たりにした原監督の“采配の妙”「あえて投手に代打を出さず…」

10月26日(土) 15:52

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10月22日、オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの橋上秀樹監督の退任が発表された。来季からは巨人の一軍コーチに就任するとの報道もあり、実現すれば旧知の存在である阿部慎之助監督の右腕として豊富な経験を活かすことになる。

監督を務めていた野村克也氏のもと、楽天でコーチとしての経験を積んだ橋上氏。巨人のユニフォームに袖を通していたのは、2012年から14年のシーズンになる。当時のフロントからお声がかかった際、巨人の野球を間近で見られることは、ひとりの野球人として大きな財産になると確信していたという。

そして実際に現場で働いてみると、数多くの驚きと気付きがあったそうだ。今回は、野村氏が「オレにはマネできない」と称したとされる「原辰徳監督の采配」についてのエピソードを『だから、野球は難しい』(小社刊)から紹介する。※本記事は同書より抜粋し、適宜編集を加えたものである

ギャンブル性の高い作戦を好んだ原監督

原監督は、ギャンブル的な采配を用いることが多かった。たとえば同点、もしくは1点ビハインドの場面の試合の終盤で、2アウト走者一塁という場面で打席に投手が入ったとする。通常であれば投手ではなく、代打を起用してどうにか得点を奪おうとするのがセオリーだ。

だが、原監督は投手をそのまま打席に立たせて一打席を任せる……かと思いきや、初球に一塁走者を盗塁させて、二塁に進めたところで、代打を送る、ということをしばしばやっていたのだが、この策が効果的であるようには思えなかった。

長い監督経験のなかから導き出した作戦だった?

仮に初球がストライクだったとして、打度に入って一球見逃してストライクをとられようものなら、あっという間に追い込まれてしまう。そうなると、相手バッテリーは極端な話、「3球ボール球でもいい」という心理的に余裕が出てくる。反対に打者は「何が何でも打たなければいけない」と心理的なプレッシャーがかかって、ストライクからボールになるゾーンに投げられたら、手を出してしまいがちになる。当然、結果は芳しいものではない。

このようなとき、原監督はベンチで、「まともにストライク勝負してくるわけがないだろう」と怒り心頭に発することもあったのだが、起用される選手の側からすれば、すでにワンストライクになっていることで、ハンディキャップを背負った場面でどうにか対処せざるを得ない。

これは原監督の長い監督経験のなかから導き出した作戦だったように思える。つまり、「あえて投手に代打を出さずに打席に立たせ、初球に一塁走者を走らせば、高い確率で成功するだろう」と分析していたからこそ、成立した作戦だったというわけだ。

選手たちは「監督の求める野球をやるだけ」と語っていた

実際にこの作戦が成功したこともあった。一例を挙げると、二軍チーフコーチとして在籍していた2019年8月24日の東京ドームでの巨人対横浜DeNA戦でのこと。試合は6対6のまま延長11回裏の巨人の攻撃を迎えた。先頭の重信慎之介がライト前ヒットで出塁すると、次の打者となる田口麗斗(現・ヤクルト)に代打を送らず、そのまま打席に立たせた。

普通、この場面で投手の田口を迎えたならば、相手の首脳陣は、「バント」だと判断するはずだ。だが、マウンドのエドウィン・エスコバー(現・シカゴ・カブス傘下)が初球を投げるとバットを引いてボール。そして次の1球を田口に投じると、重信は二塁へスタート、キャッチャーの嶺井博希(現・ソフトバンク)から二塁への送球はショート側に大きく逸れて、盗塁を決めた。

するとこの直後、原監督は主審に代打を告げて、田口から石川慎吾(現・千葉ロッテ)へとスイッチ。カウント3ボール2ストライクからエスコバーが投げたストレートをとらえ、右中間にプロ入り初となるサヨナラ本塁打を放った。

この場面、重信が一塁に出たとき、2つのセオリーがあった。一つは、「田口を打席に立たせるのならば、送りバントのサインが出るだろうという読みがあること」、もう一つは、「田口を迎えた時点で代打を送ること」だ。どちらも正攻法としてはアリだと考えるのが普通だ。

けれども原監督は違った。田口に送りバントをさせずに、また石川をすぐに代打に送らなかった。あくまでも「重信の盗塁が最優先されるべき作戦」であり、それが決まれば次の手を打つ、という方法に出たのだ。もし石川が凡退したとしても、次に控えていたのは、2番の坂本勇人、3番の丸佳浩、4番の岡本和真だった。つまり、いちばん信頼できるクリーンアップにつながるからこそ、「まずは盗塁で一塁走者を二塁へ進めてしまおう」と考えたわけだ。

こうした原監督の作戦に賛同できる、できないというのは、つまるところ野球観の違いということになってくる。だからこそ選手たちも、「僕らは監督の求めるレベルの野球をしていくだけですから」とよく言っていたものだが、彼らと同じく私自身も、日頃から原野球を理解するのに余念がなかった。

<TEXT/橋上秀樹>

【橋上秀樹】
1965年、千葉県船橋市出身。安田学園高から83年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。その後、97年に日本ハム、2000年に阪神に移籍、この年限りで引退。 05年に新設された東北楽天の二軍外野守備・走塁コーチに就任し、シーズン途中で一軍外野守備コーチに昇格。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。11年にはBCリーグ新潟の監督に就任。チーム初となるチャンピオンシップに導き、この年限りで退団。12年から巨人の一軍戦略コーチに就任し、巨人の3連覇に貢献。また、13年3月に開催された第3回WBCでは戦略コーチを務めた。巨人退団後は、楽天と西武での一軍コーチを経て、19年にヤクルトの二軍野手総合コーチを務め、21年から24年まで新潟アルビレックスBCの監督を務めた。

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